むかしむかし、あるところにとても美しい王子がいました。
名前はカカシ。
銀色の髪に透けるような白い肌、無駄のない筋力、そして甘い声。どれもが人々を魅了し、虜にしました。
王子はそんな人々を上辺しか見ない愚か者だととても嫌い、だけどそれしか取得のない自分を守るため汚れることをとても嫌いました。
そして時が経つにつれ、美しい姿に色気が出てきました。人々は前にも増して群がり媚を売り少しでも近づこうと必死でした。王子は益々人嫌いになり、重度の潔癖症となりました。とにかく宝石や金銀、花など美しものしか傍に置かず、人や人が使ったものは触れません。香水のキツイ匂いも嫌い、信頼のおける家来しか傍に寄せ付けませんでした。
そんな王子が唯一触れられたのは、隣国のイルカ王子でした。
彼は王子とは真逆で、姿こそは平凡で取得のない顔でしたが、心根の優しい人格者でした。素直で明るく誰にも裏表なく平等に扱う姿に、誰もが惹かれました。カカシ王子もです。彼が何をしても苦痛ではなく、むしろ触れられた所はお日様のように温かくて堪らない気持ちになりました。
早くまた会いたい。
そう日に日に強く思う自分に、王子はようやく気がついたのです。
これが、恋だと。
自分と真逆で、心が美しい彼に、自分は惹かれているのだと、なんだか嬉しくなりました。
どちらも末っ子で後継ではありません。誰にも邪魔されることはないと、いつかこの恋が実ることを夢見ていました。
そんなある日、イルカ王子はこう言ったのです。
好きです、と。
美しい貴方を愛していると。
それは、王子が一番望んでいた言葉と。
一番言われたくなかった言葉でした。
美しいなどと、イルカ王子だけには言われたくなかった。
周りと同じように、姿しか見ていないと知って、絶望しました。
呪いを。
呪いをかけて。
何よりも醜くなる、呪いをかけて。
そのまま、王子はお城抜け出し、森のはずれにある怪しい魔女の所へと行きました。
「何よりも醜くしてくれ。何でも支払うから」
魔女は笑いました。
「愚かなはだかの王様。自尊心の欠落を有りもしない人に惑わされて」
「何でもいい。オレはこの顔が嫌なんだ。姿だけで人を引きつけ、それしか見てくれないこの姿なんて」
「いいだろう。前々からその青がかった美しい瞳が欲しいと思っていたんだ」
そう言って魔女は左目に手を置きました。冷たい手でした。
手が離れると魔女の手のひらに目玉がありました。だけれど自分の目は見えます。
「片目だと不便だろう。醜い目をやろう。見るだけで皆が震え上がる目を」
「目じゃない。姿を!姿を変えてくれ!」
「あぁ、勿論いいとも」
そうやって差し出されたのは毒々しいほど赤い林檎でした。小さく「eat me」と書いてあります。
ガリッと齧り付くと頭が真っ白になり、気を失うようにバタッと倒れました。
そして走馬灯のように今までの出来事が頭を巡ります。
愛らしい愛らしいと頭を撫でてくれた母。そんな母は幼くして死んでしまいました。忙しい父と兄、誰かの関心をひきたくて堪らなかったのです。だけれど周りは何もしなくても容姿だけでちやほやしました。美しい美しいと褒めたたえました。それは王子が何を努力することなく手に入れたものでした。
関心がひきたかったのに、こんな関心ならいらない。
だけどこれが無くなれば?
そうすればオレは誰にも相手にされないのか。誰にも関心されず、一人生きていくのか。
世の中を知らない無知な王子はそんな強い強迫観念に苛まれたのです。
そんなとき出会ったのがイルカ王子でした。
どんな時でも裏表なく本心で言ってくれる彼は、傍にいても苦痛ではありませんでした。感情豊かで何をしても大袈裟なほど反応し、正しいことは正しいと言える強い正義感を持つ好青年でした。徐々に、徐々に浸透していった彼の存在は、もう身体中から溢れ出るほどになっていたのです。
いつか大きなことをしてやろう。
容姿だけではなく、他にもっとすごいことを成し遂げよう。
誰からも褒め称えられるようなことを。
そしたらオレは胸を張って、イルカ王子を好きだと伝えよう。
そう思い、日々勉学に励み、武術を習い、国の政治を研究していました。
それなのに。
イルカ王子はまだ何もしていない自分を好きだと言ったのです。
美しいと。
頬を染めながら、それでも真剣な目で一度も逸らさず告白した彼は相変わらず誠実だった。
確かに愛してくれているのでしょう。
だけれど王子はまだ何もしていません。
大きな功績などまだ何一つなかったのです。
それなら、今の自分にあるのは、容姿だけ。
醜くなったら。
それでも好きだと言ってくれるのなら。
オレはその言葉を、イルカ王子を信じられる。
目が覚めると何だか世界が広くなった気がしました。空はあんなに遠く、木々はあんなに高かったでしょうか。
手を伸ばすと何だか白くて細くて気持ち悪い腕が伸びました。
「あれ?・・・っ!!」
出た声は嗄れて聞くに耐えない声でした。
ゆっくり体を起こしてみましたが、きちんと立てた気がしません。まるでうつ伏せになっているようでした。歩こうとしても飛び跳ねるだけです。それでも辺りを見渡しました。
すると巨大な魔女がこちらを見てニヤニヤしていました。
「成功だよ。おぉ、気持ち悪い」
「鏡はないの?」
喉のあたりがぷくっと膨れた気がしました。
「見せてやろう」
魔女は懐から鏡を出しました。
そこには人間などうつっていません。
ただポツンとカエルがいました。
「ちゃんとオレをうつしてくれ」
王子は叫びました。
すると魔女は高笑いをしました。
「そこにうっているカエルがお前だよ」
その言葉に、ようやく王子は理解したのです。
歩こうとすると目の前のカエルが飛び跳ねました。
なんてことでしょう。
醜くなれと呪った王子はカエルになってしまったのです。
