カカシさんは、優しい目をしていた。


地位が違う、接点などほとんどない俺に対して優しく親切に扱ってくれた。
初めは教え子を介して。それから親しい友人として。
あの優しい目に俺が映し出されているのかと思うとそれだけで舞い上がった。
幸せだった。
カカシさんの傍にいれて。同じ時間を共有できて。
それがいつの間にか恋へと変化した時、俺はひどく狼狽し、悲しかった。
叶うはずない。
でも想いは募る一方でそれが苦しくなり、ついに溜めきれなくなった時、俺は玉砕覚悟の告白と同時に遠方の任務をいれた。友人として傍にいた者がそんな気持ちでいたと知れば彼は気持ち悪がるだろうと思って。なにより振られてカカシさんの姿が見えるのは耐えられなかった。
なのに、彼は頷いてくれて。
決まりかけていた遠方の任務をなかったことにした。
「先生は里にいてほしいから」
言葉少ないカカシさんが優しく笑いながら言ってくれたその一言が嬉しくて泣いた。
でも、冷静に考えればあれはあの人なりの優しさだったのかもしれない。
俺が自暴自棄になっていたのを気にして無理に付き合ってくれたのかもしれない。
遠方の任務は無期限で、もう二度と里には帰れないかもしれないというものだったから。
その結論に気づいたとき、カカシさんの優しさに泣いた。
俺を里に残すため己を殺して付き合ってくれる。
最初はそれでもよかった。
それでも俺はカカシさんを手に入れた。
だが、それに永遠と甘んじるのは止めようと思った。近いうちにいい夢が見れたと、カカシさんを解放しようと思った。
そしてカカシさんが不利にならないよう付き合いは徹底的に隠した。カカシさんが望めばなんでもするつもりだったが、あの人は何も望まなかった。だから俺も何も望まなかった。
一か月の付き合いは友人関係の時と変わらず、空いた時間に夕食を共にするだけ。
そして、先日の任務の前に現れたカカシさんが真剣な顔をしたときこの夢のような時間の終わりを告げられた気がした。
頷く俺にひどく安心して、初めて口づけしてくれた。
それは最後の餞別のような気がした。





「初めてだったんだね」
どこか嬉しそうな声が聞こえた気がした。
ボンヤリとした意識の中で体中が悲鳴をあげた。
性急で激しく、まるで嵐のような交わりだった。
「今日もまた来るから、それまでにきちんと恋人とは別れていてね」
それだけ言うとドアが閉まる音がした。
朝日が立ちこむ部屋で傷む体で横たわりながら小さく笑った。
ようやく。
ようやく、彼が望んでくれた。
カカシさんではないけど、体は一緒だ。

やっと甘い夢を見せてもらった恩が返せる。
やっと優しい彼に付け込んだ罪を罰せられる。

誰でもない、彼自身に。






宣言通り夕食を作っていると彼がやってきた。
「どうぞ」
俺は抵抗もせず中に通し、料理を並べるとひどく吃驚した顔をした。
「…何?やけにサービスいいね」
からかうような口調だったが気にせず準備していると腕をとられた。
「こんなことしても、ヤることはかわらないよ」
「ええ、分かっていますよ。食べないなら片づけるので言ってください」
そう言うと面白くなさそうに舌打ちすると腕を放してくれた。
「……ねぇ、アンタ本当に恋人いるの?誰に聞いても知らないらしいんだけど」
それはそうだ。誰にも言っていないのだから。
ここはあえていないと言うべきだろうか。
「……」
それがいいのは分かっている。
分かっているけど、今いないと言ってしまえば本当になかったことになりそうで怖かった。
カカシさんと付き合っていた唯一の証拠は俺の記憶だけだ。それを否定してしまったら何も残らない気がした。
「俺が、無理にお願いして付き合ってもらったようなものですから」
「何それ。それって付き合ってるの?」
その問いには答えられず苦笑するしかない。
「相手女デショ?どっかの姫さんなの?」
「いえ、男ですよ」
「…へぇ」
何がおかしいのかクスクス笑いだした。
「付き合っていたのに、しなかったの?セックス」
「まだ一か月でしたから」
「一か月も付き合って、セックスもしてなかったの?それって付き合ってるの?じゃなきゃ、よっぽど相手は不能だったんだね」
アンタなんだけどな。
心の中でツッコむとなんだか可笑しくて小さく笑った。
「この部屋に入れたの?それとも相手の部屋に行ってたの?」
「……外で夕食を、偶に」
「ハハッ。何それ?よっぽどお子ちゃまみたいな付き合いしてたんだね。それとも相手が余程」
余程?
言葉の続きが気になり彼を見ると、バツが悪そうに顔をそらした。
なんだろう?
「まっ、いいや。それで、別れたんデショ?」
「……今、里にはいません」
里どころか、どこにいるかも知らないけど。
「式でもなんでもあるデショ?」
「そんな私的なことで使えません」
「まじめ~」
まぁいっかと一人納得すると箸を取った。
「ソイツ、帰ってきたら教えて。オレが話つけるから」
それだけ言うともくもくと料理を食べ始めた。



