「ねぇ、イルカ。今日空いてる?」
部署別の休憩所に入ってくるやいなや挨拶もなく誘う。だが、周りの人間は慣れたものなのか特別変な顔をせず、自然に流す。
「お前、用もなく他の課にくるなよ」
「イーデショ。用ならあるし」
「そんなくだらないことならメールすればいいだろ」
「そう言って。前携帯見ないですっぽしたデショ。直接返事もらわないと気が気で仕事できないの」
そう言われると、なんとも言えない。たかが一回、それも一年も前の話だ。そんなにすっぽかされたのが悔しかったのだろうか。
「…分かった。空けとくから」
そう言うと嬉しそうに笑った。
「良かった。じゃあ定時にね~」
ひらひらと手を振り、出て行く。本当にそれしか用がなかったのだろう。前の人事異動で良い役職についたはずなのに暇なのかと疑いたくなる。
「お前、まだあいつと仲いいんだ」
「…別に。ただの同期だよ」
苦しい言い訳なのは良く分かっていた。
同期なのは変わりないが同期など数百人もいる。同じ課だった期間も数ヶ月だし、今や役職が上の人になってしまった。
普段の飲み慣れているコーヒーが酷く苦く感じ一気に飲んで休憩室を出た。
正直、それだけの関係ではない。だが、もう終わった関係だ。今はそれ以上でもそれ以下でもない。
それなのに。
ふぅと大きく息を吐く。
それなのに、そうさせてくれないのは、ただただ彼の気まぐれだろうか。
彼が誘うのはいつも落ち着いた雰囲気の隠れ家的な店ばかりだ。俺じゃなくてもう少し実益的な女を誘えよ、と思う。
「イルカ。乾杯」
「はいはい。お疲れ様」
おざなりに返しても嬉しそうにニコニコと酒を煽る。
(綺麗だな…)
顔も姿も。何をしてもさまになる。こんな完璧な人がこの世に存在するのかといつも感心する。
「ふふ。イルカ、また見とれてるよ」
「綺麗だからな」
隠す必要もないので正直に言うとまたくすくす笑われた。
「イルカは面食いだもんね。こんな顔に産んでくれた親には感謝しておこう」
流れるような仕草でほつれた髪を触る。
「なんか用があったんじゃないのか」
「ないよ。ただイルカに会いたかっただけ」
さらっと殺し文句を言う彼にふぅとため息をつく。
こうやって、この人は無意識に人の心を乱す。そんなことを言われて相手がどう思うか本気で分からないのか。
(分かってて言っているのか…?)
だとしたら、更に性質が悪い。
そんな彼の気まぐれに流されないよう、いつも以上に気を引き締める。ただの同期、ただの同期だと呪文のように心の中で呟いた。
「仕事、忙しいのか」
「んー?野暮だねぇ。プライベートで仕事の話なんかしないでよ」
じゃあなんの話をすればいいんだよ。
あからさまに顔を顰めるとクスクスと笑われた。
「イルカのこと、話そうよ」
「俺のことなんか何にも変化ねーよ。それとも近くの水族館のイルカの話でもしてやろうか。こないだ会ってきたしな」
そういうと腹をかかえて笑われた。
全く。
忙しいとは知っていたが一ヶ月ぶりに声をかけてきて、用もないとは馬鹿にされているのか。まぁそうだと分かっていてほいほいついてきた俺も俺だけど。
「行ったって、彼女と?」
変わらない声で、いつもの調子で聞かれた。
ドキっとする。
しまった。今のは完全に失言だった。そんなこと言うつもりではなかったのに。
「……彼女じゃねーよ」
「うそ。最近仲いいって噂だぁよ」
「仲いいのは前からだ」
「そうだね。オレたちが付き合ってた頃からだもんね」
なんてことないように言う。
俺は視線を逸らし、顔を伏せた。
胸が痛い。
言われた俺が、一方的に傷ついてどうする。
もう半年も前の終わった話なのに。
半年前、俺たちは付き合っていた。
彼に告白されて、付き合った。初めての同性の恋人だったが、俺なりに大事にしていた。
上手くいっていると思っていたのに、半年前何の前触れもなく彼から別れを告げられた。
すがりつく、なんてみっともないマネはできなかったが、立ち直るまでかなりの時間かかった。いや、正直まだ立ち直ってはいないが。
それなのに、彼から振っておいて、こうやって頻繁に誘われる。勿論甘い雰囲気などなく、ただの同僚との食事程度だ。
本当に彼のことが分からない。
「付き合えば良いのに。いい人なんデショ?」
「幼馴染だから、今更そんな風に見れない、かな」
「ふーん…」
納得できないのか不満げに頷く。
「お前は?彼女作らないのか?」
ポロっと無意識に聞いていた。
しまったと思ったが、それでも今更訂正などできない。
聞いてどうする。
イエスでもノーでも、結局は俺を傷つけるだけなのに。
「オレ?オレはイルカがいるからいーの」
ギュッとグラスを掴んでいた手に力が入る。
こんなふざけたことをさらっと言う。
いないよ。
俺にお前がいないように、お前に俺はいない。
それが別れるってことだ。
恋人ではなくなるってことだ。