「約束がちがう!カエルになりたいなど言ってない!!」
「何を言う。お前は醜いものになりたいと言っただろ。私にとって醜いものはカエルだ。お似合だよ、王子さま」
「こんなのではイルカ王子に好かれない!愛してもらえない!」
「知らないね。元の姿に戻りたいなら、愛する者からキスしてもらいな。それ以外ではとけないよ」
そう言うと消えるように魔女はいなくなりました。
「待ってくれ!」
王子は叫びましたが、誰も、何も反応しません。
ただ、醜くなったカエルの体が見えるだけです。
王子は悲しくて泣きました。その度にゲコゲコと鳴く自身にさらに悲しくなりました。
勿論王子はカエルなんて醜いので触ったことなどありません。それに草や土など汚くて触れたくもないのです。必死で辺りを見渡しますが、切り株一つありません。
このまま自分はどうなるのでしょう。
ポロポロと涙が溢れました。拭おうとすると、手についた泥で顔が汚れます。それを拭おうと反対の手で拭くと、更に汚れます。
なんて惨めな姿でしょう。
このまま干からびて死んでしまうのでしょうか。
そう悲観した時です。
ワンッと大きな声が響き渡りました。
ぬっと現れたのは愛犬のパックンでした。
「なんて格好をしてるのだ」
「パックン・・・っ、オレのことが分かるの?それに喋って」
「何やらおかしな術がかかっておるが、カカシのことは間違えんよ」
パックンはぺろんっと顔を舐めました。
それはいつもと同じで、嬉しくなってまた泣きました。
どうやら自分が人間ではなくなったので、動物の言葉を理解できるようになったのです。
それだけでどれだけ心強いでしょう。
「パックン、汚れる・・・」
パックンは頭の上に王子を乗せました。
するとパックンの毛が汚れてしまいます。拭おうとしても汚れるばかりです。なんて無力なのでしょう。
「パックンごめんね、ごめんね・・・」
泣く王子にパックンはワンッと大きく鳴きました。
「ワシは犬だ。汚れることなど日常茶飯事だ」
なんて寛大な犬でしょう。
王子は感激しました。
そして自分ももう人間ではなくなったのです。今更汚れようが関係ないと思いました。
するとどうでしょう。
スッと心が軽くなりました。人間のしがらみから解き放たれるようでした。そんなに悲観することもないかと思い始めました。
すると押し付けていた願望がムクムクと出てきました。
そうです。
イルカ王子に会いたいと、ただそれだけを思いました。
「イルカ王子に会いに行こう。イルカ王子は生き物はなんでも好きだって言ってたし」
パックンは文句も言わず走り出しました。
二日かけてようやくイルカ王子の城に着きました。
彼の城にはパックン込みで会いに来たことがあるのですんなりと入れてもらえました。
イルカ王子は足速に会いに来てくれました。
「パックン!どうしたんだ!?」
そう言って躊躇いもなく抱き上げてくれます。イルカ王子はいつもそうやって可愛がってくれていました。
王子も一緒に抱き上げられ、いつもと違う密着度にドキドキしました。
「あれ?なんだ、このカエル・・・?」
ようやくイルカ王子は気づいてくれました。
緊張しながらイルカ王子を見上げて言いました。
「私はある国の王子です。悪い魔女に呪いをかけてこんな醜い姿になりました」
やはり聞くに耐えない酷い声です。
イルカ王子は眉を顰めました。
その表情にゾッとしました。
もしかしたらイルカ王子はカエルが嫌いかもしれない。
その可能性を全く考えていなかったのですが、そうであってもおかしくはありません。
自分だって醜いと思っているからです。
だけれど、そうだとしたら、どうしたら良いのでしょうか。
このまま彼に見捨てられたら。
オレはこのまま一生カエルの姿で誰にも相手にされず生きていくのか。
それは深い、深い絶望でした。
その可能性を少しも疑わずこんな所まできた自分はなんて愚かなのでしょう。生き恥を晒すだけです。
せめてもの救いは、カカシだと分からないことでしょうか。
ゲコッと鳴きました。
このまま去ってしまおうか。
いや、待てよ。
確か頬にキスしてもらえたら元に戻るのだ。
このままジャンプして唇に当ててみようか。
そうすれば、そのまま既成事実を作り、彼と結婚してしまおう。
なんて腹黒いことを思う王子でしょう。
だけれど王子は本気です。タイミングよく、跳べば唇に届きそうな高さです。
よしっ、と決めて飛び跳ねようとすると。
ギュッと抱きしめられました。
「可哀想に。森には悪い魔女が住んでいると聞く。呪いをかけられなんて」
さすがイルカ王子です。その通り信じてしまいました。本当は自分から呪いをかけられたのに。
王子の良心はチクッと痛みました。
「大丈夫だよ、好きなだけいるといい」
イルカ王子は優しく笑いました。
「それに醜いなんてとんでもない。可愛いカエルさん」
そう言って何度も撫でてくれました。その表情から本心だと感じます。
なんて優しい人でしょう。
ますます惚れてしまいました。
「私は醜いでしょ?」
「とても可愛らしいよ。昔はよく遊んだものだ」
「だって嗄れた声だし」
「言葉が交わせていいじゃないか」
「目だって赤いし」
「色違いで素敵だよ。それに赤色は好きだ」
「緑だし、指は三つだし、足も腕も細くて長いし」
「カエルなんてそんなものだよ」
王子の不満にもひとつひとつ丁寧に答えてくれます。
ひとつひとつ答えてくれる度に、何だか今の自分の姿が好きになっていきます。
嬉しくなってゲコゲコと鳴きました。
「それではイルカ王子のお友だちにしてください。イルカ王子と同じテーブルでご飯を食べさせてくれて、一緒にお風呂に入り、同じベッドで寝かせてください」
ついぽろっと本音が出ましたが、イルカ王子は笑って了解してくれました。
なんてちょろい、いえ、心優しい王子さまなのでしょう!