それから時間があれば彼は家に入り浸った。
あんなにぶら下げていた女たちも姿を顰めて、なんだか不気味だった。
俺なんかと食事するより外の料理の方が美味しいだろうし、俺と寝るより女を抱いた方が気持ちいいはずなのに。
甚だ疑問だったが、彼は何も言わなかったので、俺もそれに従った。
それに、驚いたことに彼は俺を周囲に紹介していた。
「この人、オレのだから」
そう言いながら受付だけでなく、アカデミーでも姿を現した。彼の目的が分からずただ茫然と立ち尽くすだけだった。そんなことしても彼に不利になるばかりなのに。
周知して外堀が埋まれば俺が逃げられないと思ったのだろうか?俺はどこにも逃げやしないのに。
「今日受付で宣言してやったときの隣の男の顔見た?この世の終わりみたいな真っ青な顔して。ヤりまくってますって言ったらどうなっていたかな?」
物静かだった前の彼とは違い、今の彼は俺様な態度だったがよくしゃべった。記憶は20歳前後と言われたので当時の彼はこんな感じだったのだろう。
「アイツ絶対アンタのこと好きだよ。残念だったーね」
クスクスと笑う。笑っているわりには機嫌が悪そうだった。
その青ざめた上忍を思い出す。確か何度か受付で言葉を交わしたことがあるが所詮仕事上だ。プライベートで話をしたこともない。なのに何言っているんだか。
対照的に座りながら黙々と俺が作った夕食を食べる。
「ねぇ、聞いてるの」
「はぁ、まぁ」
「つまんないね。一応一緒に食べてるんだからさ、会話しようと思わないの?」
どう返事しろというのだ。
下手に返事すれば怒るくせに。
正直彼の気性の激しさについていけない。表情が豊かだと言えば聞こえはいいが気に入らなかったら手をだすし意味不明なことを言ってきては同意を求められるし八つ当たりのように性行為をしたがるし。
「あーぁ。こんなことなら女のところでも行こうかな」
是非そうしてほしい。
お願いするように見つめると、にっこりと笑った。
「嘘だーよ。そんな目しなくてもあんたが相手してくれるなら行かなーいよ」
どうやら彼の眼は腐っているらしい。
せっかくの機会を逃し心の中でため息をつく。
「もう少し素直になってくれたら、オレだってもっと可愛がってあげるのに」
ほらそうやって返事に困ることしか言わない。
それにどう返せっていうのだ。
俺はこの上なく素直なつもりだ。



彼のセックスは一言で言えばしつこかった。何度も何度も求められ、彼の望む通りにしないと責められ、辱められ、泣かされた。避妊具もつけられたことすらない。救いなのは技術の上手さと後処理をしてくれることだろう。おかげで次の日立てなくなることはなかった。
お互い風呂から上がると無言で、時にはにやにやされてベッドに押し倒されると長い夜が始まる。
最近では寝間着を着る意味があるのだろうかと思うぐらい裸でいる時間が長い。
明かりを消さず、俺の上に伸し掛かる彼をボンヤリと見る。
「名前、間違えたら、殺す」
それがセックスの合図だった。
最初何を言っているのか分からなかった。
彼の名前を間違うわけないではないか。きょとんと見上げるとひどく冷たい目で見下ろされていた。
「オレの名前以外呼ぶな、考えるな。誰かと重ねてみろ、ぶっ殺してやる」
そう言われて、あぁ付き合っている人のことを言われたのだと理解した。
間違うもなにも同じ人なのに。
それに彼とは一度もそんな関係になったことないのに。
はいと頷くと途端機嫌を良くし、ひどく優しく抱いた。
彼に従っていれば、とても優しかった。