そうしたのはお前だろう。
なんだか泣きたくなった。
聞くんじゃなかった。
そう言われて嬉しいと思いながら心は酷く悲鳴をあげている。
「帰る」
「え?なんで」
戸惑う彼をおいて金を取り出し多めに机に置いた。
そのまま足早に店を出て、タクシーを拾う。
後ろから声がしたが、振り向こうとは思わなかった。
夢を見た。
まだ彼と付き合っていた時の幸せな時間だ。
早くあがれる日を合わせ、二人の時間を大切にした。俺より忙しい部署なのによく時間を合わせてくれたなと感心した。
「早くイルカと暮らしたい。もっといっぱい一緒にいたい」
よく彼はそういっていた。
時間がある日はいつも一緒にいたのに、それでも不満そうな彼にまだ早いといつもそっけなく返事していた。
あの時間になんの不満もなかった。
優しく少し過保護だったが、それでも大事にされていて幸せだった。
今でもたまに聞いてみたくなる。
彼は、何に不満だったのだろうか。
それとも同性同士の付き合いに見切りをつけたのだろうか。
深酒をしていないので体はダルさを感じなかったが、精神的に気分が重かった。
もう彼と二人きりになるのは止めよう。
毎回終わった後に思う決意だが、適ったことはない。
弱い意志だと改めて思うが、今回は今まで以上に凹んでいる。
彼の言うとおり、彼女と付き合ってみようかな。
「イルカ可哀想だから、私がもらってあげてもいいよ」
勝気な彼女の台詞を思い出し、落ち込んだ気分が少し晴れてきた気がした。
会社の食堂で昼食をとっていると、正面から彼女が現れた。
軽く手をあげると、数人いた彼女の周りの人と別れ、俺の正面に座った。
「いいのか?」
「ん?別に~」
あっさりとしている。
それ以上気にせず、昼食のラーメンをすする。
「落ち込んでるねぇ」
言われたくないことをズバッと言われて一瞬ラーメンを吹き出しそうになった。
彼女の洞察力には頭が下がる。
彼女は唯一彼との関係を話していた。
「嫌なら行かなきゃ良いのに」
「…その通りだよ」
そういうとくすくす笑われた。
「まぁ、私も立ち直るのにかなり時間がかかったからね。イルカにも迷惑いっぱいかけちゃったし」
「そんなことないよ」
彼女は数か月前事故で恋人を亡くした。
結婚間近だった恋人を亡くした彼女はそれは酷く落ち込みしばらくは目が離せない状況だった。
その時俺は本当にそばにいることしかできなかった。
何かいい言葉をかけれたわけでもないし、同じように彼女を支えていた友人のように生活の手助けができたわけでもない。
ただ、時間が彼女の心を癒していった。
今では立ち直り前向きに生活している彼女の強さに憧れる。
俺もいつかあんなふうに立ち直ることができるだろうか。
「人恋しいなら私が付き合ってあげるから」
「ありがと」
にっこりと笑う彼女はとても美しかった。思わず笑みがこぼれる。
「今日どう?一緒に夕食食べない?」
「そうだな。ラーメンでよければ奢るよ」
「フレンチがいいから割り勘にしましょ」
可笑しくて二人して顔を合わせて笑った。
「あっ…」
彼女が遠くの方で何かを見つけ視線をそちらに向けた。俺も気になって何気なしに見ると、彼がトレイを持ったままこちらを見ていた。
その目は確かにこちらを熱い視線で見ていた。
俺も彼女も何も言わずに彼を見る。
しばらく、三人がぼぅと何かにとりつかれた様に見合った。
一番最初に、彼が何もなかったかのように反対方向に歩いて行った。
俺も視線を落とし、残ったラーメンをすすった。
「バカな人…」
彼女がポツリと呟いた。
それは誰に向けた言葉なのだろうか。
俺は考えたくなくて、無心でラーメンをすすった。
17時を過ぎ、定時まで残りわずかとなる。
うーんと背伸びをして立ち上がる。
休憩しようかなぁとドアを見ると、今一番会いたくない人が立っていた。俺の視線に気づくと手を上げた。
これで無視したらどうなるかな。
やりたいけれど止めておこう。面倒くさそうだし。
むすっとした表情で近づくと相手はニコニコと相変わらず嬉しそうだった。
「昨日久しぶりに会えたのに、イルカってばすぐ帰っちゃうんだもん。今日も一緒にいてくれるよね?」
「はっ?いや、今日は先客が」
彼女との約束があるので首を振る。
途端彼はぎゅっと眉をひそめた。
「ねっ?お願い。今日どうしても会いたいの」
切羽詰った様子で迫るのを見ると、どうしても心がぐらつく。
もしかしたら何か相談したいことがあるんじゃないか。
もしかしたら何か言ってくれるんじゃないのか。
あの日言ってくれなかった、決定的な言葉を。
「…分かった」
口に出して、泣きそうになる。
情けない。本当に俺は馬鹿だ。
そうやって勝手に期待して、そして現実に思い知らされるだけなのに。
何度も何度も打ちのめされて、それでも諦めていないのか。
「そっ。良かった。じゃあ迎えに来るからね」
ひらひらと手を振って去っていくのを見つめる。