ちょっとだけ心配になりました。
そうして夢の様な生活が始まりました。
毎朝イルカ王子と起き、一緒のテーブルでご飯を食べ、一緒に勉強し、武術を習い、お昼寝をし、おやつを食べ、本を読み、お風呂にも一緒に入って洗ってもらい、一緒のベッドで寝るのです。
王子はご機嫌でいつもゲコゲコ鳴いていました。
イルカ王子も同じようにニコニコ笑っていました。
そんな様子にお城の人たちも温かく見守っていました。
今日は滅多にないイルカ王子の外交の日です。領地を周り、近隣の国に挨拶するので数日は帰ってきません。
王子は寂しくてずっとパックンと一緒にいました。
いつもは自分が膝に置き、ブラッシングをしていました。ですが今はパックンに舐めてもらっています。それはちょっぴり嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしくて、ちょっぴり寂しかったのです。
パックンにブラッシングする時間は王子の心休まる癒しの時間でした。気持ちよさそうなパックンの顔を見ると嫌なことがあっても忘れられます。それが出来なくなってしまうのは寂しかったのです。
せめてもう少し大きければ。
撫でれるぐらい手が大きければ。
そう思うと切なくなります。
「パックン、オレはダメな飼い主だね」
オレについてきてくれ、住むところも変わったのに文句一つ言わない愛犬が愛しくて堪らないのです。
そして何も出来ない自分がとても惨めで情けないのです。
パックンはシワシワの顔をギュッとして、ぺろんっと顔を舐めました。
「ワシはカカシと喋れることを感謝しておる」
そう言うとまたぺろんっと舐めました。
何だか胸が苦しいのです。
それは喜ぶべきことなのでしょう。しかし自尊心の低い王子はその言葉を信じきれません。
喋れたって大したことを言えているわけでもなく、今の生活なんて恩恵を受けてるだけなのです。
今の生活に何の不満もありません。ですが、自分だけ幸せで何も、誰にも、イルカ王子にも返せていません。
小さくて醜いカエルは何が出来るでしょうか。
歌も歌えません。
餌も取れません。
武術を教えることも、政治について話すことも、料理一つでさえできません。
全てイルカ王子の恩恵なのです。
王子は幸せなのになんだか胸が苦しくて堪りませんでした。
退屈な王子は城を見て回りました。
ほとんど見たことのある部屋でしたが、一つだけ、一度も行ったことがない部屋がありました。
イルカ王子の書斎です。
イルカ王子から絶対中に入ってはいけないと初日に強く言われていたのです。
今まで忘れていましたが、とても中が気になります。都合よくドアの下には隙間があり、今の身体ならなんとか入れそうです。
でもイルカ王子の忠告が頭に響きます。
「ここは絶対に入ってはいけないよ」
どこか泣きそうな顔で言いました。
しかし、好奇心に負けた王子はさっさと中に入りました。こういうのはバレなければいいのです。
初めてカエルでよかったなぁと思いました。
部屋に入ると何の変哲もない書斎でした。大量の本と机と椅子があるだけです。
つまらないなぁと思いながら戻ろうとした瞬間。
一番日当たりのいい、美しく見える場所に。
カカシ王子の自画像が飾られていました。
この自画像は覚えています。自分が友情の証にと、強請って交換した自画像でした。王子の部屋にも勿論飾ってあります。
でもこんなコソコソ飾られて。
そしてこんな美しく飾ってもらって。
湧き上がるのは嫌悪感でした。
やはりイルカ王子は、オレの姿しか愛してくれていなかったのだ。
王子はとても悲しくなりました。
そしてとても腹立たしくなりました。
二割増でカッコよく描かれた自画像が何だかとても憎らしくなりました。
「こんなもの破れてしまえ!」
王子はタックルしました。ですが王宮で作られたものです。勿論破れることはありません。
しかし、タックルしたところが汚れてしまいました。
それは丁度、唇の下です。
自身の黒子と同じ場所でした。
王子はこの黒子を嫌っていました。美しくないと自画像を描く時も描かせませんでした。
なんて皮肉でしょう。
自身の黒子が、自身の罪を現しているのです。
入ってはいけないと言われた部屋に勝手に入り、しかもイルカ王子が大切にしているモノを汚してしまったのです。
なんとか誤魔化そうとあたかも最初からあったかのように自身そっくりの黒子を描きました。
そして数日後、イルカ王子が帰ってきました。
一番に門の前でパックンとお出迎えしました。
馬に乗ったイルカ王子が帰ってきます。
「イルカ王子ー!!」
大声で叫ぶと、イルカ王子は笑って手を振ってくれましたが、どこか元気がありません。
近づいて、抱き上げてくれましたが、やはりどこか暗い顔をしていました。
「ただいま」
「元気がないですが、どうかしましたか?」
「なんでもないよ」
嘘です。
イルカ王子は正直者なので嘘をつくとすぐに分かります。
「なんでもなくない。とても悲しい顔をしている」
ぴょんぴょんと精一杯飛び跳ねました。それしか王子はできなかったのです。
だけれど、その精一杯さは伝わり、イルカ王子は王子をぎゅっと抱きしめます。
「好きな人が、いなくなってしまった・・・」
なんて悲しい声でしょう。聞いているだけでこちらまで泣きたくなります。
「俺のせいなんだ。俺のせいで、彼は・・・っ」
そう言いながらぽろぽろと泣いています。
「イルカ王子・・・」
好きな人なんて初めて聞きます。ここに来てからイルカ王子は一度もそんなこと言わなかったのに、王子は違う意味で悲しくなりました。
イルカ王子の好きな人は誰でしょう。
美しい隣国の姫でしょうか。
働き者の町娘でしょうか。
それとも傍で見守ってくれる侍女でしょうか。
イルカ王子の想い人です。きっと素敵な人でしょう。
考えれば考えるほど胸は押し潰されそうになります。
こんなことならさっさと口説けばよかった、何を好いてくれていても良かった、ただオレのことなら。
