それから、彼は宣言通り暇さえあれば俺のそばにくっつき、人目も憚らず抱きついたり愛を囁いたりした。それだけではなく、彼に近づく人間は誰であろうと威嚇した。触れようとすればクイナを抜いたときにはさすがに慌てた。
彼の評価が下がると思い、そこまでしなくてもいいと何度も言ったが素なのか特別何もしていないと言われ、返す言葉もなかった。
任務が終われば俺の部屋に帰り、寝食を共にして任務に出立する。帰還が遅れればわざわざ式を飛ばした。
俺が好きだと言った菓子はあの地に任務の度にリュックいっぱい買ってくれた。そんなに食べれないと言ってもリュックいっぱい買ってくる。
それだけではなく時間があれば任務先で珍しい食べ物を買ってくるようになった。温泉が好きだと知れば各地の温泉のもとも買ってくるようになった。
それを俺がリュックから取り出しぎゅっと抱きしめると、彼は目をキラキラさせて喜んだ。
その顔が大好きだった。
「ただいまー」
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
最近見慣れた大きく膨れたリュックを受け取る。
「お土産あるよ」
そう言いながらぎゅっと目を細めた。俺も笑い、リュックを開ける。
中には温泉のもとが入っていた。一つを取り出しぎゅっと抱きしめる。
「ありがとうございます」
丁度前もらったのがきれたところだった。
さっそく今日使おうと箱を見る。
そこには見覚えのある地域の名前が書いてあった。
「今回行ったところ、秘湯があるんだって。知ってる?そんなに遠いところじゃないしさ、今度休みが取れたら一緒にいこ?」
その台詞は、前にも聞いたことがある。
彼ではなく、あの人から。
叶わなかった、約束だった。
泣きそうになるのをぎゅっと耐える。
あの人のことを忘れたわけではなかった。でも彼との穏やかな生活に見失いそうになる。
俺は捨てられるべき相手だったのに。
「イルカ?」
呼ばれてハッとなる。
そんなこと彼に悟らせてはいけない。
彼は誠実に俺と向き合ってくれているのだから。
「いえ、休み合えばいいんですけど」
「合わすよ。大丈夫。上層部脅しても取るからさ」
「脅さなくても」
クスクス笑う。綺麗に笑えたと思う。
「明日は休みですか」
「んー。それがさーちょっと病院行かなきゃいけないらしい」
「…どこか悪いんですか」
慌てて駆け寄り彼の体を隅々まで見渡すと違う違うとクスクス笑われた。
「頭。記憶のことについて本格的に治すらしい」
一瞬にして頭が真っ白になった。
血の気は下がり、身体が震える。
もう、何か月もたつのに。
今更、今更何だというのか。
「イルカ…?」
心配そうにのぞき込む彼に反応できる余裕などなかった。
もし、記憶がもどればどうなってしまうのだろう。
こんな穏やかで幸せな日々はなくなってしまうのだろうか。
それなら、いらない。
優しいあの人なんかいらない。
「い、やです」
「イルカ?」
「嫌です。嫌だ。行かないでください、記憶なんていりませんっ!いらないっ!俺には、貴方さえいれば…っ」
暴れるかのような俺を抱きかかえ、頭を撫でてくれる。
「イルカ落ち着いて、ね。記憶が戻ったって今の記憶はなくなるわけじゃない。前の記憶が戻るだけで今のオレだから。イルカの傍から離れないよ」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
「嫌です。絶対嫌です」
記憶が戻れば捨てられる。
俺は貴方に捨てられるんだ。
「お願いします、断って。お願い、お願い…」
彼の胸に頭を押しつけて溢れ出てくる涙を流す。
分かっている。そんなの無理だ。上の命令は絶対。いくら彼が強いだろうが、所詮ただの忍だ。
何もかもおしまいだ。
おしまいにしなければならない。
