長期任務と言っても、所詮内勤の中忍が飛び込みですることだ。内容はたかがしれている。
一ヶ月の護衛の任務だった。
場所もそう遠くない場所だ。
一ヶ月。そんな短期間で気持ちが整理できるとは思えない短い期間だが。
それでも、追いかけてこない彼に一抹の寂しさと大きな安堵を感じた。
「何やってるんだろうなぁ、俺は」
引っ掻き回して、関係者の心を乱しまくって、逃げた。
悪いほうへ悪いほうへ引っ張っただけな気がする。
彼は今、何をして、何を思っているのだろう。
泣いてなければいい。
誰かにすがっていればいい。
そんな偽善的なことをどこかぼんやり思う反面、胸はジクジクと痛んだ。
俺にしてくれたように、一緒に暮らし、一緒に食事をし、一緒に寝るのだろうか。くだらない話をしながら笑いあい、荒々しい激情をぶつけ合い、手を取り合い眠るのだろうか。
あの世界一幸せだと主張するかのようなとろける笑みで、誰かをみつめるのだろうか。
まるで、恋人のように。
家族のように。
俺ではない、他の誰かと。
好きでもなんでもない、身代わりの俺なんか忘れて。
ぽっかりとあいた胸は時間を置けば置くほどジュグジュグに膿み、汚い何かになりそうだった。
昔感じた、あの想いのようだ。
こんな汚いもの、あっても誰も幸せにはしないから。
彼との思い出とともに、鍵をかけて心の奥底においやる。
決して開かないように。
誰にも触らせないように。
大丈夫、きっとできる。
だってそうやって一度乗り越えたのだから。




