何日も前からカカシさんは言った。
「14日は大事な電話があるから、一歩も外に出ないで。オレは14時まで会議だからそれまでずっと秘書室で待機していなさい。食事も会議用の弁当を置いておくから」
大事な仕事だからしっかりね。
そう言われて深く頷いた。
大事な仕事。
秘書歴二年目を前にきた大仕事に俺はいつにもなく張り切った。


14日当日。
今日は社長は14時まで会議、そのあと事務仕事を終え定時には帰る予定だ。
「イルカの手づくりチョコがほしいな」
なんて可愛いことをあのとろけるような笑みで言われている。
大事な仕事にバレンタインデー。今日は頑張らなくてはいけないことだらけだ。だが、その責任感が社会人らしくて心地よかった。
ここでいい仕事をして社長に有能な秘書として認めてもらうのだ。

「海野くん、今日は分かっているね?」
「はい社長!大事な電話があるので秘書室に待機しています。会議の準備行けなくてすみません」
「そんなことはいいの。じゃあ頑張ってね」
頬に意味有りげに触れると厳しい目つきで社長室から出て行った。少しピリピリしていた。余程大きな仕事らしい。
そんな仕事を任せられたのだ。彼の期待に応えれるよう頑張らなくては。
極力水分は避け、電話を近くに置いて事務仕事にとりかかった。


電子音がして、3コールで電話にでる。
「はい、秘書の海野です」
緊張からか、少し声がうわずった。
「あの、営業部ですが」
「社長は只今会議中です」
「あの、渡してもらいたいものがあるのですが、行ってもいいですか?」
「はい?」
資料ならメールかFAXで十分なのに、何だろう?だが断る理由もないので了解すると、数分後女子社員が数人やって来た。
「あの、これ営業部から社長に」
渡されたのは紙袋だった。その中にはギッシリと丁寧にラッピングされた箱が入っていた。
そこでようやく気がつく。
これはバレンタインデーのプレゼントだと。
さすが社長になるとこんなにもらえるのだ。勿論普段の感謝のしるしかもしれないが、何となく本気らしいものも入っている。
特に今来ている社員は、本気だろう。目が、強い光を放っていた。
「これ、一緒に渡してもらえたら」
そう言って名刺を渡された。そこには携帯の番号とアドレスが書かれている。
何となく、気分が落ち込む。
そりゃあんな凄い人がモテないわけはない。
外食している時でも何度か声をかけられているのは見たことがある。
分かっている、はずなのに。
だから少しでも彼に近づけるよう頑張っているのに。
目の前の美しい女性を見ると、戦う前から負けた気がしてしまう。
俺は、彼女たちに勝っているところなど一つもない。
手づくりがいいと強請られたが、俺にできるのは簡単なケーキかクッキーだ。そんなものより立派なチョコを買えばよかった。そうすれば、この手渡されたチョコには肩を並べられる。
(いや、関係ないか・・・)
いくら立派なチョコでも、必要なのはあげる人物だ。
本当に、彼は俺みたいな人からチョコなんてほしいのだろうか。
俺は一つでもこのチョコたちに勝てるのだろうか。

電話は次々となり結局全ての部署からたくさんのチョコを手渡された。最後に来たのは俺のかつて所属していた総務部だった。
「海野くん、お願いね」
総務部の高嶺の花、峰沢さんまで社長狙いだったとは・・・。本気で惚れていた同僚にこっそり同情した。
「相変わらず凄い量ね」
「そうですね・・・」
こんなにもらう人など初めて見た。
「去年出張で居られなかったから、余計今年は多いのね」
そう言われて去年のことを思い出す。
確かにこの時期一週間という長い出張だった。勿論俺も同行したが、一歩も外に出れずホテルでひたすら電話待機していた。
行きはわりと嬉しそうにしていたのに、出張先では忙しくホテルに帰ってくるのは深夜ばかりだった。観光地で有名なところでパンフレットまで買ってウキウキしていたのに、観光どころじゃなくなり、落ち込んでいたのかもしれない。
「新婚旅行のつもりだったのに・・・っ」と歯軋りしそうなほど悔しそうに言い、もしかしたらいつか行くであろう新婚旅行の下見に行くつもりだったのかもしれない。
そうか、あれから一年たったんだなぁ。
色々あり過ぎてなんだか懐かしい。
ふと思った。
もしかして大事な電話とはこのことなのか。
去年もらえなかったチョコをもらいたいために俺に大事な電話と言ったのか。
確かにこんなにもらえれば嬉しいだろう。
やっぱり俺からのチョコは止めよう。こんなにもらえる人に手づくりなんて惨めだ。
「はい、これ。海野くんに」
「え?」
ぼーっとしていたが、峰沢さんの手には可愛らしい箱が握られていた。
「総務部からね」
「わぁ、ありがとうございます。俺、母親以外から初めてもらいました」
生まれて初めてのチョコ。勿論義理だろうが、とても嬉しかった。
喜んでいる俺に峰沢さんは怪訝そうな顔をした。
「え?でも海野くん狙ってる子結構いるのに」
「えー、いませんよ。そんな話聞いたことないですし」
「そう、かしら?」
ふぅんとあまり納得していない声で言われたが、俺はチョコに夢中だった。
確かに嬉しい。義理でも嬉しいのだから、本命なんてすっごく嬉しいのだろうな。
ちらっと紙袋の山を見る。
羨ましい。
それは貰えたカカシに対してか、好意を率直に伝えられる彼女たちか、分からなかった。