「……あのさーイルカ。答えたくないなら答えなくてもいいけど」
頭を撫でながら静かな声で言われた。
「イルカの元カレって、オレ?」
それは疑問ではなく確信だった。
隠し通せる術は、ない。
「……はい」
素直に頷くと、彼は喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な顔をした。
「なんで隠したの?」
「……言っても混乱させると思って」
嘘ではないが、それだけではない。
彼は困ったように頭を掻いた。
「あんなに悩んだのに。バカみたい」
はぁとため息をつくと胸から放して俺と向き合う。
「それで?アンタが無理矢理お願いして付き合ってるって?」
「……長期任務を」
「あぁ、あの手?それで?好きでもない奴が長期任務に行くからって俺が同情して付き合ったって?」
冗談デショと口だけで笑った。
「オレがそんな博愛主義に見えるの?」
「……優しい人でしたから」
「何それ?今のオレは優しくないって言いたいの?」
「そういう訳では……」
ふーんとまるで責められているようだ。答えられなくて俯く。
「オレ、悪いけど同情なんかで男と付き合うような人間じゃないから」
「…友人のような関係でしたから」
「友人と恋人の区別ぐらいつきますー。アンタ、オレのコト崇拝しすぎじゃナイ?オレなんてただの男でーすよ」
俺だって。
俺だってそうだといいと何度思ったか。
「貴方が言ったじゃないですか」
「はぁ?」
「最悪だって。俺が惚れてるからって甘えてるって。気のあるそぶりして、アンタを振り回して弄んでるって」
そう言うと嫌そうな顔をした。
ほらみろ。アンタが言ったじゃないか。他でもないアンタが俺たちの事否定したじゃないか。
「あれはアンタがいつまでも元カレのこと引きずってたからデショ!オレがいるのに!元カレ下げてオレの印象上げる健気な男の作戦なのっ!言わせないでよ、恥ずかしい」
そういうと顔を真っ赤にさせてそっぽを向いた。
ポカンとしているとムッとされてキスされた。
「正直、アンタの話聞いて早く元カレから離したくて堪らなかった。外で食べるだけ、家まで送るけど上がらない、キスもろくにしない。怖くて手が出せないからだよ。嫌われるのが怖くてどう関係を進めようか試行錯誤している。本気中の本気。そんな相手に心底惚れているアンタを手に入れるには相手殺すぐらいしか思いつかなかった」
キスをしながら、真剣な目をギラギラさせて言う。
「オレが相手でよかった」
消えるような小さな声でまるで祈るかのように呟いた。
彼は力強く抱きしめてくれているのに、俺は抱きしめられない。
彼のように思わなかったわけではない。
そうだといい、そうならいいと思っていた。
だけど確証はない。
彼の気持ちを知るには彼に聞くしかなかった。だが聞いてしまえば、もし違っていれば立ち直れない。
聞かなければ、もしかしたら好意をもっていたのだと憶測できる。
だからはっきりとした答えを欲してなかったのだ。
曖昧のまま、俺の恋人として永遠に心の中にいてくれれば良かった。
だけど、もし。
もし彼の好意を表す何かがあれば。
彼の内情を知る人でもいれば。
俺は彼の言葉を信じられるのに。
「…信じられないんです」
ごめんなさいと呟くと、長い沈黙に包まれた。
ふぅっとため息をつくと、彼は立ちあがった。
「一つだけ、アテがある」
ちょっと行ってくると玄関から出て行った。
あまりにも突然すぎて止める暇もなかった。
どこへ行くつもりなのだろう。
彼との関係を示すものなど何度思い直してもない。あるのは俺の記憶だけ。彼にも何度もそう言っていた。
それとも面倒になり、出て行ったのだろうか。
グズグズと過去に拘り引きずっていると呆れられたのだろうか。
じわっと涙が溢れ出る。
さっきは温かい彼の胸で泣けたのに、今は誰もいない。
何もいらない。