護衛の任務は小さな町の有力者の娘だった。
名を花南という。
まだ若い、十代後半であろう美しい娘だった。近く隣町の有力者の男と結婚するらしく、それに反発する輩から守る任務だった。
ただ花南は表情がなく、きゅっと結ばれた唇が痛々しげで政略結婚なのかとどこか哀れ見るようになった。
やはり恋なんて醜い。
愛なんてない。
任務の合間に話しかけてみると最初は警戒されたが、段々と打ち解けると幼く笑い、時には冗談を言ってくれるようになった。
「毎日毎日頭から足先まで磨かれて人形になった気分だわ」
「だけど毎日美しさに磨きがかかっているよ」
「まぁそれは当然よ。元がいいからかしら」
そんなこと言って顔を見合わせて笑った。
彼女と触れ合っているときだけ彼のことを考えずにいられた。それだけで救われた気がした。
結婚はもうすぐというところでバタバタと慌しくなる。この家は待女数名と護衛数名だけだったのにここ数日で幾人もの人が行き交った。人が多ければそれだけ警戒しなくてはいけない。
何日かぶりに彼女に会うと前の無表情にもどっていた。
「機嫌悪そうだな」
「今日父親が来るの」
「父親?」
無言で頷く。そういえば一度も会っていなかったな。結婚前に親元を離れて花嫁修業をするのがここの慣わしらしいが、命が狙われているかもしれないのに、身近に頼れる人がいないのは寂しいのだろう。
十代で亡くした自身の親を思う。
まだ亡くなっていなければ、俺は彼らになにか助言してもらえただろうか。今より少しはましな展開になっていただろうか。
ありえない未来に思わず苦笑する。
もう彼らの声すら遠く感じるのに。
「嫌いなの」
「は?」
「父親なんて嫌い」
きっぱり言い切った声に返す言葉もなく苦笑する。
この年頃は難しいからな。
アカデミーでも似たようなことがあり、よく相談にのったものだと思い出す。身近な存在だからこそ、トラブルは耐えないものなのだ。そして、このぐらいの年頃だと一番影響力があるから煙たくもなるのだろうな。
ムスッとした顔がどこか幼く感じた。
「なんで嫌いなんだよ」
「…勝手に結婚なんか、決めるから」
彼女にしてみれば弱弱しい声だった。やはり政略結婚なのだ。だが、そう強くは言えないのは、大体有力者の娘に生まれたら政略結婚しか未来はないからだ。それが分かっているからこそ強く言ってはいけない。
「他に、好きな人でもいるのか?」
「……そうじゃない」
そんなのではないのだろう。
普段大人びた立ち振る舞いをするのに、なぜか急に年相応の少女に見えた。頭をなでて慰めようかと思ったが、それはいくらなんでも子ども扱いしすぎだろう。
「うみのさんは、好きな人はいないの?」
一番思い出したくないことを言われて一瞬ドキッとする。
「…さぁ、どうかな」
いると言うべきか、いたと言うべきか。
「ふぅん」
さして興味がないのか深く聞かれなかった。
「じゃあさ、特に好きでもない人と結婚しろって言われたら、…どうする?」
それは彼女の今の状況を言っているのだろうが。
まるで俺のこと、そして彼のことを言っているようだった。
(もし、ルカの任務で相手がカカシさんじゃなかったら)
俺は誰かとあんなことにはならなかったのだろうか。
それとも同じようにその人を好きになったのだろうか。
彼はどうなのだろう。
彼はルカのどこが好きになったのだろう。
外見か?
それとも性格か?
そうだとしたら、それはルカではなく、俺ということにならないかーーー?
そう思った瞬間、かあっと顔が熱くなった。
なんだその自惚れは!
自意識過剰じゃないか!?
「いやっ、そのっ、どうだろう!?世の中見合いなんていくつもあるし、案外上手くいくんじゃないか?」
「うみのさん顔真っ赤」
くすくすと笑われ、いたたまれなくて俯きながら鼻を掻いた。何焦っているんだろう。彼女の話はあくまで客観的な意見が欲しいだけだ。
「彼、ね」
ポツリとつぶやいた。
「彼、何度か会ったことあるの。仕事の話で来ていたから、私と話したことはほとんどなかったけど、でも私の狭い世界で数少ない外の人なの」
「…うん」
「すごく優しい人でね。10も年上で博識で、いつもいろんな話をしてくれたわ。でも私は何にも知らないから彼の話の半分もついていけなかった。私みたいな世間知らずと結婚したって、きっと何の利益もないのに、父が強引に話を進めて、きっと優しい人だから断れなかったんだわ。…酷い」
そう言って手で顔を覆った。
あぁ、彼女は自分の運命に憂いているのではない。
彼女の婚約者のことを思って泣いているのだ。
優しい子だな。
なんだか本能的に頭を撫でたくなった。
「そんな風に思わなくても大丈夫だよ。話しなんてそのうち合うようになるさ」
「そんなことないわっ!」
泣きながら必死な表情で叫ぶ。
「だって彼、婚約の話が出た後からあからさまに困った顔するのだもの。いつもは私が何か言っても決してそんな顔しなかったのに」
そう言いながら顔をぐしゃぐしゃにした。
「わ、私のこと少しもそんな対象じゃないって分かってたけど、けど、私は…っ」
それはよく見る表情だった。
アカデミーでサクラやいのがよくしていた、あの表情だ。
なんだ。
じんわりと心が温かくなった。
なんだ。これが恋じゃないか。
「好き、なんだね」
だから、彼女は泣いているのだ。
こんなにも綺麗に。
「……」
静かに頷いた。その背をそっとなでる。
こんな幼い彼女でさえ立派に恋をし、相手を想っているのに、俺は何しているのだろうな。
「もっと話してみればいいんじゃないか」
そうだ、俺だって彼ともっと話をすればよかった。
曖昧の言葉を繰り返して本心を隠していた。そして彼から本心を語らせなかった。本音が怖かった。
『好きだった』
かつて愛した人からの本心の言葉を思い出す。
あの時から俺は本心を語ったことなどなかった。
救われない、叶わないと思ったあの瞬間から。
あの時言えばよかったのだろうか。
一発殴って「俺も好きだ」と、大声で。
そうすれば、何か変わったのだろうか。
「怖いわ…」
気弱な言葉に思わず苦笑する。
本気な恋ほど臆病になる。それは誰だって変わらないのだろう。
「君が本気なほど怖いものさ。その恐怖がそれほど相手のことを想っている証拠じゃないか?」
俯いたままだが、涙は止まっていた。
「相手の本音を知りたいなら、自分も本音を晒さないといけない」
まるで自分に言い聞かせるように言う。
「もし、ダメだったら、どうしたらいい…?」
「そしたら好きなだけ胸を貸してやるよ」
そういうとようやく笑った。
「そこは嫁にもらってやるじゃないの?」
「俺にはもったいないよ」
「それもそうね」
クスクスと笑ってくれほっと息を吐いた。
「花南」
後ろから低い男の声がした。
途端彼女は表情を硬くした。
「…お父様」
どうやら父親が来たらしい。そう言えば一度もあったことがなかった。
立ち上がり振り返る。
「初めまして、警備にあたっています、うみの…」
「うみの、中忍…」
お互いが顔を見合わせて固まる。
まさかやどうしてなど頭には疑問しか浮かばない。
一生会えない人だと思っていた。
あの後忽然と里から姿を消したと人伝に聞いてホッとしたのを覚えている。
「相楽上忍…」
俺の、初恋の相手だった。