ある日、彼を街中で見かけた。
傍には美しい女性を何人も囲んでその中心でいたくご満悦そうだった。
その光景を見た瞬間浮かんだのは安堵だった。
よかった。これで俺もお役目御免だ。随分と長く俺のところに来ていたがようやく飽きてくれたのだ。近いうちに別れを切り出されるだろう。俺はただ従えばいい。そして一人きりになったあの部屋で大好きなあの人を想おう。
そういえばカカシさんは俺と友人だったときも恋人になったときも女の影を見せなかった。もしカカシさんの時こんな光景を見てしまったら俺は自殺しかねない。だがそんなことはなかった。優しく誠実な人だから。


その夜、彼は両手いっぱいに真っ赤なバラの花束を持ってきた。
任務先でもらったのだろうか。
それなら男の部屋に持ってくるより、この花が似合うような人にあげればいいのに。昼間にいた女性たちのような美しい人にこそ似あう代物だ。
大体うちには花瓶などない。
困ったように受け取ると、ちっと舌打ちされた。
「捨てといて」
それだけ言うと居間に寝転ぶ。
さすがに捨てることはできないので転がってる一升瓶に入れた。それなりに悪くなく玄関に飾る。おかげでそこだけ華やかになった気がした。
期待した別れ話はされなかった。


次の日今度は違う花を持って帰った。
また困ったように受け取ると舌打ちされた。
仕方がないのでまた違う一升瓶に入れ、今度は居間に飾った。
「いらないなら捨てといて」
ブスッとしながら花を一瞥する。
「勿体ないですから。でもほら綺麗ですね」
そういうと何かを期待するようにこちらを見た。
「…いるの?」
「いえ、いりませんが」
はっきり答えるとつまらなそうにこちらに背を向けて寝転んだ。
それから二度と彼は花を持ち帰らなかった。


花が止むと、次は宝石や貴金属などを持ち帰った。どれも女性が喜びそうなものばかりで、男の俺にしてみれば何の価値もないものばかりだった。
「いらないなら捨てて」
「いりませんが捨てられません。こんな高価な物」
「アンタにあげたんだからアンタが好きにすればいいデショ」
不必要なものを一方的に送られても困るだけだ。
言い争いしたくはないがこればかりは譲れない。この高価な物を買う資金は彼が命がけで遂行した証なのだから。
「俺より似合う人に送ってください」
そう言うとあからさまに嫌な顔をされた。
「大体俺にこれが似合うとでも思いますか」
そういうと押し黙り、しばらくして「分かったよ」と納得してくれた。




その次の日、任務表を渡すため上忍の待機所に行くと彼が美しい女性と話していた。
「これ、私に?」
手には昨日贈られた髪飾りが握られていた。
「あーウン。そう」
彼はどうでもよさそうに答えたがきっと照れているんだろう。黒髪の美しい美女だからな。
「嬉しいっ。ねぇつけて」
「あーハイハイ」
彼とは対照的に女性はとても嬉しそうだった。なびく髪が一つにくくられる。シャラッと繊細な髪飾りが揺れた。
よかった。とても似合う。俺なんかよりずっと。
無意識に息を吐くと本来の目的を思い出し、待機所に入る。彼はギョッと一瞬狼狽したが、すぐに無表情になる。隣いる女性は自慢げに彼の傍に寄り添い、髪飾りを見せつけた。俺は頭を下げ彼らを通りすぎ、目的の人に任務表を渡す。
「カカシありがとう。これ大事にするわ」
「ちょっ!」
抱きつく女性に照れているのか引き離そうとする。仲がよろしくて大変結構だが公共の面前というのを忘れないでほしい。まぁこの人たちに常識を求めるのも酷かもしれないが。
言い争っている彼らの横を通りすぎ待機所を出る。
その日の夜、今日ぐらいは来ないだろうと思っていたがかなり遅くになって彼は訪れた。
だがいつもと違い口数も少なく、顔はひどく険しかった。
「ご飯たいしたものはありませんがいりますか?」
「……いらない。ちょっとそこ座って」
そう言われて彼の真正面に座る。彼の顔は相変わらず険しかった。
「……アンタがいらないって言ったから、あげただけだから」
「は?」
何言っているんだろうと彼を見ると、バツが悪そうに俯いていた。
その顔をみて昼間のことだと分かった。別に気にしてなかったのに。むしろ綺麗な人に渡って安堵していたのに。一応俺にあげようとしたので気を病んだのかな。それは悪かったな。
「別に気にしていませんよ。やはりああいう美人の人がつけると映えますね」
「拗ねないでよ。もうしないから。それにあの女とは何の関係もないから安心して」
「は?いえ、別に」
「あーもー悪かった。これでいいんデショ!!」
腕をとりベッドに放り込まれた。
戸惑う俺に、彼は珍しく電気を消した。
「今日はウンとよくシてあげるから機嫌直して」
そう言いながら優しくキスしてくれた。
彼とのキスは好きだった。それが唯一俺の好きな彼の面影を表しているものだから。
うっとりとその口づけを受け入れると満足そうに笑った。