彼さえいればいい。
記憶も、あの人もいらないのに。
そう願うことはいけないことだろうか。
今までの生活に変化など、望んでいないのに。
「カカシさん…」
どちらともとれる名前を呼ぶ。愛しい人は過去も今も彼だけだ。
「カカシさん、行かないで…」
どこにも行かないで。俺の傍から離れないで。ずっと一緒にいて。俺の事愛して。
ねぇ、カカシさん。
貴方のことを本気で愛しているんだ。
「行かないで。ずっと傍にいて、俺の事好きになって。好きだって言って」
本当はずっと。
ずっと、貴方にそう言いたかった。
再び玄関の扉が開いたとき、ポカンとしてその場から動けなかった。呆然と見上げる俺を彼は苦笑して近づいた。
「アンタ、また泣いてたの?」
泣き虫だねと笑いながら抱きしめてくれた。
「カカシさん…」
「うん」
「カカシさん、カカシさんっ」
抱きつく俺の頭を撫でる。
「どこにも行かないで」
「何よ、ちょっと離れてただけじゃナイ」
「呆れられたって。面倒だから見捨てられたかと…」
「本当、アンタって後ろ向き。オレってもっと寛大だーよ。そんなことで見捨てるわけないじゃナイ」
よーしよしと子どもを慰めるように頭を撫でてくれる。それだけで涙が止まらない。
「あのさ。オレの本当の気持ち、知りたい?」
どういう意味だろう。彼を見上げると複雑そうな顔をしている。
いい意味とも悪い意味ともとれなかった。
不安が体中を廻る。
「アンタが知って喜ぶかどうか、分かんないんだけど」
「―――いいですっ!!」
思わず叫ぶ。
「いりません!知りたくなんかない!!」
彼の体から無理矢理離れ、力いっぱい叫んだ。
それは、きっと、悪い知らせなんだ。
やっぱり好かれてなどいなかったんだ。
同情だったんだ。
俺の事捨てるつもりだったんだ。
「本当に?」
彼は近づくこともなく、冷静に静かな声で聞いた。
「本当に、知らなくていい?このままでいい?」
真剣な表情の意味など分からなかった。
彼は一体何を見つけたのだろう。
それは一体どういう意味なのだろう。
「……それは、良い物、なんですか…?」
そう言うと困ったように笑った。
「なんとも言えない。アレを見てイルカが喜ぶか悲しむか。……どう思うか、全然分からない」
そんなものあるのだろうか。
彼のはっきりしない答えにボンヤリと思う。
喜びとも悲しみともとれない複雑な、モノ。
それはまるで心の中のようではないか。
見たい。
ただ一度も見せてくれなかったあの人の心を見たい。
「―――もし」
複雑そうに立ち尽くす彼の手を取る。
「もし、そこに俺が望む様なモノがなくても、……貴方はこれからも傍にいてくれますか?」
卑怯な言い方だ。
だけど保険がほしい。
あの人に好かれていなかったとしても。
例え同情で付き合ってくれていたとしても。
今ここにいる彼には、この先もこのままでいてほしい。
俺の事を好きでいてほしい。
それが記憶を取り戻すまでの僅かな時間でも。
貴方に確かに愛されていたのだと、思っていたい。
彼はフッと笑った。
「当たり前デショ」
手放すはずないデショと手を握り返してくれた。
「……オレこそ、何を見ても見捨てないでほしい」
彼の呟きの意味は、俺には分からなかった。
連れてこられたのは彼の部屋だった。
上忍専用の綺麗なマンションだった。
初めて入る部屋はとてもシンプルで無機質だった。まるで生活感がない。ここ何か月も彼は帰っていないので当然かもしれないがここはまるで寝に戻るだけの部屋のようだった。それほど必要最低限のモノしかなかった。
「こっち」
手を引かれさらに奥へと連れてこられる。
そこには隠すように小さなドアがあった。
ドアを開けようと手を伸ばすとその上から彼が手を置いた。
「ねっ。これを見てもオレの傍にいてくれるって約束して」
まるでそれは先ほど俺が言った言葉のようだった。
