目が覚めるとよく知る居間だった。
(カカシ先生・・・)
隣を見れば彼が居るのではないかと、ぼんやりとした頭で思う。
だけど当然のように誰もいない。ただ寝室のドアが静かに閉まっていた。
ただの夢だとは思わなかった。
思えなかった。
彼の声も体温も匂いも、鮮明に思い出せる。
記憶はなくても、体は確かに覚えていた。
あれは現代の俺たちだ。
紛れもなく同棲するほどの恋人同士だった。
三代目が一緒にいないと不自然だと言った理由がよく分かった。
きっと、家でも外でも。
惜しげもなく当たり前のように二人でいたのだろう。寄り添ってまるで番のように。
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
愛おしくて堪らないあの存在を。
そう思っていた時、ガラッと寝室のドアが開いた。
銀色の髪。美しい顔。スラリとムダのない体。
それは夢と同一なはずなのに。

冷めたは目は、夢の中の蕩けるような目と。
余りにも違いすぎた。

違う。
あの人じゃない。
俺を愛してくれた、カカシ先生ではない。
同じ人だけど、違う人だ。
それが嫌ってほど理解した。
ギュッと自然に顰めっ面になる。
すると彼も眉を顰めた。
「可愛くない顔」
「悪かったですね!可愛くなくて」
「夢ではあんなに可愛かったくせに」
ボソッと呟いたが、それは俺と同じ気持ちだった。
まさか、この人も『今』の記憶の夢を見たのだろうか。
「カカシさんもみたんですか?」
「アンタも?」
不思議そうな顔したが、はぁーっと溜息をついた。
「どっかで覚えてるんだーね」
ぐしゃぐしゃと頭をかいた。
そして俺をジッと見つめた。
それは夢と同じ色違いの目だった。
「アンタって髪おろすと雰囲気違うね」
「はぁ・・・」
思いもしなかった言葉にただ頷いた。
「黒髪を乱しながらオレの下で喘ぐアンタ最高だった」
聞きなれない言葉にポカンとなる。
彼はどこか高揚しながらどこかボンヤリと遠くを見ている。
「え、と・・・」
髪を乱す?喘ぐ?
昨日の夢は彼が任務帰りで玄関で抱きしめてくれた夢だ。それとは一つも合致しない。
それに、その言葉から導き出されることは。
嫌な予感がして冷や汗が流れた。
もしかして、この人が見た夢って。
「ねぇ」
その擦れた声は低く色っぽい夢の中の彼と酷似していたが。
表情は全く違った。
優しく蕩けるような目は。
ギラギラとした獲物を見る目でまるで舌舐めずりをするかのようにこちらを見ていた。

「一回ヤらせて?」



◇◇◇



有り得ない。
有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!
朝から憤慨しながら書物の整理をしていた。誰もいなくて良かった。誰かいたら八つ当たりしそうだ。
昨日まで口を開けばイヤミばかり言っていたのに。
エロい夢を見たから、ヤらせろ?
誰がそんな理由でヤるか!
腹が立って仕方なかった。
一番許せないのは。

あの人の顔でそんなことを言うこと、だ。

カカシ先生は、俺のことまるで宝物のように見つめていた。会えないと寂しいと、会えたら嬉しいと全身で伝えてくれた。
あんな顔、絶対しない。
(最低だ・・・)
『今』の俺たちがどう出会い、どのぐらい葛藤し、恋人になったのかは知らない。きっと沢山苦労もあっただろう。
だけど羨ましい。
少なくとも、カカシ先生は。