最近受付に行くといつもひどく居た堪れない視線を感じる。
原因は分かっている。彼のモノと公言されたからだ。
「写輪眼のオンナらしいな」と面白がる人もいれば「あんたみたいな冴えない男が彼の情人なんて」と嫉妬され罵倒されることもあった。
同僚や顔見知りの人たちはかける言葉がないのか悲痛な顔で同情してくれた。中には上へ報告しろと言ってくれたが俺は首を縦に振らなかった。
これは罰なのだから。
優しい彼の心に付け込んだ罰だ。
酷ければ酷いほと安堵した。この苦しみが彼への償いだと思えた。
「お前も大変だな」
任務帰りの顔見知りの上忍に声をかけられた。どう答えていいのか分からず苦笑すると、ポンポンと肩を叩かれた。
「これ、差し入れ。前好きだって言ってただろう」
「わぁ、ありがとうございます」
遠い地でしか売っていない菓子をくれた。物も嬉しかったが、それよりもちらっとしか言っていない自分の好みを覚えていてくれたのが嬉しかった。
にっこり笑った瞬間、ゾッとする様な殺気が辺り一面に広がった。
自然に湧き上がる恐怖にカチカチと歯を鳴らして動けないでいると正面から静かに彼が近づいた。
「ヘラヘラしてんじゃねーよ」
貰った菓子を奪われ、一瞬にして燃やされた。
「アンタもコレ、オレのモノだって知ってるデショ?今度気安く近づいたら殺すよ?」
周囲が唖然とする中、フンと鼻を鳴らして出て行った。
しばらくシーンとなったが、顔見知りの上忍がポリポリと頭を掻いた。
「なんか、悪かったな」
「いえ。せっかくいただいたのにすみません」
そう言うと肩を叩こうと手を伸ばされたが、苦笑して終わった。
誰も彼の不興を買いたくはないだろうし、俺も誰も巻き込みたくなかった。
家に帰ると不機嫌な彼が当たり前のようにいた。合鍵など渡していないが彼はまるで自分の家のように気軽に入ってくる。もうそれも慣れた。
「アンタさぁ」
いつものように台所に立つと後ろの居間から彼の声が響く。
「あんな安価な菓子が好きなわけ?安上がりだーね」
「前受付の皆に差し入れで頂いたことがあって美味しいと言ったのを覚えていてくださったんですよ。食べたことありますか?珍しい触感とても美味しいんですがここら辺では売ってないんですよ」
「オレ甘いもの好きじゃないし」
「そうですか」
「っていうかアンタなに餌付けされてるの」
餌付けって俺は犬か。
よくわからないが彼はいたく不機嫌らしい。あんまり不興を買うとセックスが酷くなるから嫌なんだけどな。明日は体術の授業があるんだけど。
「すみません」
とりあえず謝ってみるが効果は薄い。ご飯を食べて機嫌を直してくれるといいんだけど。
「……オレがあげる物には、全然喜ばないくせに」
その小さな呟きは少し距離のある台所には届かなかった。俺は機嫌をとるのに失敗し、次の日大変だった。




窓から見覚えのある式が届き、彼の帰還を知らせた。
予定より1日遅れていたがどうやら無事に帰ってきたらしい。報告と彼の頭を見ると五代目が言っていた。上としたら記憶が戻っても戻らなくても変わらないのであまり本気で彼の記憶を戻そうとしていないらしい。その消極的な対応に俺は密かに安堵した。俺の恐れている審判の時は未だにくる兆しはない。優しいあの人に会えないのはとても寂しいが、俺の恋人ではない彼を見なければならないことに比べれば遥かに良かった。
そういう意味では彼の存在はとてもありがたかった。彼がいる限り大好きなカカシさんは戻らない。
例えそのために男に抱かれても。
何もしない日はカカシさんとの思い出に浸る。
カカシさんとはたくさんの話をした。任務のこと里のこと彼自身のことも。そして嬉しそうに言ってくれた。
「先生、今度お休みが取れたらどこか行きましょう」
任務で行った綺麗な所色々知っているんです。珍しい場所も知ってるんですよ。先生が好きな温泉も、先生を連れて行きたいところ沢山あるんです。今度休みもぎ取ってきますから一緒に行きましょう。ねっ、先生やくそく。
優しい目で未来を語られるのはとても好きだった。例えカカシさんの優しさで愛情などなかったとしても、あの人は一瞬でも未来に俺のことをそばに置いてくれた。
口約束でいい。叶わなくたっていい。
ただ近づいている別れの時を、少しでも遠ざけてくれればそれだけでよかった。