「当たり前です」
きっぱりと答えると彼は小さく笑った。
よく見ると手が小さく震えていた。
「カカシさん…?」
「約束。絶対だよ」
ドアを開けると辺りは真っ暗だった。
一歩前へ進むと何か紙を踏んだ。足を上げた瞬間、部屋に電気がついた。
その部屋一面に。
隙間なく。
俺の写真が飾られていた。
「は…?え…?」
集合写真から隠し撮りともいえるような目線があっていない物、更には幼いころの写真までびっしりと。
慌てて足を上げたところにも写真が束のようになっていた。
「気持ち悪い?」
彼の静かな声が響く。
「アンタを好きじゃないなんて嘘だ。こんなに好き過ぎて、怖くて手も出せなかった。―――ねぇ、気持ち悪い?」
彼は一歩も部屋には入ってこなかった。
後ろから震えた細い声がする。
「オレの事、嫌いにならないで」
消えそうな頼りない声。
俺は振り返らず足元にあった写真を手に取る。
ああ。
ああ、ああ。
嬉しいと素直に思った。
嬉しい。
彼の関心が俺に向いていて嬉しい。
あの人に好かれているというこれ以上ない確かな証拠だ。
彼の心境を想えば複雑だろう。ようやく彼が言っていた意味が分かった。
確かにこんな執着見られたくないだろうな。
それでも、不安がる俺のために彼は露見してくれた。これこそ隠しようのない彼の心の本心だろう。
愛されていたんだ、俺は、あの人に。
ようやく、前へ進めそうだ。
彼のことを、あの人のことを信じられそうだ。
「イルカ」
彼が俺の名前を呼んだ。
「遅くなったけど、大事な話があるんだ」
振り返るとそこには。
そこには優しい目をした彼が立っていた。
もう何も恐れることはない。
彼の言葉も、本心も。
もう可笑しくて可笑しくて声を上げて笑いながら彼に抱きつく。
ようやく、貴方を抱きしめられる。
彼も同じように力強く抱きしめてくれた。
「聞いてくれる?」
「あのね、イルカ。オレずっと、ずーっと前からイルカのことがーーーーー」
彼の評価が下がると思い、そこまでしなくてもいいと何度も言ったが素なのか特別何もしていないと言われ、返す言葉もなかった。
任務が終われば俺の部屋に帰り、寝食を共にして任務に出立する。帰還が遅れればわざわざ式を飛ばした。
俺が好きだと言った菓子はあの地に任務の度にリュックいっぱい買ってくれた。そんなに食べれないと言ってもリュックいっぱい買ってくる。
それだけではなく時間があれば任務先で珍しい食べ物を買ってくるようになった。温泉が好きだと知れば各地の温泉のもとも買ってくるようになった。
それを俺がリュックから取り出しぎゅっと抱きしめると、彼は目をキラキラさせて喜んだ。
その顔が大好きだった。
「ただいまー」
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
最近見慣れた大きく膨れたリュックを受け取る。
「お土産あるよ」
そう言いながらぎゅっと目を細めた。俺も笑い、リュックを開ける。
中には温泉のもとが入っていた。一つを取り出しぎゅっと抱きしめる。
「ありがとうございます」
丁度前もらったのがきれたところだった。
さっそく今日使おうと箱を見る。
そこには見覚えのある地域の名前が書いてあった。
「今回行ったところ、秘湯があるんだって。知ってる?そんなに遠いところじゃないしさ、今度休みが取れたら一緒にいこ?」
その台詞は、前にも聞いたことがある。
彼ではなく、あの人から。
叶わなかった、約束だった。
泣きそうになるのをぎゅっと耐える。
あの人のことを忘れたわけではなかった。でも彼との穏やかな生活に見失いそうになる。
俺は捨てられるべき相手だったのに。
「イルカ?」
呼ばれてハッとなる。
そんなこと彼に悟らせてはいけない。
彼は誠実に俺と向き合ってくれているのだから。