.
.



「あの後、この家に雇われて二年ほど前に仕えていた主人の妻、今の家内と結婚したんだ」
ぽつりと話す。
「花南は主人の子どもだ。四年前に亡くなったがな」
「そうですか」
お互い目を合わさず縁側に並んで座る。奇妙に空いた彼との間がなんだか滑稽だった。
花南は相楽上忍の指示で部屋に戻った。
正直悟られたくなかったが、二人っきりになるのも躊躇した。だが隣り合わせで座っても思ったほど落ち着いていた。あんなに会いたくなかったのに、自分の心境は複雑だった。
「……すまなかった」
くると思っていた謝罪をぼんやりとやり過ごす。
その謝罪は前回と同じだった。
謝罪と、告白。
そんな風にほしかった言葉ではなかった。
もっと、お互いが幸せになれる言葉であってほしかった。
ガチャリと心の奥にやった思い出の箱が開く気がした。
ずっとずっと心の奥底に追いやり、最近ひょっこり顔を出した俺の淡く切ない初恋の思い出が、今表面上に出てこようとしている。
苦しい。
これ以上立ち入ってほしくない。
心はそう叫んでいるのに、上の方から俺ではない俺が微笑んでいる。

「相手の本音を知りたいなら、自分も本音を晒さないといけない」

先ほど自分が言った言葉だ。偉そうに自分のことを棚に上げて教師面して言った言葉。
逃げてしまうのは簡単だ。前みたいに心に蓋をし、見ないように考えないようにすればいい。
そして誰にも触らせない。
ずっと一人でいればいい。
ずっと一人で……。
(一人は、寂しい…)
彼と、暮らしたかった。
ルカと偽り暮らしたように。
身代わりとして暮らしたように。
彼の隣で暮らしていきたい。
『せんせ』
甘えるように俺を呼ぶ声。
カカシさん。
貴方の隣にいたい。一番近くで貴方を見守りたい。
そのために、勇気をください。
過去に向き合う、自分の罪に向き合う勇気を。
ゆっくりと彼を見る。
少し老けていたが、記憶にある優しい顔をしていた。
「腕…」
少し声が震えた。
「ん?」
「俺をかばった時の怪我で腕を負傷したと聞きました。そのことが原因で里を出て、ここに雇われたんですか…?」
今まで一度も考えないようにしてきたことだった。
誰からも聞いたことはない。聞かないように耳を塞いでいた。
そうだと知れば、俺はどうしていいか分からない。
一人の人生を狂わせる。彼が俺にしたことよりも遥かに重い罪だ。
彼は曖昧に笑った。
「関係ないよ」
「ですが」
「関係ない。ただ俺が君のことを愛しただけだ」
心に、体に衝撃が走る。
その衝撃は、まぎれもなく歓喜だ。
嬉しいのだ。あの時も、今も。
彼に愛された、それだけが。
「俺もっ」
叫ばずにいられなかった。
「俺も隊長のことが、好きでした…っ」
言えなかった本音だった。
好きだった。圧倒的な戦術も、向けられる優しさも、暖かい掌も、全部。
ようやく、ようやく言えた告白。
達成感でいっぱいになり、彼を見上げると。
頬を赤く染め、はにかむ様な優しい笑みを浮かべていた。
泣きそうになった。
彼からの告白で嬉しかったように、彼も俺の告白でこんなにも喜んでくれるのがとても嬉しかった。
「ありがとう」
謝罪ではなく感謝の言葉。
「君に好かれた自分を、誇らしく思うよ」





