最初は小さな違和感だった。
大好きな先生を、だけど決して手を出してはいけない先生を遠くから見ていた。彼の笑う顔も怒る顔も全部全部見ておきたくて。
暇な日はずっとずっと先生を見て、ちっぽけな心を満たしていた。
見ていると必ずでてくる、あの女。
先生の婚約者。
あの女が先生に触れて、笑い合って、キスをするのをじっと見つめ、脳内で自分に置き換えて、満足する。それだけで本当に満足なのに。
―――――あの女はいつも満足していない顔をする。
それがひどく気になった。
「――ったら、イルカ先生の何が不満なのよ」
だから、その言葉を偶然聞こえてきたのも、ある意味意識して見ていたから当然のことなのかもしれない。
「だってあの人ちっとも楽しくないのだもの。確かに優しいし、嫌なこと言わないし、ワガママも聞いてくれる。だけどそれだけ。刺激がないっていうか、魅力がないっていうか」
はぁと大げさにため息をついた。
「んー、まぁそうかもしれないけど、…じゃあどうして婚約なんてしたの?」
「えー、だって私もいい年だし。彼氏には物足りないけど、夫にはピッタリじゃない?あの人。まっ、妥協よ、妥協」
あはははとのんきな笑い声が聞こえた。
妥協?
あんなすごい人捕まえて、愛されて、妥協?
付き合って楽しくない?刺激がない?魅力がない?
本気で言っているのか?
先生だったら、遠くから見ているだけで幸せにしてくれるのに。
先生だったら、目が合うだけで心臓が止まりそうなのに。
先生が笑っているなら、たとえオレのためじゃなくても嬉しいのに。
先生が幸せなら、オレはそれだけでよかったのに。
こんなに、こんなにも愛しているのに。
オレの愛を押しつけないのが、例え一瞬でも先生を困らせないのが愛だと思ったのに。
あの女。
あの女あの女あの女あの女。
何が不満なのだ、どこが足りないのだ。
オレがほしくてほしくてほしくてほしくてのどから手が出るくらい愛している人を、まるで自分のモノみたいに見せびらかせて、キスしてもらって、愛してると言ってもらえて。
それのどこが、妥協なんだ。
そんなにいらないなら、オレにくれよ。
例え先生がオレのこと愛してなくても、オレが誰よりも愛すから。
例え先生があの女を愛していても、オレがそれ以上に愛すから。
あの女は愛がなくても先生と結婚できるんでしょ?
――――――――じゃあ、オレとしてもいいデショ?
刺激がほしいなら、とびきりのをあげるよ。
「あっ、ああぁっ…、イィ、イィワ…」
(うるさいなぁ)
体を見ても触れても何も感じなかった。
ただ先生がこの体に触れて興奮して吐精した、それだけがこの女の存在理由だった。
だが、この声は聞くに堪えない。手近にあった布でふさぐ。
顔も見たくないので、這い蹲らせて腰を振った。
ヒイヒイ泣くのを冷めたキモチで見下ろす。
―――せめて黒い髪でセミロングなら。
そうしたら一瞬でも先生の替わりになるのに。
吐精しても何も感じなかった。
ただこれでまた一つ先生と共通点ができた。
小さく低い声で笑った。
「……ねぇ」
ハァハァと息の荒いまま、身支度をしているオレを見上げるように起き上がった。
「私のこと、愛してる…?」
不安そうに、泣きそうに。
一番愚かで滑稽な問いをした。
くくっと低く笑う。
「愛してるよ」
ほら、言葉なんてとても簡単だ。
思ってもないのに口にするだけで相手が喜ぶのだから。
こんなもの、ただの音だ。
(愛してるよ、先生)
そう思うだけで、冷えた心が熱くなる。
先生。先生イルカ先生。
「愛してるよ」
そういうと、嬉しそうに幸せそうに笑うのだ。
それはまるで、まるでオレが先生にむける笑顔と同じで。
(先生もこんな気持ちなのかなぁ)
同じ人間なのに、こんなにも違うのか。
この女が笑おうが、こちらを見て愛を吐こうが、気持ちは冷えていく一方だ。
どこまでも、どこまでも低く低くなる。
嫌いなどではない。
キモチワルイ。吐き気がする。
全部、全部。
「ねぇ」
甘ったるい声がする。
細く白い腕が、オレの腕に絡まる。
「今度、外でデートしたいな。ほら最近オープンしたお店あるじゃない?私あそこに」
「なんで?」
なんでアンタとそこに行かないといけないの?