「いえ、休み合えばいいんですけど」
「合わすよ。大丈夫。上層部脅しても取るからさ」
「脅さなくても」
クスクス笑う。綺麗に笑えたと思う。
「明日は休みですか」
「んー。それがさーちょっと病院行かなきゃいけないらしい」
「…どこか悪いんですか」
慌てて駆け寄り彼の体を隅々まで見渡すと違う違うとクスクス笑われた。
「頭。記憶のことについて本格的に治すらしい」
一瞬にして頭が真っ白になった。
血の気は下がり、身体が震える。
もう、何か月もたつのに。
今更、今更何だというのか。
「イルカ…?」
心配そうにのぞき込む彼に反応できる余裕などなかった。
もし、記憶がもどればどうなってしまうのだろう。
こんな穏やかで幸せな日々はなくなってしまうのだろうか。
それなら、いらない。
優しいあの人なんかいらない。
「い、やです」
「イルカ?」
「嫌です。嫌だ。行かないでください、記憶なんていりませんっ!いらないっ!俺には、貴方さえいれば…っ」
暴れるかのような俺を抱きかかえ、頭を撫でてくれる。
「イルカ落ち着いて、ね。記憶が戻ったって今の記憶はなくなるわけじゃない。前の記憶が戻るだけで今のオレだから。イルカの傍から離れないよ」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
「嫌です。絶対嫌です」
記憶が戻れば捨てられる。
俺は貴方に捨てられるんだ。
「お願いします、断って。お願い、お願い…」
彼の胸に頭を押しつけて溢れ出てくる涙を流す。
分かっている。そんなの無理だ。上の命令は絶対。いくら彼が強いだろうが、所詮ただの忍だ。
何もかもおしまいだ。
おしまいにしなければならない。
「……あのさーイルカ。答えたくないなら答えなくてもいいけど」
頭を撫でながら静かな声で言われた。
「イルカの元カレって、オレ?」
それは疑問ではなく確信だった。
隠し通せる術は、ない。
「……はい」
素直に頷くと、彼は喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な顔をした。
「なんで隠したの?」
「……言っても混乱させると思って」
嘘ではないが、それだけではない。
彼は困ったように頭を掻いた。
「あんなに悩んだのに。バカみたい」
はぁとため息をつくと胸から放して俺と向き合う。
「それで?アンタが無理矢理お願いして付き合ってるって?」
「……長期任務を」
「あぁ、あの手?それで?好きでもない奴が長期任務に行くからって俺が同情して付き合ったって?」
冗談デショと口だけで笑った。
「オレがそんな博愛主義に見えるの?」
「……優しい人でしたから」
「何それ?今のオレは優しくないって言いたいの?」
「そういう訳では……」
ふーんとまるで責められているようだ。答えられなくて俯く。
「オレ、悪いけど同情なんかで男と付き合うような人間じゃないから」
「…友人のような関係でしたから」
「友人と恋人の区別ぐらいつきますー。アンタ、オレのコト崇拝しすぎじゃナイ?オレなんてただの男でーすよ」
俺だって。
俺だってそうだといいと何度思ったか。
「貴方が言ったじゃないですか」
「はぁ?」
「最悪だって。俺が惚れてるからって甘えてるって。気のあるそぶりして、アンタを振り回して弄んでるって」
そう言うと嫌そうな顔をした。
ほらみろ。アンタが言ったじゃないか。他でもないアンタが俺たちの事否定したじゃないか。
「あれはアンタがいつまでも元カレのこと引きずってたからデショ!オレがいるのに!元カレ下げてオレの印象上げる健気な男の作戦なのっ!言わせないでよ、恥ずかしい」
そういうと顔を真っ赤にさせてそっぽを向いた。
ポカンとしているとムッとされてキスされた。
