あれから、五年経った。
五年。短いとは言えない長い間、俺たちは恋人として、過ごしてきた。
最初の一年は、俺は記憶が混雑して戸惑った。
二十歳の記憶か。二十三歳の記憶か。
三歳差だったが、どうやら二十歳の記憶の方が強く残っているようで、二十三歳の記憶を探るのに必死だった。
人に会った時、この人への記憶が今のはどれかを探すのに神経を使い、人と会うのが億劫になったりもした。
そんな状況で、カカシさんの存在は大きかった。
二十歳の記憶のことを言っても分かってくれる、気を使わなくてよくてどれほど心強かったか。
カカシさんは逆に二十七歳の記憶が強く、段々と落ち着いた大人のような態度になって、それで余計に甘えていた気がする。思うがまま彼に想いをぶつけていた。カカシさんはそれを優しい目で見守ってくれてた。中忍試験で揉めた時も、分かってくれないと意地になっていた俺を納得させたのはカカシさんのおかげだった。
あの一年は本当にカカシさんのおかげで無事に過ごせた。
二年目は俺も自分の中で記憶と折り合いができた。里はぐちゃぐちゃになり、二人とも死に物狂いで働いた。正直恋だの何だの自分のことなど二の次だった。偶に会えればそれだけで幸せだった。
三年目は少し里が落ち着いた。そんなある日、カカシさんは落ち着いた声で「やめた」と言った。
「復讐に囚われるのは、もうやめた」
その時初めて彼が父親のことで復讐を計画していたことを知った。
俺たちの出会いでもある、あの重鎮たちとの因縁も。
彼は今までどんな思いで過ごしたのか、とても想像できなかった。今まで静かに淡々と任務をこなし、その心の中では仄暗い想いをずっと持っていたのだ。
誰にも言えずに。
三年目にして初めて彼の孤独に触れた瞬間だった。彼が何を思い、どう気持ちが変化したのか、彼は多く語らなかった。それでも、少しでも彼が心を開いてくれたのが嬉しかった。
「復讐する奴は考え無しの馬鹿野郎だって父ちゃんが言ってました」
「・・・・・・うん」
「でも、カカシさんが考え無しの馬鹿野郎になるなら、俺も一緒になります」
「・・・・・・うん」
うん、うんと俺にしがみつき、顔を伏せながら頷く彼は、ひどく幼く感じた。あの二十歳の時のように。久々に感じた彼が愛おしくて更にぎゅっと抱きしめた。そうしていると彼は小さく「イルカを馬鹿野郎にはさせられないな」と呟いた。
四年目は大きな戦争があった。里は更にめちゃくちゃになり、そして大きな爪痕を残して終わった。
ただ、俺もカカシさんも、生きていた。
それだけで十分だった。
そして、今年で五年目。
カカシさんは去年よりも更に忙しそうにしていた。里に居るらしいが姿を見ないなんてしょっちゅうだった。
このままきっと六代目になるんだろうな、とどこかボンヤリと思っていた。
そんなある日、彼は久しぶりに俺の家に居た。
どこかボンヤリした表情に、ついに来たと身構えた。
「・・・久しぶり」
「・・・うん。忙しそうですね。少し、痩せました?」
「そうかも。死ぬほど働かされてる」
「あはは、それは大変だなぁ」
乾いた笑いが響く。彼も少し笑った。
もう両目はハッキリと見えていた。同じ色の目が、じっとこちらを見ていた。
「もうここには来れなくなるかもしれない」
その声は淀みなく、凛としていた。もう彼は確固たる意思で決めていた。
そう言われると分かっていたので、特に大きなショックはなかった。
六代目になる。
それは偉大なことで名誉なことだ。
公人となり、里の代表となる。
もう個人の意見など言えるはずなどない。
分かっている。
「分かってますよ」
俺は笑った。嘘はなかった。俺と彼の間にもう嘘はない。
「言ってよ」
「何をですか?」
「今思っていること、全部。ねぇ隠さないで」
カカシさんの表情は硬かった。
きっと色々悩んでいるのだろうと言うことは分かっていた。彼が言わなければならないことも、そうしなければいけない立場も、俺はもう立派な大人で、見守ってくれた両親も三代目も居なくて、教員で、忍で、なにより五年以上も彼と共に居たのだから、そんなこと誰よりも分かっていた。
そして、俺たちは嘘をもうつく必要なんて何も無いことも、何よりも分かっていた。
思っていること。
そう言われて頭の中を一周してみた。
「五年前、記憶を弄ってお互い二十歳になったじゃないですか」
「・・・・・・うん」
「あれ、五歳同士だったら、どうなってたでしょうか?」
「五歳・・・?」
二十歳にしたのは彼の存在を知らなかった時にしたからだ。その頃彼は暗部に所属しており、あまり表立って名前を聞くことは無かった。それが例えばもっと昔なら。
「五歳は、下忍になっていたかな」
「うぉっ、そうでしたね。このエリート」
「えー?まぁ時代が時代だったし。・・・うーん。その頃か。まぁ生意気なクソガキだったかなぁ」
「それに関しては俺も変わらないなぁ。イタズラばっかりしてたし」
「五歳のイルカか。頬っぺぷくぷくで可愛いんだろうな」
ふふっと嬉しそうに笑った。
「見た目は二十三のオッサンですよ?」
「えー、あの見た目でイタズラされるのか。やっぱり可愛いなぁ」