復縁を、望んでいるわけではない。
ただ、先に進みたいだけだ。
こんな中途半端な彼との関係も、想いも綺麗にしたい。
そのためには、彼からの言葉が必要なんだ。
ただ、未だにその言葉はもらえそうにない。
ふぅとため息をついて、彼女に電話を入れた。
「もしもし」
『…お疲れ様。キャンセルの電話かしら?』
ズバリ言われて、情けなくて頭が下がる。
「ごめん」
『止めなさいよ。行ったって傷つくだけだよ』
「……ごめん」
分かっているよ。
俺でも他人事なら絶対止める。無駄なことだって、早く他探せって諭すに決まっている。
なんでそれができないのだろう。
『ねぇ、私も一緒に言ってあげる。もうからかうのは止めてって』
彼女の言葉にギョッとする。
『だってそうでもしないとイルカずっとこのままじゃない。もう半年よ!いい加減見切りつけないと』
「いや、でも…」
『大丈夫。私がバシッと言ってあげる。ねっ、イルカいいでしょ?いい加減前に進もうよ』
ギュッと目を瞑る。
彼の顔が、俺を呼ぶ声がよみがえる。
「好きだ」と言ったあの声で、「別れよう」と言った。
呆然と見上げる俺を酷く冷めた目で見下ろしていた。
あんな目は初めてだった。
怖かった。
あんな顔させるほど、俺はなにかしてしまったのかと思った。
今でも怖い。彼が怖い。
彼がこれ以上俺の知らない間に俺のことを見切られるのが、怖い。
(分かっているよ…)
まだ、好きなんだ。
どうしようもなく、付き合っていたときと同じくらい毎日彼が好きになっていく。
また付き合えるなんて考えたことはない。
だが、これ以上彼に嫌われたくない。
俺のことを嫌いになったのではないと彼の口から聞きたい。
あの、今でも思い出すと身震いするほど嬉しかった告白の言葉を、幻想だった、彼の勘違いだったなんてあってほしくない。
彼が、確かに俺を好きだったと、証明がほしい。
そのために俺は彼からの言葉を待っているんだ。
だけど。
だけど、違うのかもしれない。
ただ、彼は俺のことを好きじゃなくなったのかもしれない。
友人で、気楽にいれたからもう少し深い関係になってみたが、やっぱり違うと思ったのかもしれない。
体の芯が冷えていくのを感じた。
もう、現実から目を逸らすのをやめよう。
彼がどう思っていようが、あの関係が幻だろうが、もういいじゃないか。
終わったことだ。
それ以上なにもならない。
目を覚ませ。
現実をみろ。
奮い立たせるように拳を握った。
「…今日、決着をつけるから」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「今日で全部終わらせるから。心配してくれてありがとう」
『……』
彼女は無言だった。もう一度謝ると返事を聞く前に電話を切った。
終わらせる。
終わらせてみせる。
ギュッと握った拳が酷く熱かった。
定時になると昨日のように迎え来た彼に連れられて昨日とは違う店に入る。
ドキドキと異常に緊張しているのが分かった。
いつ切り出すべきか。
せっかくの料理だったのに、全く味がしなかった。
「なんか上の空だぁね」
そう言われてハッとなる。
見上げてみても、彼はいつもどおりニコニコと笑っている。
「何か用があったんじゃないのか」
「んー。あるよ。イルカに会うって大事な用が」
飄々とした態度にカチンとくる。
先客があると言っても縋るように言ってきたのはなんだったのか。
(そうやって俺を振り回して楽しいのかよ…っ)
本当に勝手で、それに簡単に振り回される自分に泣きたくなる。
言わないと。
自身を奮い立たせるようにギュッと手を握った。
「もう、やめにしないか」
そう言うと、きょとんとして俺を見た。
「何が?」
「こうやって二人で会うの、もうやめたいんだ」
途端、彼の目が変わった。
「――っ」
「何?別に何にも難しいことお願いしていないデショ?友人として、一緒にご飯食べたりするのって、そんなにいけないことなの?」
「っ、俺は、無理だ」
言わないと。
ここで言わないとまた流されてしまう。
もうやめるんだ。
彼のことも。
俺の恋心も。
「そんなに簡単に割り切れない。俺たちは別れたんだ。友人に戻るとしても、気持ちが整理できるまで時間がかかる。ずっとなんて言わないが、少し距離をとらせてくれないか?」
なるべく言葉を選んだつもりだった。
それなのに彼の表情は一変してまるで睨み殺されるように鋭い視線でこちらを見ている。
「それじゃあ何のために別れたのか分からないじゃない」
「…は?」
「何のためにオレは…」
ブツブツとわけのわからないことを呟いている。
なんだか支離滅裂で、目が虚ろだ。
「カカシ?大丈夫か…?」
腕を掴み、軽く揺さぶると、ハッと顔を上げた。
そして嬉しそうに、本当に嬉しいとしか表現できなように笑った。
最近見なくなった、俺の好きな表情だった。