たくさん話をした。
彼の生い立ちから様々な任務、そして俺と出会ったことを。10以上も年の離れた俺に恋愛感情を持ったと自覚した時は酷く狼狽したそうだ。
「ホモの上にロリコンってヒドイだろう?」
困ったように少し照れながら笑った。
決して悟られてはいけない、彼はきっと思いを受け入れてはくれないと強く思ったらしい。
そして腕の負傷。怪我の度合いでもう忍を続けられないと悟った時、それは同時に俺と二度と会えなくなることだと思った。
手が届かない、想いを受け止めてはくれない、そして二度と会えない。その負の感情が任務の興奮とまざってあんなことをしたと告白された。
「好きだったと言われて、過去形で、とても悲しかったです」
「そうだな。今では何故そう言ったのか分からない。あの時もその後も好きなはずなのに。…君を少し神格化していたのかもしれない」
「…俺はそんなたいそうなものじゃないですよ」
「そうか」
頷いたが、顔は納得していなかった。
その後忍を辞め、里を出てふらふらしていた時ここの主人に会ったらしい。腕は負傷してもその辺の一般人に比べればはるかに腕はたつ。何より主人とウマがあったそうだ。
しかし段々とその妻に惹かれ主人が亡くなりしばらくして告白したらしい。
「君のことがあったから、今度は間違えないように、ひたすら言葉を尽くした。指一本触れずに」
その姿に先に落ちたのは娘の花南らしい。
男らしくて誠実だと、彼なら新しい父親として受け入れられると言ってくれた時は涙を流した。
彼女が父親を本当の父親のように思っているのはよくわかった。彼が言うまで義理だとは思えないほど本音でぶつかっていた。
「最近は嫌われてしまってね。少し寂しいんだ」
そういう彼の顔はまさしく父親そのものだった。
「無理矢理結婚させられるって言ってましたよ」
思わず言うと吃驚された。
「花南は彼のこと好きだと思っていたんだが」
「彼の方を気を病んでいるみたいですよ」
告げ口のようだったが、本人に言っていないので許してほしい。
「彼?彼から求婚されたのにか?」
「え…っ?」
「そういえば彼も言っていたな。年が離れすぎて知り合いがいないことをいいことに自分の妻にするのは申し訳ないと。その分生活に困らせることも悲しませることもしないと土下座までして、あんなに思ってくれる彼なら任せてもいいと思っているのだが」
「は、はは…」
ほらみろ、なにが無理矢理だよ。両思いだよ馬鹿野郎。
恋は盲目だとよく言ったものだ。
お互い思っているくせに、一番大事な相手の想いに気づかないなんて。周りはみんな分かっているのに。
彼女に訪れる幸せの未来を確かに感じた。おそらくそれは近い未来だろう。
「君は、結婚してないのか」
「えぇ」
彼が少し寂しそうな顔をして、慌てて首を振る。
「でも好きな人は、います」
清々しい気分だった。
状況は何も解決していないのに。
彼がまだルカのことを好きなのか。
俺のことをどう思っているのか。
今彼の傍に誰がいるのか。
見えない彼の心境に不安しかないが、それでも心の奥底に沈めていた大きな箱は今見事に鍵が開き、ドロドロとしたものは綺麗に浄化し、キラキラと舞い上がった。
色々あったけど、彼を好きになってよかった。
好きだと言えてよかった。
「そうか。……よかった」
「はい」
「よかった」
彼は笑った。俺も笑った。



.
.