ヤらてなど。
そんな軽率な言葉は使わない。

俺は分かる。
知らないけど、分かるのだ。
あの人はカカシ先生じゃない。
俺の愛したカカシ先生ではない。




家に帰ると真っ暗だった。
今の、二十歳の自分はそれが当たり前だったはずなのに、どこか寂しさを感じる。
それを気が付かないフリをして、台所に向かった。
今朝貯金通帳を探すと、それなりに蓄えがあり、あの家電たちは俺から支出したものではなかった。彼からのプレゼントだろうか。それにしては金額が大きすぎる。まるで貢がれているようで複雑だった。最新家電がなくても生きていけたのに、わざわざ変えざるを得なかったのだろうか。それとも何か理由があったのだろうか。
記憶がないのは初めてで、戸惑うことばかりだ。
早く記憶が戻ればいい。
そうすれば、俺は彼を、あの優しいカカシ先生を手に入れられる。
一人分の食事を作り、食器棚から食器を取らうとした。
そこには見知らぬ食器ばかりあった。
昔から使っている物は奥の方にあり。

手前には全て揃いの食器があった。

これを並べて、向かい合って座り、共に飯を食ったのだろうか。
目をつぶれば、その情景がありありと浮かんでくる気がした。実際は何も浮かばなかった。それが悲しくもあり、どこか寂しかった。今彼に会えるすべは記憶しかない。
彼らはきっとまるで夫婦のように寄り添って笑いあいながら食べていたのだろう。お互い記憶があれば今日だってきっと。
なのに今は俺ひとりで食べている。
今までだってずっとそうだったのに。
食欲がなくなり半分ぐらいしか食べれなかった。残ったものは明日にしようとラップをし、冷蔵庫に入れると、玄関に気配がした。
手に持っているのは、コンビニの袋だった。
「・・・お疲れ様です」
「ん」
彼は買ってきたものを卓袱台に広げ、もそもそとあまり美味しそうになく食べていた。
昨日は高級寿司とか食べてたくせに。
今の時間でもう配達は終わっているだろうが、それでも彼がコンビニ飯とは思えなかった。
「何?」
「いえ、そんなのも食べるんだと思いまして」
「別に。腹が膨れればなんでもいい。寿司もコレも同じだーね」
寿司とコンビニ飯が同じ、だと…?
値段も分からないのかこのバカ舌め!それとも味音痴なのか。
ギッと睨んでいたのが分かったのだろう、あぁと呟いた。
「そんなに昨日の寿司が食べたいなら頼んでやってもいいよ」
「ぅえ!?」
まさかそんな事言ってくれるとは思わず、変な声が出た。
本当に奢ってくれるのだろうか。あまり金には執着しない人なのだろうか。
食べたいかと言われれば、勿論食べたい。一生口に入ることがないような高級品だ。
だが疑いたくなる。
そんなタダで人に奢ってくれるような人だろうか。
探るように見つめると、ニヤッと笑われた。

「アンタがヤらしてくれるならね」

その言葉にガンッと衝撃がきた。
また。
また、その言葉。
きっとこの人は、性に関して奔放なのだろう。美形だし、稼ぎもいいらしい。きっと今まで引く手あまたで、好きなように簡単に関係をもってきたのだろう。でなければ、そんなこと言えない。気軽にヤろうなんて、そんな言葉。
セックスは悪ではない。
だけど愛のないセックスはなんの意味がある?
快楽を得たいならもっと他に手段はいくらでもある。
しかも男同士だ。生産性もない。快楽だって女に比べたらきっと劣る。

それでもシたい理由なんて、ただの興味しかない。

そのために自分の体を差し出すことなどするはずない。
そんなことして得られるものはなんだ。そして失うものはなんだ。
夢の中のカカシ先生の笑顔が浮かぶ。
愛しいと確かに感じた。
あの顔に、嘘なんかなかった。

愛しあっていないセックスなど、滅びてしまえ。

「そんなにシたいなら誰とでも勝手にしやがれ!!」
俺は怒鳴った。
「誰と何をしても絶対責めないと誓うから、俺じゃない誰かと勝手にしてろ!」
「…何熱くなってるの?セックスなんてただの性欲処理でしょ?」
その言葉にカッとなる。
アレを見たモノがそんな風に考えているなんて許せなかった。
夢の中の二人を見て、ただの性欲処理なんて、そんな馬鹿な事。
「俺は違う!夢の中のカカシ先生だって!!」
カカシ先生はそんなこと考えるはずない。愛のないセックスをしようなんて、そんなこと言うはずない。
「何見たか知らないけど、オレもアンタが見た夢の中のオレも同じだよ」
「一緒にするな!」
俺のことばにハッと鼻で笑った。