あぁ、そうだ。
彼はこんな風に嬉しそうに笑うのだ。
付き合ってた頃はよくこんな風に笑っていた。
最近の彼は嬉しい顔に少しだけ影があった。どこか自虐的で悲痛そうだった。
「イルカ。久しぶりに、名前呼んでくれたね」
そんなことで嬉しい、嬉しいとバカみたいに呟く。
なんだよ、それ。
そんな今でも、俺のこと大切に思っているみたいな、そんな顔。
そんな風にいつも笑っていたから。
どうでもいい、些細なことに嬉しそうに笑っていたから。
だから、今でも混乱しているだろ。
あんなに愛されていると思っていたのに、突然別れたいなんか言うから。
「お前は、何がしたいんだよ」
「んー?何って、イルカの傍にいたいだけだよ」
へらっと無邪気に笑う。
「イルカの一番傍にいたいの」
なんだよ、それ。
「なんだよ」
それなら、なんで告白なんかしてきたんだよ。
一番傍に入れる特権がほしかったんだろ。
それがいらなくなったから振ったんだろう。
「それなら、別れなきゃよかっただろ…っ」
一番言いたくなくて、一番聞きたかった言葉を言ってしまった。
もういい。
こんなことかっこ悪いが、もうどうでもいい。
こいつに振り回されるよりは、ずっと。
「だって、恋人だからって一番になれるわけじゃないデショ?」
「は?」
「イルカの一番になるために恋人になったのに、イルカは恋人のオレより友人優先したデショ」
「何の話だよ」
全然意味が分からない。
「付き合う前はオレのこと一番大切にしてくれたのに。約束だってオレが一番優先してくれたのに。付き合った途端、オレの約束より友人の約束優先したデショ!!せっかくの記念日だったのに」
そう言われて思い出す。
確か付き合って何か月かの記念日だった。と言っても彼は何かにつけて記念日にしたがったので正直そこまで思い入れはなかったがひどく嬉しそうな彼に合わせていた。
その日はお互い休みが合い、一緒に過ごそうと約束していたが、幼馴染の恋人の事故があり、そちらに駆けつけた。
そういえば、あれから彼の様子がおかしくなっていった。
「イルカは恋人より友人の方が大事なんだ!ならオレは友人でいい。イルカの一番になるなら恋人じゃなくていい」
なんだよそれ。
なんだよなんだよなんだよなんだよ。
そんなバカな話あるか…っ!!
ドンっとテーブルを殴ると、ビクッと彼は震えた。
「……分かった」
そんなバカみたいな理由でフラれて落ち込んでいたなんて本当バカバカしい。
そういえばこいつろくな恋愛してこなかったと言ってたな。
それでこんなトチ狂った思考になるのか。
まったく。
「これからは、友人として一番にお前の傍にいてやるよ」
そういうとぱあぁぁと嬉しそうに破顔した。
その憎たらしい顔を見ながら、ただしと続ける。
「俺、彼女と付き合うから」
途端、目が泳いだ。
あんなに彼女とくっつけたがっていたのに、現実にそうなると分かりやすく動揺している。
その姿に、にっこりと笑った。
信じられない思考に本当に呆れる。
どうしたらそう思えるのか、俺には一生理解できないだろう。
それでも。
それでも、そんなに思ってくれる彼の根源には俺への愛がある。それが分かっただけで、こんなにも清々しい。
「キスもするし、セックスもする。まぁお前との約束が入ってたらそっち優先するけど、入ってなかったら彼女のところに行くわ。付き合い始めだからあんまり呼び出さないでくれよ」
「えっ、あっ、えっと…」
おろおろと顔を動かし慌てる。
ようやく望んだとおりになったくせに、全然喜んでいないのを分かっているのかなぁ。
もう少しだけ待ってやろう。
友人が恋人より一番傍にいるって?そんなわけないだろう。
友人には愛がないが、恋人には愛があるんだよ。
愛がなくてもいいから傍にいたいと思っているなら本当に別れなきゃいけないが、そうじゃないんだろ。
だから、それに気づくまでもう少しだけ待ってやる。
「キスもセックスもまだ早いんじゃない?」
「お前とは付き合ってすぐにしただろう」
「で、でもほら。もし妊娠したら…」
「そしたら責任とって結婚しないとなぁ」
結婚という言葉にヒッと声を詰めた。
その顔が、ひどく笑えた。
「けけけけけ結婚って」
「あー俺もいい年だしなぁー。結婚も考えないとなー」
ひぃぃっと青ざめる彼の顔を見て、気づくのも時間の問題だなぁっと感じた。
気付いて、謝ってきたら。
そしたら一発殴って、抱きしめてやろう。
そうして恋人とは何か、どんなにあんたを愛してるか伝えよう。
まぁでも。
「結婚なんてまだ早いよっ!結婚したら色々制限されるし。そ、そうだ。旅行いこ、海外!長期休み取って、ねっ、ねっ」
「んー旅行かぁ。そうだなぁ、彼女と行こうかなぁ」
「イルカ~!!」
しばらくはからかってやろう。
あんなにつらい目に合されたんだ。それぐらい許されるだろう。