あっという間に一か月が過ぎ、任務完了のため里に戻ることになった。
延長してほしいと花南に言われたが「好きな人がいるんだ」と言うとにやにや笑われた。
あれから数日後婚約者に会った後の彼女の露骨な変化は面白いぐらいよくわかった。
ひどく浮かれて彼の惚気をたくさん聞かされた。
「うみのさんのおかげよ」
幸せそうに笑う彼女がとても誇らしかった。
「だからうみのさんも頑張って」
頬に軽くキスされた。
可愛い餞別に思わず微笑む。
「花南さん!」
叫ぶような声に振り向くと婚約者が眉を顰めてこちらを睨んでいた。あからさまの嫉妬に吃驚するが周りは慣れたものなのか苦笑している。
これで愛されていないと思っているなんてどれだけ盲目なんだよ。
うれしそうに彼の隣へ並ぶ彼女がとても幸せそうだった。
まるでそこが彼女の居場所であるようで。
とても羨ましかった。





里に戻ると一番に報告書を提出した。そしてツテとコネをフル活用して彼の本日の予定を確認すると休みだった。
自宅にいるかもしれない。
数日過ごしたあの部屋へ足早に向かった。





彼の自宅が見えた途端、カカシ先生が玄関にいた。
一か月ぶりの彼の姿にドキリと心が躍る。こんなにも好きなのだと強く思う。
だが彼は一人ではなかった。もう一人、よく知る人が立っていた。
(ルカ……)
思わず立ち止まる。
大嫌いだと叫んでいた彼女が、どうしてここに。
嫌な予感ばかりする。
遠すぎて声が聞こえない。
ゆっくり、ゆっくりと物陰に隠れながら近づく。
なんとなく真剣な二人の表情に入り込む余地がない気がして怖かった。
(まさか)
俺が一番恐れていたことが起ころうとしているのだろうか。
頭からつま先までまるで全てが心臓のようにドクドクと激しく脈打つ。
あんなに強く決意したはずなのに。
すぐさま逃げたくてたまらない。
追いかけてはくれなかった、彼。
式も手紙も一度もなかった。
逃げないでとあんなにすがってきたのに俺は耐えきれず押しのけてしまった。薄情な人だと思われたかもしれない。
せめて、願う。
せめて告白だけでもさせてほしい。
叶わなくていい。
許されなくていい。
ただどれだけ貴方を愛しているのか。
今でもこんなに愛しいと感じているか。
ゆっくり、ゆっくり二人に近づく。
「そうよ」
ルカのヒステリックな声がする。
泣いているのか、強い口調だった。
ここからでは対面しているルカの後ろ姿しか見えず、カカシ先生の表情だけはっきり見えた。
会話の内容は分からない。だけど、嫌な予感がして堪らない。
辺りは張りつめた息苦しい雰囲気が漂う。
どうか。
どうか、言わないでくれ。
何も語らないでくれ。その権利を、彼に真実を話す権利を俺にくれ。
飛び出したくて堪らないのに、足が動かない。普段なら二人とも俺の気配に気づくはずなのに、どちらもその様子は窺えない。
早く踏み出せ。声を出せ。
それだけで。
それだけで、真実を告げる声は俺のモノになるのに。
「あれは、イルカよ」
あぁ。止めてくれ。

「貴方が暮らしていたときのルカは、イルカよ」



その瞬間、彼がした表情を俺は何と呼べばいいか分からなかった。



もう、だめだ。
もう何もかもおしまいだ。
彼に見限られた。
騙されたと思われた。
彼は呆れ、軽蔑し、二度と俺と会話してくれないだろう。
足元から崩れ落ちそうなのが分かった。
そのまましゃがみこみたい。
いや、できるならこの場から逃げ出し、彼のいない所で一生を終えたい。
だが、そう思った瞬間、浮かぶのは花南の顔。
そして相楽隊長の笑顔。
分かっている。
逃げ出すのなんて簡単だ。そうして今まで逃げてきた。
でも隊長に再会して、彼の想いを聞けて、俺の想いを話して。
俺の恋心は確かに救われた。
綺麗に浄化していった。
あの時思ったのではないか。もう逃げない。何があっても、どんな結果でも俺の想いは変わらない。変えられないのだ。
右足を前に出す。
重い、重い一歩だった。
少しでも動かすと心が悲鳴をあげる。逃げろ逃げろと叫ぶ。
だが、着地した瞬間スッと心が軽くなった。
そうだ、前に進もう。
もう何も隠したりしたくない。
彼を騙していた真実は露見したが、もう一つ彼に話さなくてはいけない。