そんな後の祭りのようなことばかり頭に巡ります。
あの時、美しいと言われたことぐらいで、逃げ出さなければ・・・っ。
そこでふと思ったのです。
もしかしてオレのことを言っているのではないかと。
「もしかしてそれはカカシ王子ですか?」
そう言うとイルカ王子は小さく寂しそうに頷きました。
すると腹の底から熱いマグマのような感情が吹き上がります。
オレなのだ、と。
彼の心を占めて、彼の涙を流すほどの相手が、自身だったのです。
これ以上の喜びはあるでしょうか。
「俺が告白なんかするから、彼は気を病んで・・・っ。国の外交のために同盟国である俺の国を無碍にできないから、荒波をたてないため国を捨てたのだ」
王子はそんな立派な人ではありません。
恋に浮かれて自身に呪いをかけてもらってカエルになり、そのまま意気揚々とイルカ王子の国に住み着いたような人です。
「イルカ王子、それは」
「断ってくれてよかったのに」
ポロリと呟いた言葉は、なんて悲しい響きでしょう。
それはまるで魂の悲鳴のようでした。
「彼が国から消えるくらいなら、気持ち悪いと断ってくれればよかったのに。そしたら、国から去るのは、俺だったのに・・・」
そう言うとイルカ王子は足早に例の書斎の方へ歩いていきます。
「待って、待ってくださいっ!」
勿論カエルの足では追いつけません。
あぁ、何故オレはカエルなのでしょう。
こんな小さな足では追いつけません。
こんな小さな腕では抱きしめることもできません。
こんな小さな体では慰めることもできません。
だけれど、この小さな体で出来ることは一つだけあります。
嗄れた声で、愛を囁くことはできるのです。
嗄れて醜くたって。
声は届くのです。
小さな体でスキマから入り、部屋の中に入りました。
イルカ王子は自画像にすがり付いてワンワン泣いていました。
その姿に憤りを感じました。
「それはオレじゃない。カカシはオレだ!」
そう叫ぶとイルカ王子はハッとして王子の方を見てくれました。
「カエルさん、突然どうしたんだ?」
「イルカ王子、醜いカエルのオレより美しくて喋らない自画像の方がいいですか?美しくないオレなど何の価値もありませんか?」
そう言うとイルカ王子は吃驚した顔をしました。
それはそうです。突然前触れもなく言ったのですから。
しかしカカシ王子は真剣です。ジッとイルカ王子を見つめ、答えを待っています。
その姿に、イルカ王子はフッと笑いました。
「俺は彼の黒子が好きだった」
そういいながら絵の口もとにある黒子に触れました。
それは王子が先日汚して誤魔化すために描いたものでした。
ヤバイと思いながらも黙っていました。
愛おしく撫でるので気恥ずかしくなります。
「彼はこの黒子を恥ずかしがっていた。目の傷に比べたら誰にでもあるものなのに。まるで欠点のように隠す姿が人間味があって好きだった。彼は優秀で完璧な人だから、そんな小さな人間らしさがとても愛おしかった」
「オレは優秀なんかじゃない!オレが持っているのは容姿だけだ!」
「容姿だけで長期間人を魅了するなんて不可能だよ。最初は容姿に目を奪われても、心を動かすのは持ってる人間味だよ」
「そんなことない」と叫ぶつもりでした。
いつもはそうやって否定してきました。
容姿だけだ、それを持て囃され、美しい美しいといわれ続けたのです。
だけど。
だけど本当は。
本当は、そう言って欲しかったのです。
違うのだと、容姿など関係ないと、そう言って欲しかったのです。
それを証明してほしくて、こんな醜いカエルの姿になったのです。
「こんな姿になってしまったのですが、それでも愛してくれますか・・・?」
縋るように見上げます。
はいと答えてほしい。
今のこの姿でもいいと言ってもらえるなら。
ようやく自信が持てる気がしました。
イルカ王子はニコリと笑いました。
「姿が変わっても、黒子は変わらないのですね。カカシ王子」
そう言って抱き抱え、口もとを撫でます。気がついていませんでしたが、そこには黒子があるのでしょう。
そんなこと、イルカ王子はいつ気がついたのでしょうか。
「貴方にフられた日、俺は西の魔女に会いに行きました。貴方の姿をカエルに変えてくれ、と。カエルになればきっと誰からも愛されなくなる。そうすればきっと俺が手に入れられる、と。・・・貴方から来てくれた時は吃驚しましたが、嬉しかったです」
なんていうことでしょう。
カカシ王子をカエルにするという魔法はカカシ王子の願いだけではなく、イルカ王子の願いでもあったのです。
二人の願いが合わさってこんな醜いカエルになったのです。
それはなんて歪な愛の形なのでしょうか。
「初めて出会った日のことを、覚えていますか?潔癖症で綺麗なものしか触れらないと事前に聞いてて、どんな気難しい人だろうとドキドキしながら会いに行きました。貴方は庭先でぼんやり眺めていました。その姿に見惚れました」
その言葉にドキッとしました。
やはりきっかけは容姿だったのかと落ち込みました。
ですがイルカ王子は続けます。
「そしたら急に走り出して、城の塀の下に子犬が倒れているのを見つけて、貴方は躊躇いもなく拾い上げました。血と泥でぐちゃぐちゃだったのに、貴方はまるで宝物のように汚れる顔や手や服など気にもせず大事に抱えていましたよね。そして今でも大事に育ている」
それはパックンのことでした。
そんな姿見られているなど知らなかった王子は何だか照れ臭くて、そして何故かあのときは汚れることをなんとも思わなかったことを思い出しました。
普段は血や土など触れられません。
ですがあの時は、何だか必死で、とにかく救うことだけを考えていたような気がします。
「綺麗な格好で見つめている横顔より、泥だらけで小さな子犬を抱きしめながら笑う、美しい貴方に恋をしました」
そう言いながら。
チュッと王子にキスをしました。
その後、カカシ王子は行方不明のまま国に帰ってくることはありませんでした。
そして、イルカ王子が新しい執事を迎えられました。