「オレのこと何にも知らないくせに何言ってるの?アンタが見たっていう夢なんかただの妄想かもしれないのに」

そんなこと。
じわっと湧き上がる感情は夢の中の世界を侮辱された怒りか。
それとも指摘されたことに何一つ言い返せない悔しさか。
それを証明できない自分への苛立ちか。

それともそうかもしれないという、恐怖か。

俺は何故こんなにもムキになっているのだろう。
本人は目の前にいるのに。高々八年間で変わるはずないのに。

ただ心細い気持ちを、優しい妄想に逃げたいだけではないのか。

バンッと卓袱台を力いっぱい叩く。
ビクッと彼がなったが気にせず寝室に行った。
ベッドに入り布団にくるまった。
もう一度。
もう一度会えればわかる。





「イルカ」
目の前には心配そうな顔をしたカカシ先生が俺の顔を覗き込んでいた。
「魘されてたけど、大丈夫?」
ゆっくりと、これが夢で俺の記憶の中だと理解した。
確かめたいが、記憶の中で何かできることなどない。ただ、流れてくる俺の目からの情報をぼーっと見ているだけだ。
(あ…)
よく見れば、彼の顔が露わになっていた。口の下にホクロがあった。
いつも顔を必ず隠している彼のこんな身体的特徴を知っているのは親しいからではないのか。もし目覚めて、今の彼に同じホクロがあれば…。
「ひどい顔」
あまりの言われ様にハッとする。
まさかそんなこと言われるとは思わなくて食い入るように彼を見ると、とても心配そうな顔をしていた。
「他の人の仕事手伝って、倒れて。なんで自分を大切にしないの?そんなに自分より他人のほうが大事?」
まるで泣く寸前のように顔を歪ませ駄々こねるように言う仕草はまるで子供のようだ。だけど切ないと悲しいと全身で訴える。
「大丈夫ですよ」
俺はなんてことないように答えた。だって今までだってなんでも一人でやってこれた。だれにも頼らずただ一人で。
だから大丈夫。大丈夫だ。
「そんな悲しいこと言わないで」
だけどカカシ先生は切なそうに言う。まるで自分のことのように。
傷ついているのだと、はっきりと伝えてくる。
そっと、まるで繊細なガラス細工に触れるように優しく俺の顔を包み込む。
「オレがいるのに、ひとりで生きていくようなこと考えないで。もっと甘えて。イルカの心をオレにわけて。オレの心、受け取ってよ」
そう言ってギュッと抱きしめてくれる。
温かい。
温かくていい匂いがする。
優しくて、安心できて、泣きたくなるほど愛おしい。
(この匂い・・・)
どこかで嗅いだことのある匂いだ。
(どこだっけ・・・)
彼、ではない。彼とは必要以上に近づかなかった。そうじゃなくて、もっと身近で、抱きしめられるように、深く。

そうだ。
あの客用の布団の匂いだ。

昨日寝た布団に同じ匂いがした。
きっと。
彼が、使っていたのだ。
(妄想じゃない・・・)
一つ一つ証拠が出てくるのが嬉しくて堪らない。
(妄想なんかじゃない。彼は確かに俺の傍にいてくれた。こうやって優しく愛してくれた)
抱きしめ返したいのに、俺の腕は動かない。

だって今の俺は、ここにはいない。

「優しい人」
俺は静かに笑っていた。
「何で笑うの。オレ真剣なのに」
そう言って不貞腐れる彼は、どこか子どもっぽい。今の彼では考えられないほど。
「俺には貴方がいるから、頑張れるんです」
「頑張らないでよ」
「だって、貴方にもっと」

(もっと、好きになってもらえるように)