部署別の休憩所に入ってくるやいなや挨拶もなく誘う。だが、周りの人間は慣れたものなのか特別変な顔をせず、自然に流す。
「お前、用もなく他の課にくるなよ」
「イーデショ。用ならあるし」
「そんなくだらないことならメールすればいいだろ」
「そう言って。前携帯見ないですっぽしたデショ。直接返事もらわないと気が気で仕事できないの」
そう言われると、なんとも言えない。たかが一回、それも一年も前の話だ。そんなにすっぽかされたのが悔しかったのだろうか。
「…分かった。空けとくから」
そう言うと嬉しそうに笑った。
「良かった。じゃあ定時にね~」
ひらひらと手を振り、出て行く。本当にそれしか用がなかったのだろう。前の人事異動で良い役職についたはずなのに暇なのかと疑いたくなる。
「お前、まだあいつと仲いいんだ」
「…別に。ただの同期だよ」
苦しい言い訳なのは良く分かっていた。
同期なのは変わりないが同期など数百人もいる。同じ課だった期間も数ヶ月だし、今や役職が上の人になってしまった。
普段の飲み慣れているコーヒーが酷く苦く感じ一気に飲んで休憩室を出た。
正直、それだけの関係ではない。だが、もう終わった関係だ。今はそれ以上でもそれ以下でもない。
それなのに。
ふぅと大きく息を吐く。
それなのに、そうさせてくれないのは、ただただ彼の気まぐれだろうか。
彼が誘うのはいつも落ち着いた雰囲気の隠れ家的な店ばかりだ。俺じゃなくてもう少し実益的な女を誘えよ、と思う。
「イルカ。乾杯」
「はいはい。お疲れ様」
おざなりに返しても嬉しそうにニコニコと酒を煽る。
(綺麗だな…)
顔も姿も。何をしてもさまになる。こんな完璧な人がこの世に存在するのかといつも感心する。
「ふふ。イルカ、また見とれてるよ」
「綺麗だからな」
隠す必要もないので正直に言うとまたくすくす笑われた。
「イルカは面食いだもんね。こんな顔に産んでくれた親には感謝しておこう」
流れるような仕草でほつれた髪を触る。
「なんか用があったんじゃないのか」
「ないよ。ただイルカに会いたかっただけ」
さらっと殺し文句を言う彼にふぅとため息をつく。
こうやって、この人は無意識に人の心を乱す。そんなことを言われて相手がどう思うか本気で分からないのか。
(分かってて言っているのか…?)
だとしたら、更に性質が悪い。
そんな彼の気まぐれに流されないよう、いつも以上に気を引き締める。ただの同期、ただの同期だと呪文のように心の中で呟いた。
「仕事、忙しいのか」
「んー?野暮だねぇ。プライベートで仕事の話なんかしないでよ」
じゃあなんの話をすればいいんだよ。
あからさまに顔を顰めるとクスクスと笑われた。
「イルカのこと、話そうよ」
「俺のことなんか何にも変化ねーよ。それとも近くの水族館のイルカの話でもしてやろうか。こないだ会ってきたしな」
そういうと腹をかかえて笑われた。
全く。
忙しいとは知っていたが一ヶ月ぶりに声をかけてきて、用もないとは馬鹿にされているのか。まぁそうだと分かっていてほいほいついてきた俺も俺だけど。
「行ったって、彼女と?」
変わらない声で、いつもの調子で聞かれた。
ドキっとする。
しまった。今のは完全に失言だった。そんなこと言うつもりではなかったのに。
「……彼女じゃねーよ」
「うそ。最近仲いいって噂だぁよ」
「仲いいのは前からだ」
「そうだね。オレたちが付き合ってた頃からだもんね」
なんてことないように言う。
俺は視線を逸らし、顔を伏せた。
胸が痛い。
言われた俺が、一方的に傷ついてどうする。
もう半年も前の終わった話なのに。
半年前、俺たちは付き合っていた。
彼に告白されて、付き合った。初めての同性の恋人だったが、俺なりに大事にしていた。
上手くいっていると思っていたのに、半年前何の前触れもなく彼から別れを告げられた。
すがりつく、なんてみっともないマネはできなかったが、立ち直るまでかなりの時間かかった。いや、正直まだ立ち直ってはいないが。
それなのに、彼から振っておいて、こうやって頻繁に誘われる。勿論甘い雰囲気などなく、ただの同僚との食事程度だ。
本当に彼のことが分からない。
「付き合えば良いのに。いい人なんデショ?」
「幼馴染だから、今更そんな風に見れない、かな」
「ふーん…」
納得できないのか不満げに頷く。
「お前は?彼女作らないのか?」
ポロっと無意識に聞いていた。
しまったと思ったが、それでも今更訂正などできない。
聞いてどうする。
イエスでもノーでも、結局は俺を傷つけるだけなのに。
「オレ?オレはイルカがいるからいーの」
ギュッとグラスを掴んでいた手に力が入る。
こんなふざけたことをさらっと言う。
いないよ。
俺にお前がいないように、お前に俺はいない。
それが別れるってことだ。
恋人ではなくなるってことだ。
そうしたのはお前だろう。
なんだか泣きたくなった。
聞くんじゃなかった。