その執事は片目には眼帯、大きなマスクで殆どの顔を覆いなんとも怪しい出で立ちです。
そして何故か髪色がカエル色でした。
怪しい執事に殆どの人が話しかけようとはしませんでした。執事はほとんどの時間イルカ王子と共に過ごし、イルカ王子と同じテーブルでご飯を食べ、一緒にお風呂に入り、同じベッドで寝かせていました。
そうしてイルカ王子と仲良く、末永く一緒に暮らしましたとさ。
めでたしめでたし
名前はカカシ。
銀色の髪に透けるような白い肌、無駄のない筋力、そして甘い声。どれもが人々を魅了し、虜にしました。
王子はそんな人々を上辺しか見ない愚か者だととても嫌い、だけどそれしか取得のない自分を守るため汚れることをとても嫌いました。
そして時が経つにつれ、美しい姿に色気が出てきました。人々は前にも増して群がり媚を売り少しでも近づこうと必死でした。王子は益々人嫌いになり、重度の潔癖症となりました。とにかく宝石や金銀、花など美しものしか傍に置かず、人や人が使ったものは触れません。香水のキツイ匂いも嫌い、信頼のおける家来しか傍に寄せ付けませんでした。
そんな王子が唯一触れられたのは、隣国のイルカ王子でした。
彼は王子とは真逆で、姿こそは平凡で取得のない顔でしたが、心根の優しい人格者でした。素直で明るく誰にも裏表なく平等に扱う姿に、誰もが惹かれました。カカシ王子もです。彼が何をしても苦痛ではなく、むしろ触れられた所はお日様のように温かくて堪らない気持ちになりました。
早くまた会いたい。
そう日に日に強く思う自分に、王子はようやく気がついたのです。
これが、恋だと。
自分と真逆で、心が美しい彼に、自分は惹かれているのだと、なんだか嬉しくなりました。
どちらも末っ子で後継ではありません。誰にも邪魔されることはないと、いつかこの恋が実ることを夢見ていました。
そんなある日、イルカ王子はこう言ったのです。
好きです、と。
美しい貴方を愛していると。
それは、王子が一番望んでいた言葉と。
一番言われたくなかった言葉でした。
美しいなどと、イルカ王子だけには言われたくなかった。
周りと同じように、姿しか見ていないと知って、絶望しました。
呪いを。
呪いをかけて。
何よりも醜くなる、呪いをかけて。
そのまま、王子はお城抜け出し、森のはずれにある怪しい魔女の所へと行きました。
「何よりも醜くしてくれ。何でも支払うから」
魔女は笑いました。
「愚かなはだかの王様。自尊心の欠落を有りもしない人に惑わされて」
「何でもいい。オレはこの顔が嫌なんだ。姿だけで人を引きつけ、それしか見てくれないこの姿なんて」
「いいだろう。前々からその青がかった美しい瞳が欲しいと思っていたんだ」
そう言って魔女は左目に手を置きました。冷たい手でした。
手が離れると魔女の手のひらに目玉がありました。だけれど自分の目は見えます。
「片目だと不便だろう。醜い目をやろう。見るだけで皆が震え上がる目を」
「目じゃない。姿を!姿を変えてくれ!」
「あぁ、勿論いいとも」
そうやって差し出されたのは毒々しいほど赤い林檎でした。小さく「eat me」と書いてあります。
ガリッと齧り付くと頭が真っ白になり、気を失うようにバタッと倒れました。
そして走馬灯のように今までの出来事が頭を巡ります。
愛らしい愛らしいと頭を撫でてくれた母。そんな母は幼くして死んでしまいました。忙しい父と兄、誰かの関心をひきたくて堪らなかったのです。だけれど周りは何もしなくても容姿だけでちやほやしました。美しい美しいと褒めたたえました。それは王子が何を努力することなく手に入れたものでした。
関心がひきたかったのに、こんな関心ならいらない。
だけどこれが無くなれば?
そうすればオレは誰にも相手にされないのか。誰にも関心されず、一人生きていくのか。
世の中を知らない無知な王子はそんな強い強迫観念に苛まれたのです。
そんなとき出会ったのがイルカ王子でした。
どんな時でも裏表なく本心で言ってくれる彼は、傍にいても苦痛ではありませんでした。感情豊かで何をしても大袈裟なほど反応し、正しいことは正しいと言える強い正義感を持つ好青年でした。徐々に、徐々に浸透していった彼の存在は、もう身体中から溢れ出るほどになっていたのです。
いつか大きなことをしてやろう。
容姿だけではなく、他にもっとすごいことを成し遂げよう。
誰からも褒め称えられるようなことを。
そしたらオレは胸を張って、イルカ王子を好きだと伝えよう。
そう思い、日々勉学に励み、武術を習い、国の政治を研究していました。
それなのに。
イルカ王子はまだ何もしていない自分を好きだと言ったのです。
美しいと。
頬を染めながら、それでも真剣な目で一度も逸らさず告白した彼は相変わらず誠実だった。
確かに愛してくれているのでしょう。
だけれど王子はまだ何もしていません。
大きな功績などまだ何一つなかったのです。
それなら、今の自分にあるのは、容姿だけ。
醜くなったら。
それでも好きだと言ってくれるのなら。
オレはその言葉を、イルカ王子を信じられる。
目が覚めると何だか世界が広くなった気がしました。空はあんなに遠く、木々はあんなに高かったでしょうか。
手を伸ばすと何だか白くて細くて気持ち悪い腕が伸びました。
「あれ?・・・っ!!」
出た声は嗄れて聞くに耐えない声でした。
ゆっくり体を起こしてみましたが、きちんと立てた気がしません。まるでうつ伏せになっているようでした。歩こうとしても飛び跳ねるだけです。それでも辺りを見渡しました。
すると巨大な魔女がこちらを見てニヤニヤしていました。
「成功だよ。おぉ、気持ち悪い」
「鏡はないの?」
喉のあたりがぷくっと膨れた気がしました。
「見せてやろう」
魔女は懐から鏡を出しました。
そこには人間などうつっていません。
ただポツンとカエルがいました。
「ちゃんとオレをうつしてくれ」
王子は叫びました。
すると魔女は高笑いをしました。
「そこにうっているカエルがお前だよ」
その言葉に、ようやく王子は理解したのです。