なんで好きでもないアンタとデートするの?
アンタ本当に好きでもない人とデートできるんだね。尊敬するよ。
オレはこんなにもキモチワルイのに。
「なんでって、…それは、だって…」
「そんなことより、先生の話して。どんなデートしてたの?先生、甘いもの好き?」
先生という言葉にあふれて、うっとりとした気分になる。
先生、何食べるのかなぁ。普段は色気のない居酒屋だけど、お洒落な店とか好きかなぁ。お酒で真っ赤になってる先生も可愛いけど、団子を頬張る先生もきっと可愛いよね。
ねぇ先生。先生のことならこんなにもあふれてくるのに。
「せ、先生…?」
「うん。イルカ先生。付き合ってたんデショ?婚約してたんデショ?前話してくれたじゃん。先生の話。ねぇしてよ」
してよ。
だってアンタにはその価値しかないのに。
アンタはただ先生のことを語るだけのモノだ。
先生の名前がこの女から出るのは不快だが、それでも先生のことが一つでも分かれば心は満たされていく。
「してよ」
「あっ、でも…私は…」
震えながら、しかし話は出てこない。これなら抱いた意味がなくなる。そのためにそばにおいているのに。
ドンっと力いっぱい壁を殴った。大きな穴があき、パラパラと破片が落ちていく。
真っ青になった女が震えながら、しかし動けないのか呆然とオレを見上げる。
「ねぇ、してよ」
しないなら、この壁のようにするよ―――?
「イ、イルカは…」
「うん」
「ラーメンが一番好きなんだけど、甘いものも好きで」
「うん」
「お酒を飲みながら、ケーキを食べたり…」
こういう刺激が良いんデショ?
だからお前はオレのそばから放れないデショ?
これは愛なんかじゃない。
幸せなんて一つもない。
大好きな先生を、だけど決して手を出してはいけない先生を遠くから見ていた。彼の笑う顔も怒る顔も全部全部見ておきたくて。
暇な日はずっとずっと先生を見て、ちっぽけな心を満たしていた。
見ていると必ずでてくる、あの女。
先生の婚約者。
あの女が先生に触れて、笑い合って、キスをするのをじっと見つめ、脳内で自分に置き換えて、満足する。それだけで本当に満足なのに。
―――――あの女はいつも満足していない顔をする。
それがひどく気になった。
「――ったら、イルカ先生の何が不満なのよ」
だから、その言葉を偶然聞こえてきたのも、ある意味意識して見ていたから当然のことなのかもしれない。
「だってあの人ちっとも楽しくないのだもの。確かに優しいし、嫌なこと言わないし、ワガママも聞いてくれる。だけどそれだけ。刺激がないっていうか、魅力がないっていうか」
はぁと大げさにため息をついた。
「んー、まぁそうかもしれないけど、…じゃあどうして婚約なんてしたの?」
「えー、だって私もいい年だし。彼氏には物足りないけど、夫にはピッタリじゃない?あの人。まっ、妥協よ、妥協」
あはははとのんきな笑い声が聞こえた。
妥協?
あんなすごい人捕まえて、愛されて、妥協?
付き合って楽しくない?刺激がない?魅力がない?
本気で言っているのか?
先生だったら、遠くから見ているだけで幸せにしてくれるのに。
先生だったら、目が合うだけで心臓が止まりそうなのに。
先生が笑っているなら、たとえオレのためじゃなくても嬉しいのに。
先生が幸せなら、オレはそれだけでよかったのに。
こんなに、こんなにも愛しているのに。
オレの愛を押しつけないのが、例え一瞬でも先生を困らせないのが愛だと思ったのに。
あの女。
あの女あの女あの女あの女。
何が不満なのだ、どこが足りないのだ。
オレがほしくてほしくてほしくてほしくてのどから手が出るくらい愛している人を、まるで自分のモノみたいに見せびらかせて、キスしてもらって、愛してると言ってもらえて。
それのどこが、妥協なんだ。
そんなにいらないなら、オレにくれよ。
例え先生がオレのこと愛してなくても、オレが誰よりも愛すから。
例え先生があの女を愛していても、オレがそれ以上に愛すから。
あの女は愛がなくても先生と結婚できるんでしょ?