そう言われて嬉しいと思いながら心は酷く悲鳴をあげている。
「帰る」
「え?なんで」
戸惑う彼をおいて金を取り出し多めに机に置いた。
そのまま足早に店を出て、タクシーを拾う。
後ろから声がしたが、振り向こうとは思わなかった。
夢を見た。
まだ彼と付き合っていた時の幸せな時間だ。
早くあがれる日を合わせ、二人の時間を大切にした。俺より忙しい部署なのによく時間を合わせてくれたなと感心した。
「早くイルカと暮らしたい。もっといっぱい一緒にいたい」
よく彼はそういっていた。
時間がある日はいつも一緒にいたのに、それでも不満そうな彼にまだ早いといつもそっけなく返事していた。
あの時間になんの不満もなかった。
優しく少し過保護だったが、それでも大事にされていて幸せだった。
今でもたまに聞いてみたくなる。
彼は、何に不満だったのだろうか。
それとも同性同士の付き合いに見切りをつけたのだろうか。
深酒をしていないので体はダルさを感じなかったが、精神的に気分が重かった。
もう彼と二人きりになるのは止めよう。
毎回終わった後に思う決意だが、適ったことはない。
弱い意志だと改めて思うが、今回は今まで以上に凹んでいる。
彼の言うとおり、彼女と付き合ってみようかな。
「イルカ可哀想だから、私がもらってあげてもいいよ」
勝気な彼女の台詞を思い出し、落ち込んだ気分が少し晴れてきた気がした。
会社の食堂で昼食をとっていると、正面から彼女が現れた。
軽く手をあげると、数人いた彼女の周りの人と別れ、俺の正面に座った。
「いいのか?」
「ん?別に~」
あっさりとしている。
それ以上気にせず、昼食のラーメンをすする。
「落ち込んでるねぇ」
言われたくないことをズバッと言われて一瞬ラーメンを吹き出しそうになった。
彼女の洞察力には頭が下がる。
彼女は唯一彼との関係を話していた。
「嫌なら行かなきゃ良いのに」
「…その通りだよ」
そういうとくすくす笑われた。
「まぁ、私も立ち直るのにかなり時間がかかったからね。イルカにも迷惑いっぱいかけちゃったし」
「そんなことないよ」
彼女は数か月前事故で恋人を亡くした。
結婚間近だった恋人を亡くした彼女はそれは酷く落ち込みしばらくは目が離せない状況だった。
その時俺は本当にそばにいることしかできなかった。
何かいい言葉をかけれたわけでもないし、同じように彼女を支えていた友人のように生活の手助けができたわけでもない。
ただ、時間が彼女の心を癒していった。
今では立ち直り前向きに生活している彼女の強さに憧れる。
俺もいつかあんなふうに立ち直ることができるだろうか。
「人恋しいなら私が付き合ってあげるから」
「ありがと」
にっこりと笑う彼女はとても美しかった。思わず笑みがこぼれる。
「今日どう?一緒に夕食食べない?」
「そうだな。ラーメンでよければ奢るよ」
「フレンチがいいから割り勘にしましょ」
可笑しくて二人して顔を合わせて笑った。
「あっ…」
彼女が遠くの方で何かを見つけ視線をそちらに向けた。俺も気になって何気なしに見ると、彼がトレイを持ったままこちらを見ていた。
その目は確かにこちらを熱い視線で見ていた。
俺も彼女も何も言わずに彼を見る。
しばらく、三人がぼぅと何かにとりつかれた様に見合った。
一番最初に、彼が何もなかったかのように反対方向に歩いて行った。
俺も視線を落とし、残ったラーメンをすすった。
「バカな人…」
彼女がポツリと呟いた。
それは誰に向けた言葉なのだろうか。
俺は考えたくなくて、無心でラーメンをすすった。
17時を過ぎ、定時まで残りわずかとなる。
うーんと背伸びをして立ち上がる。
休憩しようかなぁとドアを見ると、今一番会いたくない人が立っていた。俺の視線に気づくと手を上げた。
これで無視したらどうなるかな。
やりたいけれど止めておこう。面倒くさそうだし。
むすっとした表情で近づくと相手はニコニコと相変わらず嬉しそうだった。
「昨日久しぶりに会えたのに、イルカってばすぐ帰っちゃうんだもん。今日も一緒にいてくれるよね?」
「はっ?いや、今日は先客が」
彼女との約束があるので首を振る。
途端彼はぎゅっと眉をひそめた。
「ねっ?お願い。今日どうしても会いたいの」
切羽詰った様子で迫るのを見ると、どうしても心がぐらつく。
もしかしたら何か相談したいことがあるんじゃないか。
もしかしたら何か言ってくれるんじゃないのか。
あの日言ってくれなかった、決定的な言葉を。
「…分かった」
口に出して、泣きそうになる。
情けない。本当に俺は馬鹿だ。
そうやって勝手に期待して、そして現実に思い知らされるだけなのに。
何度も何度も打ちのめされて、それでも諦めていないのか。
「そっ。良かった。じゃあ迎えに来るからね」
ひらひらと手を振って去っていくのを見つめる。
復縁を、望んでいるわけではない。
ただ、先に進みたいだけだ。