歩こうとすると目の前のカエルが飛び跳ねました。
なんてことでしょう。
醜くなれと呪った王子はカエルになってしまったのです。
「約束がちがう!カエルになりたいなど言ってない!!」
「何を言う。お前は醜いものになりたいと言っただろ。私にとって醜いものはカエルだ。お似合だよ、王子さま」
「こんなのではイルカ王子に好かれない!愛してもらえない!」
「知らないね。元の姿に戻りたいなら、愛する者からキスしてもらいな。それ以外ではとけないよ」
そう言うと消えるように魔女はいなくなりました。
「待ってくれ!」
王子は叫びましたが、誰も、何も反応しません。
ただ、醜くなったカエルの体が見えるだけです。
王子は悲しくて泣きました。その度にゲコゲコと鳴く自身にさらに悲しくなりました。
勿論王子はカエルなんて醜いので触ったことなどありません。それに草や土など汚くて触れたくもないのです。必死で辺りを見渡しますが、切り株一つありません。
このまま自分はどうなるのでしょう。
ポロポロと涙が溢れました。拭おうとすると、手についた泥で顔が汚れます。それを拭おうと反対の手で拭くと、更に汚れます。
なんて惨めな姿でしょう。
このまま干からびて死んでしまうのでしょうか。
そう悲観した時です。
ワンッと大きな声が響き渡りました。
ぬっと現れたのは愛犬のパックンでした。
「なんて格好をしてるのだ」
「パックン・・・っ、オレのことが分かるの?それに喋って」
「何やらおかしな術がかかっておるが、カカシのことは間違えんよ」
パックンはぺろんっと顔を舐めました。
それはいつもと同じで、嬉しくなってまた泣きました。
どうやら自分が人間ではなくなったので、動物の言葉を理解できるようになったのです。
それだけでどれだけ心強いでしょう。
「パックン、汚れる・・・」
パックンは頭の上に王子を乗せました。
するとパックンの毛が汚れてしまいます。拭おうとしても汚れるばかりです。なんて無力なのでしょう。
「パックンごめんね、ごめんね・・・」
泣く王子にパックンはワンッと大きく鳴きました。
「ワシは犬だ。汚れることなど日常茶飯事だ」
なんて寛大な犬でしょう。
王子は感激しました。
そして自分ももう人間ではなくなったのです。今更汚れようが関係ないと思いました。
するとどうでしょう。
スッと心が軽くなりました。人間のしがらみから解き放たれるようでした。そんなに悲観することもないかと思い始めました。
すると押し付けていた願望がムクムクと出てきました。
そうです。
イルカ王子に会いたいと、ただそれだけを思いました。
「イルカ王子に会いに行こう。イルカ王子は生き物はなんでも好きだって言ってたし」
パックンは文句も言わず走り出しました。
二日かけてようやくイルカ王子の城に着きました。
彼の城にはパックン込みで会いに来たことがあるのですんなりと入れてもらえました。
イルカ王子は足速に会いに来てくれました。
「パックン!どうしたんだ!?」
そう言って躊躇いもなく抱き上げてくれます。イルカ王子はいつもそうやって可愛がってくれていました。
王子も一緒に抱き上げられ、いつもと違う密着度にドキドキしました。
「あれ?なんだ、このカエル・・・?」
ようやくイルカ王子は気づいてくれました。
緊張しながらイルカ王子を見上げて言いました。
「私はある国の王子です。悪い魔女に呪いをかけてこんな醜い姿になりました」
やはり聞くに耐えない酷い声です。
イルカ王子は眉を顰めました。
その表情にゾッとしました。
もしかしたらイルカ王子はカエルが嫌いかもしれない。
その可能性を全く考えていなかったのですが、そうであってもおかしくはありません。
自分だって醜いと思っているからです。
だけれど、そうだとしたら、どうしたら良いのでしょうか。
このまま彼に見捨てられたら。
オレはこのまま一生カエルの姿で誰にも相手にされず生きていくのか。
それは深い、深い絶望でした。
その可能性を少しも疑わずこんな所まできた自分はなんて愚かなのでしょう。生き恥を晒すだけです。
せめてもの救いは、カカシだと分からないことでしょうか。
ゲコッと鳴きました。
このまま去ってしまおうか。
いや、待てよ。
確か頬にキスしてもらえたら元に戻るのだ。
このままジャンプして唇に当ててみようか。
そうすれば、そのまま既成事実を作り、彼と結婚してしまおう。
なんて腹黒いことを思う王子でしょう。
だけれど王子は本気です。タイミングよく、跳べば唇に届きそうな高さです。
よしっ、と決めて飛び跳ねようとすると。
ギュッと抱きしめられました。
「可哀想に。森には悪い魔女が住んでいると聞く。呪いをかけられなんて」
さすがイルカ王子です。その通り信じてしまいました。本当は自分から呪いをかけられたのに。
王子の良心はチクッと痛みました。
「大丈夫だよ、好きなだけいるといい」
イルカ王子は優しく笑いました。
「それに醜いなんてとんでもない。可愛いカエルさん」
そう言って何度も撫でてくれました。その表情から本心だと感じます。
なんて優しい人でしょう。
ますます惚れてしまいました。
「私は醜いでしょ?」
「とても可愛らしいよ。昔はよく遊んだものだ」
「だって嗄れた声だし」
「言葉が交わせていいじゃないか」
「目だって赤いし」
「色違いで素敵だよ。それに赤色は好きだ」
「緑だし、指は三つだし、足も腕も細くて長いし」
「カエルなんてそんなものだよ」
王子の不満にもひとつひとつ丁寧に答えてくれます。
ひとつひとつ答えてくれる度に、何だか今の自分の姿が好きになっていきます。
嬉しくなってゲコゲコと鳴きました。
「それではイルカ王子のお友だちにしてください。イルカ王子と同じテーブルでご飯を食べさせてくれて、一緒にお風呂に入り、同じベッドで寝かせてください」
ついぽろっと本音が出ましたが、イルカ王子は笑って了解してくれました。
なんてちょろい、いえ、心優しい王子さまなのでしょう!