――――――――じゃあ、オレとしてもいいデショ?
刺激がほしいなら、とびきりのをあげるよ。
「あっ、ああぁっ…、イィ、イィワ…」
(うるさいなぁ)
体を見ても触れても何も感じなかった。
ただ先生がこの体に触れて興奮して吐精した、それだけがこの女の存在理由だった。
だが、この声は聞くに堪えない。手近にあった布でふさぐ。
顔も見たくないので、這い蹲らせて腰を振った。
ヒイヒイ泣くのを冷めたキモチで見下ろす。
―――せめて黒い髪でセミロングなら。
そうしたら一瞬でも先生の替わりになるのに。
吐精しても何も感じなかった。
ただこれでまた一つ先生と共通点ができた。
小さく低い声で笑った。
「……ねぇ」
ハァハァと息の荒いまま、身支度をしているオレを見上げるように起き上がった。
「私のこと、愛してる…?」
不安そうに、泣きそうに。
一番愚かで滑稽な問いをした。
くくっと低く笑う。
「愛してるよ」
ほら、言葉なんてとても簡単だ。
思ってもないのに口にするだけで相手が喜ぶのだから。
こんなもの、ただの音だ。
(愛してるよ、先生)
そう思うだけで、冷えた心が熱くなる。
先生。先生イルカ先生。
「愛してるよ」
そういうと、嬉しそうに幸せそうに笑うのだ。
それはまるで、まるでオレが先生にむける笑顔と同じで。
(先生もこんな気持ちなのかなぁ)
同じ人間なのに、こんなにも違うのか。
この女が笑おうが、こちらを見て愛を吐こうが、気持ちは冷えていく一方だ。
どこまでも、どこまでも低く低くなる。
嫌いなどではない。
キモチワルイ。吐き気がする。
全部、全部。
「ねぇ」
甘ったるい声がする。
細く白い腕が、オレの腕に絡まる。
「今度、外でデートしたいな。ほら最近オープンしたお店あるじゃない?私あそこに」
「なんで?」
なんでアンタとそこに行かないといけないの?
なんで好きでもないアンタとデートするの?
アンタ本当に好きでもない人とデートできるんだね。尊敬するよ。
オレはこんなにもキモチワルイのに。
「なんでって、…それは、だって…」
「そんなことより、先生の話して。どんなデートしてたの?先生、甘いもの好き?」
先生という言葉にあふれて、うっとりとした気分になる。
先生、何食べるのかなぁ。普段は色気のない居酒屋だけど、お洒落な店とか好きかなぁ。お酒で真っ赤になってる先生も可愛いけど、団子を頬張る先生もきっと可愛いよね。
ねぇ先生。先生のことならこんなにもあふれてくるのに。
「せ、先生…?」
「うん。イルカ先生。付き合ってたんデショ?婚約してたんデショ?前話してくれたじゃん。先生の話。ねぇしてよ」
してよ。
だってアンタにはその価値しかないのに。
アンタはただ先生のことを語るだけのモノだ。
先生の名前がこの女から出るのは不快だが、それでも先生のことが一つでも分かれば心は満たされていく。
「してよ」
「あっ、でも…私は…」
震えながら、しかし話は出てこない。これなら抱いた意味がなくなる。そのためにそばにおいているのに。
ドンっと力いっぱい壁を殴った。大きな穴があき、パラパラと破片が落ちていく。
真っ青になった女が震えながら、しかし動けないのか呆然とオレを見上げる。
「ねぇ、してよ」
しないなら、この壁のようにするよ―――?
「イ、イルカは…」
「うん」
「ラーメンが一番好きなんだけど、甘いものも好きで」
「うん」
「お酒を飲みながら、ケーキを食べたり…」
こういう刺激が良いんデショ?
だからお前はオレのそばから放れないデショ?
これは愛なんかじゃない。
幸せなんて一つもない。
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