こんな中途半端な彼との関係も、想いも綺麗にしたい。
そのためには、彼からの言葉が必要なんだ。
ただ、未だにその言葉はもらえそうにない。
ふぅとため息をついて、彼女に電話を入れた。
「もしもし」
『…お疲れ様。キャンセルの電話かしら?』
ズバリ言われて、情けなくて頭が下がる。
「ごめん」
『止めなさいよ。行ったって傷つくだけだよ』
「……ごめん」
分かっているよ。
俺でも他人事なら絶対止める。無駄なことだって、早く他探せって諭すに決まっている。
なんでそれができないのだろう。
『ねぇ、私も一緒に言ってあげる。もうからかうのは止めてって』
彼女の言葉にギョッとする。
『だってそうでもしないとイルカずっとこのままじゃない。もう半年よ!いい加減見切りつけないと』
「いや、でも…」
『大丈夫。私がバシッと言ってあげる。ねっ、イルカいいでしょ?いい加減前に進もうよ』
ギュッと目を瞑る。
彼の顔が、俺を呼ぶ声がよみがえる。
「好きだ」と言ったあの声で、「別れよう」と言った。
呆然と見上げる俺を酷く冷めた目で見下ろしていた。
あんな目は初めてだった。
怖かった。
あんな顔させるほど、俺はなにかしてしまったのかと思った。
今でも怖い。彼が怖い。
彼がこれ以上俺の知らない間に俺のことを見切られるのが、怖い。
(分かっているよ…)
まだ、好きなんだ。
どうしようもなく、付き合っていたときと同じくらい毎日彼が好きになっていく。
また付き合えるなんて考えたことはない。
だが、これ以上彼に嫌われたくない。
俺のことを嫌いになったのではないと彼の口から聞きたい。
あの、今でも思い出すと身震いするほど嬉しかった告白の言葉を、幻想だった、彼の勘違いだったなんてあってほしくない。
彼が、確かに俺を好きだったと、証明がほしい。
そのために俺は彼からの言葉を待っているんだ。
だけど。
だけど、違うのかもしれない。
ただ、彼は俺のことを好きじゃなくなったのかもしれない。
友人で、気楽にいれたからもう少し深い関係になってみたが、やっぱり違うと思ったのかもしれない。
体の芯が冷えていくのを感じた。
もう、現実から目を逸らすのをやめよう。
彼がどう思っていようが、あの関係が幻だろうが、もういいじゃないか。
終わったことだ。
それ以上なにもならない。
目を覚ませ。
現実をみろ。
奮い立たせるように拳を握った。
「…今日、決着をつけるから」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「今日で全部終わらせるから。心配してくれてありがとう」
『……』
彼女は無言だった。もう一度謝ると返事を聞く前に電話を切った。
終わらせる。
終わらせてみせる。
ギュッと握った拳が酷く熱かった。
定時になると昨日のように迎え来た彼に連れられて昨日とは違う店に入る。
ドキドキと異常に緊張しているのが分かった。
いつ切り出すべきか。
せっかくの料理だったのに、全く味がしなかった。
「なんか上の空だぁね」
そう言われてハッとなる。
見上げてみても、彼はいつもどおりニコニコと笑っている。
「何か用があったんじゃないのか」
「んー。あるよ。イルカに会うって大事な用が」
飄々とした態度にカチンとくる。
先客があると言っても縋るように言ってきたのはなんだったのか。
(そうやって俺を振り回して楽しいのかよ…っ)
本当に勝手で、それに簡単に振り回される自分に泣きたくなる。
言わないと。
自身を奮い立たせるようにギュッと手を握った。
「もう、やめにしないか」
そう言うと、きょとんとして俺を見た。
「何が?」
「こうやって二人で会うの、もうやめたいんだ」
途端、彼の目が変わった。
「――っ」
「何?別に何にも難しいことお願いしていないデショ?友人として、一緒にご飯食べたりするのって、そんなにいけないことなの?」
「っ、俺は、無理だ」
言わないと。
ここで言わないとまた流されてしまう。
もうやめるんだ。
彼のことも。
俺の恋心も。
「そんなに簡単に割り切れない。俺たちは別れたんだ。友人に戻るとしても、気持ちが整理できるまで時間がかかる。ずっとなんて言わないが、少し距離をとらせてくれないか?」
なるべく言葉を選んだつもりだった。
それなのに彼の表情は一変してまるで睨み殺されるように鋭い視線でこちらを見ている。
「それじゃあ何のために別れたのか分からないじゃない」
「…は?」
「何のためにオレは…」
ブツブツとわけのわからないことを呟いている。
なんだか支離滅裂で、目が虚ろだ。
「カカシ?大丈夫か…?」
腕を掴み、軽く揺さぶると、ハッと顔を上げた。
そして嬉しそうに、本当に嬉しいとしか表現できなように笑った。
最近見なくなった、俺の好きな表情だった。
あぁ、そうだ。
彼はこんな風に嬉しそうに笑うのだ。