ちょっとだけ心配になりました。
そうして夢の様な生活が始まりました。
毎朝イルカ王子と起き、一緒のテーブルでご飯を食べ、一緒に勉強し、武術を習い、お昼寝をし、おやつを食べ、本を読み、お風呂にも一緒に入って洗ってもらい、一緒のベッドで寝るのです。
王子はご機嫌でいつもゲコゲコ鳴いていました。
イルカ王子も同じようにニコニコ笑っていました。
そんな様子にお城の人たちも温かく見守っていました。
今日は滅多にないイルカ王子の外交の日です。領地を周り、近隣の国に挨拶するので数日は帰ってきません。
王子は寂しくてずっとパックンと一緒にいました。
いつもは自分が膝に置き、ブラッシングをしていました。ですが今はパックンに舐めてもらっています。それはちょっぴり嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしくて、ちょっぴり寂しかったのです。
パックンにブラッシングする時間は王子の心休まる癒しの時間でした。気持ちよさそうなパックンの顔を見ると嫌なことがあっても忘れられます。それが出来なくなってしまうのは寂しかったのです。
せめてもう少し大きければ。
撫でれるぐらい手が大きければ。
そう思うと切なくなります。
「パックン、オレはダメな飼い主だね」
オレについてきてくれ、住むところも変わったのに文句一つ言わない愛犬が愛しくて堪らないのです。
そして何も出来ない自分がとても惨めで情けないのです。
パックンはシワシワの顔をギュッとして、ぺろんっと顔を舐めました。
「ワシはカカシと喋れることを感謝しておる」
そう言うとまたぺろんっと舐めました。
何だか胸が苦しいのです。
それは喜ぶべきことなのでしょう。しかし自尊心の低い王子はその言葉を信じきれません。
喋れたって大したことを言えているわけでもなく、今の生活なんて恩恵を受けてるだけなのです。
今の生活に何の不満もありません。ですが、自分だけ幸せで何も、誰にも、イルカ王子にも返せていません。
小さくて醜いカエルは何が出来るでしょうか。
歌も歌えません。
餌も取れません。
武術を教えることも、政治について話すことも、料理一つでさえできません。
全てイルカ王子の恩恵なのです。
王子は幸せなのになんだか胸が苦しくて堪りませんでした。
退屈な王子は城を見て回りました。
ほとんど見たことのある部屋でしたが、一つだけ、一度も行ったことがない部屋がありました。
イルカ王子の書斎です。
イルカ王子から絶対中に入ってはいけないと初日に強く言われていたのです。
今まで忘れていましたが、とても中が気になります。都合よくドアの下には隙間があり、今の身体ならなんとか入れそうです。
でもイルカ王子の忠告が頭に響きます。
「ここは絶対に入ってはいけないよ」
どこか泣きそうな顔で言いました。
しかし、好奇心に負けた王子はさっさと中に入りました。こういうのはバレなければいいのです。
初めてカエルでよかったなぁと思いました。
部屋に入ると何の変哲もない書斎でした。大量の本と机と椅子があるだけです。
つまらないなぁと思いながら戻ろうとした瞬間。
一番日当たりのいい、美しく見える場所に。
カカシ王子の自画像が飾られていました。
この自画像は覚えています。自分が友情の証にと、強請って交換した自画像でした。王子の部屋にも勿論飾ってあります。
でもこんなコソコソ飾られて。
そしてこんな美しく飾ってもらって。
湧き上がるのは嫌悪感でした。
やはりイルカ王子は、オレの姿しか愛してくれていなかったのだ。
王子はとても悲しくなりました。
そしてとても腹立たしくなりました。
二割増でカッコよく描かれた自画像が何だかとても憎らしくなりました。
「こんなもの破れてしまえ!」
王子はタックルしました。ですが王宮で作られたものです。勿論破れることはありません。
しかし、タックルしたところが汚れてしまいました。
それは丁度、唇の下です。
自身の黒子と同じ場所でした。
王子はこの黒子を嫌っていました。美しくないと自画像を描く時も描かせませんでした。
なんて皮肉でしょう。
自身の黒子が、自身の罪を現しているのです。
入ってはいけないと言われた部屋に勝手に入り、しかもイルカ王子が大切にしているモノを汚してしまったのです。
なんとか誤魔化そうとあたかも最初からあったかのように自身そっくりの黒子を描きました。
そして数日後、イルカ王子が帰ってきました。
一番に門の前でパックンとお出迎えしました。
馬に乗ったイルカ王子が帰ってきます。
「イルカ王子ー!!」
大声で叫ぶと、イルカ王子は笑って手を振ってくれましたが、どこか元気がありません。
近づいて、抱き上げてくれましたが、やはりどこか暗い顔をしていました。
「ただいま」
「元気がないですが、どうかしましたか?」
「なんでもないよ」
嘘です。
イルカ王子は正直者なので嘘をつくとすぐに分かります。
「なんでもなくない。とても悲しい顔をしている」
ぴょんぴょんと精一杯飛び跳ねました。それしか王子はできなかったのです。
だけれど、その精一杯さは伝わり、イルカ王子は王子をぎゅっと抱きしめます。
「好きな人が、いなくなってしまった・・・」
なんて悲しい声でしょう。聞いているだけでこちらまで泣きたくなります。
「俺のせいなんだ。俺のせいで、彼は・・・っ」
そう言いながらぽろぽろと泣いています。
「イルカ王子・・・」
好きな人なんて初めて聞きます。ここに来てからイルカ王子は一度もそんなこと言わなかったのに、王子は違う意味で悲しくなりました。
イルカ王子の好きな人は誰でしょう。
美しい隣国の姫でしょうか。
働き者の町娘でしょうか。
それとも傍で見守ってくれる侍女でしょうか。
イルカ王子の想い人です。きっと素敵な人でしょう。
考えれば考えるほど胸は押し潰されそうになります。
こんなことならさっさと口説けばよかった、何を好いてくれていても良かった、ただオレのことなら。
そんな後の祭りのようなことばかり頭に巡ります。
あの時、美しいと言われたことぐらいで、逃げ出さなければ・・・っ。
そこでふと思ったのです。
もしかしてオレのことを言っているのではないかと。
「もしかしてそれはカカシ王子ですか?」