14時を少し過ぎた頃、内線が鳴り社長から珈琲を頼まれた。
ついでに社長宛の小さめのチョコを乗せ、社長室に向かう。
「お疲れ様です」
「うん、疲れたー」
眼鏡を外していたので今はオフなのだろう。
ソファーに座り隣に座るようバンバンと叩いた。
「珈琲です」
「・・・何これ?」
チョコを持ち上げしげしげと見る。
「チョコですよ。バレンタインデーの」
途端嬉しそうにこちらを見た。
「えー、手づくりがいいって言ったのに。買っても嬉しいけど手づくりも作ってね」
もーっ、と言いながらも頬が緩んでいる。やはり嬉しかったのだ。手づくりが好きなら手づくりのを出してあげれば良かった。今からでも持ってきた方がいいだろうか。
「手づくりの持ってきましょうか?」
「え?もうあるの?」
いるいるーっと嬉しそうに笑う。
ずきっと心が傷んだが、当たり前だと自分に言い聞かせる。
誰だって好意は嬉しい。
付き合っているからと言っても、その感情を出すなという方がおかしいのだ。
紙袋から手づくりっぽいのを選ぶ。
綺麗なカップケーキだった。おそらく必死で作ったのだろう。メッセージカードまでついていた。
ツンっと鼻が痛くなったが、首を振る。
泣くな、俺。
泣けば泣くだけ惨めだった。
社長室に戻りカップケーキを渡すと更に破顔した。デレデレと嬉しそうに袋をあけ、付いていたメッセージカードを開いた。
途端、彼の顔は凍りついた。
「・・・・・・何、これ」
何か変な事が書かれていたのだろうか。
「どうしました?」
「これ!ゆりって誰?何なの!?」
何、と言われてもバレンタインデーの贈り物ではないか?
「イルカ!今日は大事な電話があるって言ったよね!?」
「はい。秘書室で待機していましたが、次々と持ってこられましたよ」
「も、てきた・・・?」
愕然とした表情で俺を見ると、ハッとなり慌てて秘書室に向かった。あまりに突然のことで、少し遅れて後を追った。
秘書室でカカシさんは紙袋を漁っていた。思わぬ奇行にどう言葉をかけていいのか分からず呆けていた。
「くそっ、せっかく閉じ込めていたのに・・・っ」
ぞんざいにチョコを扱い、足もとに散らばるが気にせず漁る。
「イルカ!イルカのはどれっ!!」
「え?俺のですか」
なんでそうなるのか分からないが、言われたとおり唯一もらったものを鞄から出した。
瞬間、すごい顔をしたカカシさんがチョコを奪った。
「なんでこんな物もらうの?」
「え?え?」
「これってどうみても賄賂でしょ?こういうのは受け取らないの!いらないって突き返すの!」
「でも、せっかくの好意なのに・・・」
「好意じゃない!賄賂なの!これを受け取って後からこれをネタに昇進させてって言われたらどうするの!?できないのに受け取ったら約束とちがうって訴えられるよ?食べたら返せないでしょ!?こういうのは恋人以外からもらっちゃいけないの!」
「そんな・・・」
知らなかった。バレンタインデーとは意中の相手に愛の告白するためか、日頃の感謝を込めての贈り物としか認識していなかった。
でも確かにそう言われたらその通りかもしれない。好意だと渡され、数日後にこのことをネタに何か頼まれたら食べてしまっているので返しようがない。なんて恐ろしいことだ。
日頃から人から物を貰うな、笑顔を振りまくな、勘違いさせるなと言われていたのに、イベントだと油断してしまった。
そうか、大事な電話とはこれを断ることだったのだ。なのに気楽に受け取り、初めてもらえたチョコに浮かれていたなんて。
秘書失格だ。
せっかくカカシさんが期待してくれたのに。
「ごめんなさ・・・っ」
ぽろっと涙が溢れてきた。
みっともない。
こんな簡単なことすらできないなんて。
うっうっと嗚咽すると、はぁっとため息を付かれて抱きしめてくれた。
「オレもキチンと言ってなかったから悪かったよ。でも今度から気をつけてね。こういうのはもらっちゃダメなの。イルカは恋人のオレにしかチョコをもらってもダメだし、あげてもダメなんだよ。分かる?」
「はい・・・」
世間知らず過ぎて悲しくなる。なんでもっと常識を知らないんだろうか。もっと勉強しなければ。
せめて彼の役に立てるぐらいには。
「これはオレが返しておくから」
「そんな・・・っ!社長に、そんなことさせれません」
「いーのいーの。オレからきちんと忠告しないといけないから、ね」
一瞬とても鋭い顔をした。まるで誰かを威嚇するような厳しい目だった。
「今日は帰るよ」
「えっ、でも・・・」
仕事が・・・というと、いーのいーのと軽い調子で言う。
「イルカに秘書として大事なこと教えてあげるから」
「大事なこと、ですか」
「そっ。そろそろ覚えてほしいことがあるからね」
それはまだ期待されている、ということだろうか。
こんな失態をした俺に、まだカカシさんは期待してくれているんだ。
「お、俺頑張りますっ!」
「ん」
帰り支度をしている俺の背後でチョコを見つめながらカカシさんはため息をついた。
「まったく。害虫駆除も大変だなぁ」
オレが害虫駆除をし終わるのと、彼を洗脳するのとどちらが早いだろう。
素直で何でも聞き入れてくれるが、たまに天然でふわふわと危ないところがある。少しでも目を離せばどこかへ飛んでいきそうだ。そうならないよう一瞬でも彼を手放す気にはならないけど。
人から物を貰うなと洗脳できたと思ったのに、こんなに簡単にもらうなんてまだまだ足りないのかもしれない。今日はキッチリと教えこまないと。


何事もキッチリ徹底的にこなし、一瞬も油断しない。それが経営者、畑カカシ。世間知らずのイルカが彼の本性に気がつくことはまだ先、なのかもしれない。
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