付き合ってた頃はよくこんな風に笑っていた。
最近の彼は嬉しい顔に少しだけ影があった。どこか自虐的で悲痛そうだった。
「イルカ。久しぶりに、名前呼んでくれたね」
そんなことで嬉しい、嬉しいとバカみたいに呟く。
なんだよ、それ。
そんな今でも、俺のこと大切に思っているみたいな、そんな顔。
そんな風にいつも笑っていたから。
どうでもいい、些細なことに嬉しそうに笑っていたから。
だから、今でも混乱しているだろ。
あんなに愛されていると思っていたのに、突然別れたいなんか言うから。
「お前は、何がしたいんだよ」
「んー?何って、イルカの傍にいたいだけだよ」
へらっと無邪気に笑う。
「イルカの一番傍にいたいの」
なんだよ、それ。
「なんだよ」
それなら、なんで告白なんかしてきたんだよ。
一番傍に入れる特権がほしかったんだろ。
それがいらなくなったから振ったんだろう。
「それなら、別れなきゃよかっただろ…っ」
一番言いたくなくて、一番聞きたかった言葉を言ってしまった。
もういい。
こんなことかっこ悪いが、もうどうでもいい。
こいつに振り回されるよりは、ずっと。
「だって、恋人だからって一番になれるわけじゃないデショ?」
「は?」
「イルカの一番になるために恋人になったのに、イルカは恋人のオレより友人優先したデショ」
「何の話だよ」
全然意味が分からない。
「付き合う前はオレのこと一番大切にしてくれたのに。約束だってオレが一番優先してくれたのに。付き合った途端、オレの約束より友人の約束優先したデショ!!せっかくの記念日だったのに」
そう言われて思い出す。
確か付き合って何か月かの記念日だった。と言っても彼は何かにつけて記念日にしたがったので正直そこまで思い入れはなかったがひどく嬉しそうな彼に合わせていた。
その日はお互い休みが合い、一緒に過ごそうと約束していたが、幼馴染の恋人の事故があり、そちらに駆けつけた。
そういえば、あれから彼の様子がおかしくなっていった。
「イルカは恋人より友人の方が大事なんだ!ならオレは友人でいい。イルカの一番になるなら恋人じゃなくていい」
なんだよそれ。
なんだよなんだよなんだよなんだよ。
そんなバカな話あるか…っ!!
ドンっとテーブルを殴ると、ビクッと彼は震えた。
「……分かった」
そんなバカみたいな理由でフラれて落ち込んでいたなんて本当バカバカしい。
そういえばこいつろくな恋愛してこなかったと言ってたな。
それでこんなトチ狂った思考になるのか。
まったく。
「これからは、友人として一番にお前の傍にいてやるよ」
そういうとぱあぁぁと嬉しそうに破顔した。
その憎たらしい顔を見ながら、ただしと続ける。
「俺、彼女と付き合うから」
途端、目が泳いだ。
あんなに彼女とくっつけたがっていたのに、現実にそうなると分かりやすく動揺している。
その姿に、にっこりと笑った。
信じられない思考に本当に呆れる。
どうしたらそう思えるのか、俺には一生理解できないだろう。
それでも。
それでも、そんなに思ってくれる彼の根源には俺への愛がある。それが分かっただけで、こんなにも清々しい。
「キスもするし、セックスもする。まぁお前との約束が入ってたらそっち優先するけど、入ってなかったら彼女のところに行くわ。付き合い始めだからあんまり呼び出さないでくれよ」
「えっ、あっ、えっと…」
おろおろと顔を動かし慌てる。
ようやく望んだとおりになったくせに、全然喜んでいないのを分かっているのかなぁ。
もう少しだけ待ってやろう。
友人が恋人より一番傍にいるって?そんなわけないだろう。
友人には愛がないが、恋人には愛があるんだよ。
愛がなくてもいいから傍にいたいと思っているなら本当に別れなきゃいけないが、そうじゃないんだろ。
だから、それに気づくまでもう少しだけ待ってやる。
「キスもセックスもまだ早いんじゃない?」
「お前とは付き合ってすぐにしただろう」
「で、でもほら。もし妊娠したら…」
「そしたら責任とって結婚しないとなぁ」
結婚という言葉にヒッと声を詰めた。
その顔が、ひどく笑えた。
「けけけけけ結婚って」
「あー俺もいい年だしなぁー。結婚も考えないとなー」
ひぃぃっと青ざめる彼の顔を見て、気づくのも時間の問題だなぁっと感じた。
気付いて、謝ってきたら。
そしたら一発殴って、抱きしめてやろう。
そうして恋人とは何か、どんなにあんたを愛してるか伝えよう。
まぁでも。
「結婚なんてまだ早いよっ!結婚したら色々制限されるし。そ、そうだ。旅行いこ、海外!長期休み取って、ねっ、ねっ」
「んー旅行かぁ。そうだなぁ、彼女と行こうかなぁ」
「イルカ~!!」
しばらくはからかってやろう。
あんなにつらい目に合されたんだ。それぐらい許されるだろう。
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