「正直、アンタの話聞いて早く元カレから離したくて堪らなかった。外で食べるだけ、家まで送るけど上がらない、キスもろくにしない。怖くて手が出せないからだよ。嫌われるのが怖くてどう関係を進めようか試行錯誤している。本気中の本気。そんな相手に心底惚れているアンタを手に入れるには相手殺すぐらいしか思いつかなかった」
キスをしながら、真剣な目をギラギラさせて言う。
「オレが相手でよかった」
消えるような小さな声でまるで祈るかのように呟いた。
彼は力強く抱きしめてくれているのに、俺は抱きしめられない。
彼のように思わなかったわけではない。
そうだといい、そうならいいと思っていた。
だけど確証はない。
彼の気持ちを知るには彼に聞くしかなかった。だが聞いてしまえば、もし違っていれば立ち直れない。
聞かなければ、もしかしたら好意をもっていたのだと憶測できる。
だからはっきりとした答えを欲してなかったのだ。
曖昧のまま、俺の恋人として永遠に心の中にいてくれれば良かった。
だけど、もし。
もし彼の好意を表す何かがあれば。
彼の内情を知る人でもいれば。
俺は彼の言葉を信じられるのに。
「…信じられないんです」
ごめんなさいと呟くと、長い沈黙に包まれた。
ふぅっとため息をつくと、彼は立ちあがった。
「一つだけ、アテがある」
ちょっと行ってくると玄関から出て行った。
あまりにも突然すぎて止める暇もなかった。
どこへ行くつもりなのだろう。
彼との関係を示すものなど何度思い直してもない。あるのは俺の記憶だけ。彼にも何度もそう言っていた。
それとも面倒になり、出て行ったのだろうか。
グズグズと過去に拘り引きずっていると呆れられたのだろうか。
じわっと涙が溢れ出る。
さっきは温かい彼の胸で泣けたのに、今は誰もいない。
何もいらない。
彼さえいればいい。
記憶も、あの人もいらないのに。
そう願うことはいけないことだろうか。
今までの生活に変化など、望んでいないのに。
「カカシさん…」
どちらともとれる名前を呼ぶ。愛しい人は過去も今も彼だけだ。
「カカシさん、行かないで…」
どこにも行かないで。俺の傍から離れないで。ずっと一緒にいて。俺の事愛して。
ねぇ、カカシさん。
貴方のことを本気で愛しているんだ。
「行かないで。ずっと傍にいて、俺の事好きになって。好きだって言って」
本当はずっと。
ずっと、貴方にそう言いたかった。
再び玄関の扉が開いたとき、ポカンとしてその場から動けなかった。呆然と見上げる俺を彼は苦笑して近づいた。
「アンタ、また泣いてたの?」
泣き虫だねと笑いながら抱きしめてくれた。
「カカシさん…」
「うん」
「カカシさん、カカシさんっ」
抱きつく俺の頭を撫でる。
「どこにも行かないで」
「何よ、ちょっと離れてただけじゃナイ」
「呆れられたって。面倒だから見捨てられたかと…」
「本当、アンタって後ろ向き。オレってもっと寛大だーよ。そんなことで見捨てるわけないじゃナイ」
よーしよしと子どもを慰めるように頭を撫でてくれる。それだけで涙が止まらない。
「あのさ。オレの本当の気持ち、知りたい?」
どういう意味だろう。彼を見上げると複雑そうな顔をしている。
いい意味とも悪い意味ともとれなかった。
不安が体中を廻る。
「アンタが知って喜ぶかどうか、分かんないんだけど」
「―――いいですっ!!」
思わず叫ぶ。
「いりません!知りたくなんかない!!」
彼の体から無理矢理離れ、力いっぱい叫んだ。
それは、きっと、悪い知らせなんだ。
やっぱり好かれてなどいなかったんだ。
同情だったんだ。
俺の事捨てるつもりだったんだ。
「本当に?」
彼は近づくこともなく、冷静に静かな声で聞いた。
「本当に、知らなくていい?このままでいい?」
真剣な表情の意味など分からなかった。
彼は一体何を見つけたのだろう。
それは一体どういう意味なのだろう。
「……それは、良い物、なんですか…?」