そう言うとイルカ王子は小さく寂しそうに頷きました。
すると腹の底から熱いマグマのような感情が吹き上がります。
オレなのだ、と。
彼の心を占めて、彼の涙を流すほどの相手が、自身だったのです。
これ以上の喜びはあるでしょうか。
「俺が告白なんかするから、彼は気を病んで・・・っ。国の外交のために同盟国である俺の国を無碍にできないから、荒波をたてないため国を捨てたのだ」
王子はそんな立派な人ではありません。
恋に浮かれて自身に呪いをかけてもらってカエルになり、そのまま意気揚々とイルカ王子の国に住み着いたような人です。
「イルカ王子、それは」
「断ってくれてよかったのに」
ポロリと呟いた言葉は、なんて悲しい響きでしょう。
それはまるで魂の悲鳴のようでした。
「彼が国から消えるくらいなら、気持ち悪いと断ってくれればよかったのに。そしたら、国から去るのは、俺だったのに・・・」
そう言うとイルカ王子は足早に例の書斎の方へ歩いていきます。
「待って、待ってくださいっ!」
勿論カエルの足では追いつけません。
あぁ、何故オレはカエルなのでしょう。
こんな小さな足では追いつけません。
こんな小さな腕では抱きしめることもできません。
こんな小さな体では慰めることもできません。
だけれど、この小さな体で出来ることは一つだけあります。
嗄れた声で、愛を囁くことはできるのです。
嗄れて醜くたって。
声は届くのです。
小さな体でスキマから入り、部屋の中に入りました。
イルカ王子は自画像にすがり付いてワンワン泣いていました。
その姿に憤りを感じました。
「それはオレじゃない。カカシはオレだ!」
そう叫ぶとイルカ王子はハッとして王子の方を見てくれました。
「カエルさん、突然どうしたんだ?」
「イルカ王子、醜いカエルのオレより美しくて喋らない自画像の方がいいですか?美しくないオレなど何の価値もありませんか?」
そう言うとイルカ王子は吃驚した顔をしました。
それはそうです。突然前触れもなく言ったのですから。
しかしカカシ王子は真剣です。ジッとイルカ王子を見つめ、答えを待っています。
その姿に、イルカ王子はフッと笑いました。
「俺は彼の黒子が好きだった」
そういいながら絵の口もとにある黒子に触れました。
それは王子が先日汚して誤魔化すために描いたものでした。
ヤバイと思いながらも黙っていました。
愛おしく撫でるので気恥ずかしくなります。
「彼はこの黒子を恥ずかしがっていた。目の傷に比べたら誰にでもあるものなのに。まるで欠点のように隠す姿が人間味があって好きだった。彼は優秀で完璧な人だから、そんな小さな人間らしさがとても愛おしかった」
「オレは優秀なんかじゃない!オレが持っているのは容姿だけだ!」
「容姿だけで長期間人を魅了するなんて不可能だよ。最初は容姿に目を奪われても、心を動かすのは持ってる人間味だよ」
「そんなことない」と叫ぶつもりでした。
いつもはそうやって否定してきました。
容姿だけだ、それを持て囃され、美しい美しいといわれ続けたのです。
だけど。
だけど本当は。
本当は、そう言って欲しかったのです。
違うのだと、容姿など関係ないと、そう言って欲しかったのです。
それを証明してほしくて、こんな醜いカエルの姿になったのです。
「こんな姿になってしまったのですが、それでも愛してくれますか・・・?」
縋るように見上げます。
はいと答えてほしい。
今のこの姿でもいいと言ってもらえるなら。
ようやく自信が持てる気がしました。
イルカ王子はニコリと笑いました。
「姿が変わっても、黒子は変わらないのですね。カカシ王子」
そう言って抱き抱え、口もとを撫でます。気がついていませんでしたが、そこには黒子があるのでしょう。
そんなこと、イルカ王子はいつ気がついたのでしょうか。
「貴方にフられた日、俺は西の魔女に会いに行きました。貴方の姿をカエルに変えてくれ、と。カエルになればきっと誰からも愛されなくなる。そうすればきっと俺が手に入れられる、と。・・・貴方から来てくれた時は吃驚しましたが、嬉しかったです」
なんていうことでしょう。
カカシ王子をカエルにするという魔法はカカシ王子の願いだけではなく、イルカ王子の願いでもあったのです。
二人の願いが合わさってこんな醜いカエルになったのです。
それはなんて歪な愛の形なのでしょうか。
「初めて出会った日のことを、覚えていますか?潔癖症で綺麗なものしか触れらないと事前に聞いてて、どんな気難しい人だろうとドキドキしながら会いに行きました。貴方は庭先でぼんやり眺めていました。その姿に見惚れました」
その言葉にドキッとしました。
やはりきっかけは容姿だったのかと落ち込みました。
ですがイルカ王子は続けます。
「そしたら急に走り出して、城の塀の下に子犬が倒れているのを見つけて、貴方は躊躇いもなく拾い上げました。血と泥でぐちゃぐちゃだったのに、貴方はまるで宝物のように汚れる顔や手や服など気にもせず大事に抱えていましたよね。そして今でも大事に育ている」
それはパックンのことでした。
そんな姿見られているなど知らなかった王子は何だか照れ臭くて、そして何故かあのときは汚れることをなんとも思わなかったことを思い出しました。
普段は血や土など触れられません。
ですがあの時は、何だか必死で、とにかく救うことだけを考えていたような気がします。
「綺麗な格好で見つめている横顔より、泥だらけで小さな子犬を抱きしめながら笑う、美しい貴方に恋をしました」
そう言いながら。
チュッと王子にキスをしました。
その後、カカシ王子は行方不明のまま国に帰ってくることはありませんでした。
そして、イルカ王子が新しい執事を迎えられました。
その執事は片目には眼帯、大きなマスクで殆どの顔を覆いなんとも怪しい出で立ちです。
そして何故か髪色がカエル色でした。
怪しい執事に殆どの人が話しかけようとはしませんでした。執事はほとんどの時間イルカ王子と共に過ごし、イルカ王子と同じテーブルでご飯を食べ、一緒にお風呂に入り、同じベッドで寝かせていました。
そうしてイルカ王子と仲良く、末永く一緒に暮らしましたとさ。
めでたしめでたし
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