貴方を、愛しているのだと。

ズカズカとまるで彼らに聞こえるように歩く。
まず、目があったカカシ先生が目を見開き、その様子にルカが気づいて振り向き、そして同じように目を見開いた。
「イルカ」
「せんせ…」
二人とは少し距離を置いて立ち止まる。
「ただいま、戻りました」
二人の表情は未だ硬い。緊迫した空気にふうっと息を吐く。
「ルカの言った通りです。カカシ先生、騙してしまい大変申し訳ございませんでした」
「やめてよイルカ!!」
頭を下げた俺にルカが駆け寄る。
「私が、私があんなお願いしたからっ!イルカの優しさに付け込んで、私が」
「違うよ」
それだけではない。
共犯者である俺が、傷つけたカカシ先生に近づき、さらに騙した。そして自分が辛くなったから彼から逃げ出した。
ルカだけの罪ではない。
すっとカカシ先生に向き合う。
「すみませんでした。カカシ先生が望むなら、どんな罰でも償います」
頭をさげるとヒステリックにルカが叫んだ。
「やめてっ!イルカやめてよ」
「イルカ先生」
彼の、穏やかな声がした。
顔をあげると笑みを浮かべた彼がこちらを見ていた。
「おかえり、せんせ」
そう言いながら抱きしめてくれた。
じわっと涙があふれる。
おかえり、だって?
まだ、そんなこと言ってくれるのか。
まだ、ここが俺の帰る場所だって言ってくれるのか。
「待ってたよ」
彼の匂い。あんなに渇望した匂いが体中染み渡る。
「先生が帰ってくるの、ずっと待ってた」
力強い抱擁に、俺も同じぐらい抱きしめる。
貴方をこんなにも愛しているのだと伝えるように。
「ごめんね」
抱きしめながら、彼は呟く。
「あんたを傷つけて、ごめんね。覚えてなくて、ごめん」
「もういいの」
ルカが首を振った。
「私こそ、ごめんなさい。イルカを巻き込んで、騙して、本当ごめんなさい」
「いや」
ふふっとカカシ先生は笑った。
「役得だったよ」
意味の分からない会話だったが、二人は小さく笑い合った。場の雰囲気も一気に和やかになる。
抱きしめる彼を見上げると嬉しそうに笑った。
「……お幸せに」
それだけ言うとルカは去って行った。最後の言葉はどこか涙声だった気がした。
二人だけの世界に迷い込んだようで、なんだか居心地が悪い。しかも未だに抱きしめられている。
「カカシ先生」
身じろいでみても彼の腕の力は強くなるばかりだった。
「せんせ、あのね」
彼の言葉を遮るかのように体を放す。途端彼の顔がくしゃりと歪んだ。
「俺の話を聞いてくれませんか」
じっと見つめると彼の目がひどく寂しげだった。
泣きそうだ。
率直にそう感じた。
「聞きたくない」
「一言でいいんです」
そういうとグッと何かに耐えるように顔を歪ませた。
長くは話させてくれないのだろう。
逃げ出した謝罪も言い訳も受け入れてはくれないのだろう。
それでもいい。
話したいことはたくさんあるが、一番伝えたいことは一つしかない。
「俺、は」
ゴクリと唾を飲む。
口が緊張のためかカラカラだった。
言わないと。
愛をこめて、心からの言葉を。

「貴方が、好きです」

決心したはずの言葉は小さくとても頼りなかった。
沈黙が流れる。
ひどく居た堪れない。
彼の返事が怖くて俯いたままひたすら審判の時を待った。
胸は痛い。
だがどこか晴れやかだった。
(躊躇わず一思いにやってくれ…っ)
どんなに愛してるのか伝えたかったが、もう重い口はこれ以上開かなかった。
二度目の告白は酷く陳腐だった。
それでも精一杯の告白だった。
どれだけの時間が過ぎただろう。
一瞬かもしれないし、何分も経ったかもしれない。
彼から何の返事もなくもしかして幻かもしれないと顔を上げると先ほどまで笑っていたかれが無表情になり立っていた。
せめてリアクションがほしいのだが、無理なのかもしれない。
同性で身代わりの知人からの急な告白なのだから。
喋ろうと口を開こうとした瞬間。
ぽろっと彼の瞳から涙が零れた。
ぽろぽろ、ぽろぽろと流れる涙は以前見たどの涙よりも美しく輝いていた。
ぼぅっと見惚れた。
美しい人。
俺が好きになった人は、こんなにも美しい。
好きになってよかったな。
彼の泣く姿にひどく満足した。
貴方を好きになってよかった。
好きだと伝えられて、よかった。
彼への気持ちはキラキラと舞い上がる。
俺の、愛した人。
まだこの気持ちを全て浄化することはできないが。
きっと近い未来、立ち直れる。
そしたらまた以前のように、友人として彼の傍にいたい。
彼の片思いを全力で応援してあげるのだ。
「せんせ」
止まらない涙を手拭いで拭いてやる。嬉しそうな困ったような顔でなすがままの彼に思わず苦笑する。
本当はずっと。