そう言うと困ったように笑った。
「なんとも言えない。アレを見てイルカが喜ぶか悲しむか。……どう思うか、全然分からない」
そんなものあるのだろうか。
彼のはっきりしない答えにボンヤリと思う。
喜びとも悲しみともとれない複雑な、モノ。
それはまるで心の中のようではないか。
見たい。
ただ一度も見せてくれなかったあの人の心を見たい。
「―――もし」
複雑そうに立ち尽くす彼の手を取る。
「もし、そこに俺が望む様なモノがなくても、……貴方はこれからも傍にいてくれますか?」
卑怯な言い方だ。
だけど保険がほしい。
あの人に好かれていなかったとしても。
例え同情で付き合ってくれていたとしても。
今ここにいる彼には、この先もこのままでいてほしい。
俺の事を好きでいてほしい。
それが記憶を取り戻すまでの僅かな時間でも。
貴方に確かに愛されていたのだと、思っていたい。
彼はフッと笑った。
「当たり前デショ」
手放すはずないデショと手を握り返してくれた。
「……オレこそ、何を見ても見捨てないでほしい」
彼の呟きの意味は、俺には分からなかった。
連れてこられたのは彼の部屋だった。
上忍専用の綺麗なマンションだった。
初めて入る部屋はとてもシンプルで無機質だった。まるで生活感がない。ここ何か月も彼は帰っていないので当然かもしれないがここはまるで寝に戻るだけの部屋のようだった。それほど必要最低限のモノしかなかった。
「こっち」
手を引かれさらに奥へと連れてこられる。
そこには隠すように小さなドアがあった。
ドアを開けようと手を伸ばすとその上から彼が手を置いた。
「ねっ。これを見てもオレの傍にいてくれるって約束して」
まるでそれは先ほど俺が言った言葉のようだった。
「当たり前です」
きっぱりと答えると彼は小さく笑った。
よく見ると手が小さく震えていた。
「カカシさん…?」
「約束。絶対だよ」
ドアを開けると辺りは真っ暗だった。
一歩前へ進むと何か紙を踏んだ。足を上げた瞬間、部屋に電気がついた。
その部屋一面に。
隙間なく。
俺の写真が飾られていた。
「は…?え…?」
集合写真から隠し撮りともいえるような目線があっていない物、更には幼いころの写真までびっしりと。
慌てて足を上げたところにも写真が束のようになっていた。
「気持ち悪い?」
彼の静かな声が響く。
「アンタを好きじゃないなんて嘘だ。こんなに好き過ぎて、怖くて手も出せなかった。―――ねぇ、気持ち悪い?」
彼は一歩も部屋には入ってこなかった。
後ろから震えた細い声がする。
「オレの事、嫌いにならないで」
消えそうな頼りない声。
俺は振り返らず足元にあった写真を手に取る。
ああ。
ああ、ああ。
嬉しいと素直に思った。
嬉しい。
彼の関心が俺に向いていて嬉しい。
あの人に好かれているというこれ以上ない確かな証拠だ。
彼の心境を想えば複雑だろう。ようやく彼が言っていた意味が分かった。
確かにこんな執着見られたくないだろうな。
それでも、不安がる俺のために彼は露見してくれた。これこそ隠しようのない彼の心の本心だろう。
愛されていたんだ、俺は、あの人に。
ようやく、前へ進めそうだ。
彼のことを、あの人のことを信じられそうだ。
「イルカ」
彼が俺の名前を呼んだ。
「遅くなったけど、大事な話があるんだ」
振り返るとそこには。
そこには優しい目をした彼が立っていた。
もう何も恐れることはない。
彼の言葉も、本心も。
もう可笑しくて可笑しくて声を上げて笑いながら彼に抱きつく。
ようやく、貴方を抱きしめられる。
彼も同じように力強く抱きしめてくれた。
「聞いてくれる?」
「あのね、イルカ。オレずっと、ずーっと前からイルカのことがーーーーー」
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