浮かんだ言葉は、声にはならなかった。
ただゆっくりと口づけをした。
啄むようにチュッと口づけ、舌を出して彼の唇をなぞった。
どこか官能的で、どこか神聖だった。
くしゃりと彼が顔を歪ませた。
何故、そんな顔をするのか分からない。
とても苦しそうな、もどかしそうな顔。
「イルカ」
俺をベッドに押し倒し、上に伸し掛る。
ギシッとベッドか軋む音がした。
「イルカ」
そう言いながら顔を埋めた。
俺は彼の好きなようにさせながら、眉を顰めて笑う。
「カカシさん」


愛してます。

その言葉は、やはり声にはならなかった。





目覚めると、朝日が眩しかった。
幸せな余韻が胸を揺らす。
起きるのがひどく億劫だった。
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
このベッドで二人で愛し合った。確かに俺は愛していたし、彼からも愛されていた。

あれがすべて夢なら、俺は目覚めたくない。

だけど仕事は山積みだ。色々してもらってる三代目に迷惑はかけられない。
勢いよく起き、寝室のドアを開けた。
そこには布団がひいてあり、朝日に照らされた銀髪がキラキラと光っていた。
美しいそれらに暫し見蕩れた。
(・・・そうだ。ホクロ)
口の下にあるホクロを確かめなければ。
それがあれば、もう妄想など呼べやしないだろう。
そっと近づき、顔を覗き込んだ。
(・・・・・・あった)
確かに夢と同じように、同じところにホクロがあった。
妄想なんかじゃない。アレはやっぱり失った記憶だ。確かに現実で、俺たちは愛し合っていたのだ。

ーーと、その瞬間、天地がひっくり返った。

気がつけば布団に寝そべり、上には彼がのしかかっていた。
彼の目はぼんやりとしており、そこには何もうつしてはいなかった。
「カ、カカシさ」
「イルカ」
夢と同じように呼ばれた。
低く擦れた声。夢の中で、そうやって何度呼ばれただろう。
嬉しくて、動揺して、抵抗するのを忘れた。
そのまま首元に唇を落とした。
チュッと優しく口つける。
その瞬間、ブワッと彼の匂いがした。
温かくていい匂いが。
手を伸ばしたくなった。そのまま彼を抱きしめて、俺のだと感じたい。
夢ではない、誰でもない、俺のだと。
彼が服に手をかける。そのまま捲し上げられ、体に舌を這わす。
「ん、んん」
気持ちよくて思わず声が出た。
馴染みのある感覚。こうやって、何度も・・・。
「イルカ」
彼が擦れた声で呼ぶ。
そのまま、ゆっくりと近づいてきた。
キスされるのだ。
思わずうっとりと身を任せ、目を閉じる。


『何熱くなってるの?セックスなんてただの性欲処理でしょ?』


思わず彼を押しのけた。
「イルカ!?」
驚愕の顔をしていたが、驚いているのは俺も一緒だ。
危うく流されるところだった。夢の余韻から抜けきれていなかったが、彼ははたけカカシであって、はたけカカシではない。
俺を愛しているカカシ先生ではなく、ただの興味本位でヤりたがるカカシさんだ。
彼はただ、性欲処理したいだけだ。
「止めてください」
静かに言った。
「止めてください」
俺の気持ちを嬲るのはやめろ。
俺を愛してくれたカカシ先生を汚すのはやめろ。
何も分からないくせに。
何も分からないくせに。
「確かめさせて」
彼は動揺を押し殺すかのように極めて冷静にそう言った。
「本当に愛し合っていたのか、確かめさせて」
俺はその言葉に首を振った。
そんなの必要ない。
俺は確かに確信したし、彼はまだ疑ってる。

そんなに疑いたいなら、信じたくないなら、勝手にしろ。
俺を巻き込むな。
俺の想いを踏み躙るな。

「仕事に行きます。今日は帰ってこられなくて結構です。三代目にバレないようにしてくれたら何処へでも行ってもらっても何も言いません」
そう言うと鞄を持ってさっさと出ていった。


呼び止める声などない。
追いかけてなど来ない。


そんなの当たり前だ。
悲しくなんてない。
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