ずっとこうやってあなたの涙を止めてあげたかったのだ。

「オレの話も聞いてくれる?とても一言じゃ収まりきれないんだけど」
涙を流しながらそう言った。綺麗な目が更にキラキラと輝いて見えた。
「ルカ…さんが、さっき教えてくれたんです。オレと昔何度か会ったこと会ったって」
「え?」
「中忍のころ、大きな戦地で。上忍になって同じ部隊で、何度か。直属の部下として働いたこともあったと言ってました」
「そう、なんですか…」
その時、何かトラブルがあったのだろうか。だからあんなにも嫌っていたのか。
カカシ先生は困ったように笑った。
「オレが好きだと、告白したこともあったそうです」
「……え?」
告白?
つまりルカはカカシ先生のこと好きだったのか。
いや、もしかして。
過去形ではないのか。
『私、好きな人がいるの。その人じゃないと結婚したくないの』
それはカカシさんだったのか。
もうずっと好きで、だからこそ潔癖までに誰にも体を許さなかった、その相手はカカシ先生だったのか。
『あの最低男っ!!なんで、なんでよっ!』
あのゾッとするような殺気は、嫌いだからではなかったのか。
そうではなく、逆の。
好きなのに。
恋い焦がれているのに。
そのことを、覚えてもいない彼への怒りか。
それなのに、同じ顔で中身が違うだけで好かれるという現実に憤怒したのか。

『あんな男嫌いよ!だいっきらい。最低、気持ち悪い!!』

あれは、精一杯の悲鳴だったのか。


「彼女には悪いことをしたと思っています。覚えてないばかりか、無神経に好きだと言って。…でも、オレはそれを聞いて」
そこで言葉を切った。
何だろうと彼の顔を覗くと、もう涙は止まっていた。
困ったように眉を下げ、どこか嬉しそうに笑っていた。


「オレは、先生しか好きになれないんだなって思って。イルカ先生もルカも、どちらも貴方だから好きになったんだ。どんな姿になったって、どうしたって好きなるんだって思えた。そんな自分が、とても、誇らしい」


「……え」
「好きです。イルカ先生。オレは貴方が、貴方だけが好きです」
「いや、でも、あの」
そんなこと考えたことなかった。
俺はずっと身代わりだった。
ルカの。
カカシ先生の好きな人の。
それが根底が全て俺だったなんて、そんなこと。
「先生が一ヶ月任務に出るって聞いて、助かったって思ってました。気持ちが暴走して止められなかった。だってずっと好きな人と一緒に暮らせるんだもん」
「カカシ先生…」
「ずっとここで待っていようと思ってました。先生がまたここに来てくれるまで、ずっと」
「来なかったらどうするんですか」
するとカカシ先生はふわっと笑った。
心から嬉しそうに。

「今度こそ好きになってもらえるように頑張るよ」


俺にそんな価値などあるのだろうか。
強くもなく顔も綺麗なわけでもなく平凡で。困っている人を見ると手を差し伸べるけど、上手くいかないし、間違ってばかりいる。初恋引きずって恋愛経験も殆どなくて、色んなことに逃げ出してしまうことだってある。
でも。
カカシ先生は選んでくれた。
初恋も、二度目の恋も。
だから俺も、彼から好かれる自分を、誇らしく思うよ。


「せんせ。帰ろう」
「はい」
彼に手を引かれ、一緒に過ごした部屋に入る。そこは以前と何一つ変わっていなかった。
それがとても嬉しかった。


「おかえり、せんせ」
「ただいまもどりました、カカシ先生」

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