がちゃっと音がして現実に戻る。
少しくたびれた彼が立っていた。
「お疲れ様です」
荷物を受け取るとリュックがパンパンに膨れていた。普段から物を持つことを嫌う彼にとって珍しかった。
無表情で汚れたベストを脱いでいくのを尻目に荷物を開け、汚れ物を取り出すと、見たことのある箱がいくつも入っていた。
「これって…」
それは先日貰いそこなった菓子だった。それがリュックいっぱいにつまっていた。
「ア、アンタが好きって言ってたのが近くにあったから、ついでに買っただけだから。前オレが燃やしたし、そんなに食べたかったなら悪かったなぁって思って。アンタあの日機嫌悪かったし」
目を合わさず早口にそう言うと脱いだベストを着たり脱いだりを繰り返した。時折こちらの様子を窺うようにチラチラ見ていた。
てっきり機嫌が悪いのはそっちだと思っていたのに。それよりそんな小さいこと覚えてくれていたのだと感心した。荷物から一つ取り出しぎゅっと抱きしめる。
「ありがとうございます」
その瞬間、彼はぱあぁぁっと顔を輝かせた。
それはまるで授業中褒められた生徒のようで。
親に褒められた子どものようで。
ぎゅっと心臓を掴まれた。
「そんなのいくらでも買ってあげる。他にほしいものがあったらなんでも買ってあげるよ。オレ上忍だし、金いっぱい持ってるし、アンタが望むものならなんでも叶えてあげるよ」
「いえ、これだけで十分です」
「そっ。アンタって本当安上がりだーね。まぁいいや。また買ってあげるよ」
得意げに言う彼を見て、初めて彼の目を強く見つめた。
冷たい目は相変わらずだが、奥底に喜びが溢れ出ている。褒めて褒めてと目を輝かしている。

その時初めて俺は彼を認識した。

今までは動く人形だった。
彼が何をしようが何を言おうがまるで他人事で現実味がなかった。彼を人間だと思っていなかったから、心なんて見ようとしなかった。彼の発する言葉の意味を上辺しか見ず、感じてなかった。だから何されても平気だった。


じゃなきゃ、誰が耐えられるか。
大好きな彼が他の人といるところなんて、誰が平気で見ていられるか。


動く人形なら耐えられる。
彼が人間でないなら、歩くマネキンが彼と同じ顔をしているだけだと思えた。
そう無理矢理思い込んでいた。


ぽろっと涙が零れた。
彼がギョッとし慌てて近くに駆け寄る。
「えっ?何、なんなの…っ?」
「ごめんなさい、嬉しくて」
「そ、そんな泣くほどじゃないじゃない。また買ってあげるから、ねっ、ねっ」
はいと頷きながらも涙は止まらなかった。


どうしよう。
どうしようどうしよう。


もう彼を人形だと思い込むことはできない。
彼は人間で、意思がある。
大好きなカカシさんの姿をしており、カカシさんとは違う思考を持っている。
今は傍に置いてもらえる。
手近な家政婦としてだが、それでも傍にいてくれた。
だけどこのまま彼と一緒にいればきっと彼のことを好きになる。
きっと彼が何しようが俺は嬉しい。
話しかけてくれるだけで嬉しいし、一緒に夕食を食べてくれるだけで嬉しい。俺の部屋で泊まってくれるだけで嬉しいし、彼にとって性欲処理でも俺は歓喜する。
だから、もう駄目だ。
俺たちは恋人でも何でもない。
彼は今までのように女のところへ行き、近い将来俺を捨てるであろう。恐れていた事態になってしまう。それを抗う術をもっていない。
こんなことなら彼を近づけるのではなかった。
そうすれば彼は動く人形のままで、俺の心を掻き乱ださなかったのに。
それともこれが、カカシさんの優しさに付け込んだ罰だというのだろうか。
泣きじゃくる俺を優しく彼は抱きしめてくれた。
その優しさの代償は、きっと近い将来払わなければならない。
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