「カカシさんは、こんなことも出来ないの?って馬鹿にされそう」
「あー、ごめん。絶対する。目に見える」
確信を持って言われたので、きっと想像通りの子どもなのだろう。なんだか目に浮かぶ。
「でもイルカが無邪気に遊んでくれそう」
「そうですね。カカシさんもバカにされながらも仕方ないなぁって言ってくれて一緒に遊んでそう」
「それでいつの間にかその無邪気な感じに惚れるよ。イルカは初恋キラーだから。キスは絶対奪うね。ファーストキス。忘れられないようにヤバいやつ」
「五歳でそんなこと思うわけないじゃないですか!」
「思うよ。オレ、執拗いし、執念深いし」
「自分で言うんですか」
自覚あったのかと思うと本当に笑えてくる。
でも目に浮かぶ。
キスして、真っ赤になってる俺に彼はきっと自信満々で言うのだろう。
他のやつにさせたら許さないからね、と。
「じゃあ、俺たちが出会うのが三十歳だったら?」
「出会うのが三十歳か・・・。そうだね。もうそのぐらいなら万事解決してた気がする。直ぐに手篭めにするよ」
「おっと物騒ですね」
「自身の激情が何なのかもう理解できるしね。若い頃みたいにプライドもないし。権力と財力もあるし、ありとあらゆる力で自分のモノにするよ」
当たり前のようにニッコリと笑った。笑ってるのに内容がエグい。もっと大人な対応があるだろう。
「俺も、その頃になったらもっと優しく対応できる気がします。・・・あ、でも」
思わずクスッと笑う。
「きっと初恋だから、やっぱり上手くいけないかな」
二十三年生きて、初めて人を好きになった。
あのままカカシさんと出会えず、七年経ったぐらいで誰かを好きになったりはしないだろう。初めての恋にアタフタしてそう。そう考えるといい年したおっさんがと何だか滑稽だ。
「〜〜っ!!」
俺が笑っていると、カカシは何故か顔を真っ赤にさせて何処か苛立ったように険しい顔をしている。
「え?なんですか、その顔」
「あのねっ!オレだって、オレだってっ!!」
「?」
必死でうーうー唸っているが、続く言葉が出ないみたいだ。
カカシさんはキャパオーバーすると偶に言葉が出なくなる。それがアカデミーの子どもみたいでなんだか可愛い。
「それじゃあ・・・、俺が犬だったらどうします?」
「えらく飛躍したね。そうだな、勿論捕まえるけど忍犬にはしないよ」
「えぇー、ペットですか?」
「まさか。恋人でしょ」
当たり前のように言われた。
「犬なのに?」
「そしたらイルカは毎日部屋でオレの帰りを待って、誰にも会わずにずっと一緒にいてくれるのか。それを誰も咎めたりしないで当たり前のように過ごせるのか。イイね、是非お願いしたいよ」
「エッチなことできませんよ?」
冗談ぽく言うと「いいよ」とやけにあっさり言った。
「セックスが出来ないだけで、オレの傍にずっといて、誰のものにもならないのなら、それでいい」
ほの暗く光る目がジッと俺を見ている。
少し意地悪な質問だった。
俺は彼の手をそっと握った。
「じゃあ、六十歳なら?」
「六十?おじいちゃんだね。イルカがおじいちゃんか。貫禄がありそうだよね。もう多少のことで動じなくなるかな?どんなことしたら怒られるだろう」
「怒られたいんですか?」
「そうだね、怒られたいし泣かれたいし笑われたいし愛されたいよ」
カカシさんは握られた手に指を絡めてさらに強く握った。
「ボケてもイルカのことだけは覚えてそう。イルカ、ご飯まだ?ってご飯食べながら聞くの」
「俺もボケて、はいはい今から作りますって二度作りそう」
「イイね。一日六食にしようか」
なんて平和な話だ。
そんな平和な風景が頭の中に鮮明に浮び上がる。
そうだ。
五歳だって、三十歳だって。犬になったって、六十歳のおじいちゃんになったって。
いつだってどんな姿だってカカシさんを好きになる。
カカシさんを好きじゃない世界なんてない。
カカシさんしか好きになるはずがない。
だから、大丈夫だ。
大丈夫だって分かってるから、今だって平気だ。
笑っていられる。
「俺はカカシさんが、ずっと好きですよ」
だから。
「だから、少し離れたって大したことじゃないです。傍にいなくてもカカシさんのこと嫌いになるはずないし、今更他の誰かが介入するなんて考えられない」
だから不安になんかならない。
分かっている。
俺の気持ちも、カカシさんの想いも。
分かっている。
そこに嘘なんて、あるはずない。
「だから、今思ってることは、俺のことは心配しないで、カカシさんが体に気をつけて元気でいてくれればいいなってことかな?」
例え会えなくなっても。
会えてもそれは火影と一介の忍であっても。


それが、別れることになっても。


「一度別れたからって、お互い好きでいてはダメって決まりはないし、いつか全部終わってまた一緒にいることになってもいいし。六十歳のカカシさんも好きですよ。また一緒に住めるようになったら一緒にボケて一日六食食べて縁側でぼけーっとのんびり一日過ごしましょうよ。二人で」



かつて三代目が言ってくれた言葉が頭に響く。
「意地の悪い奴は、ずっと意地の悪い」


「じゃが、優しい人は、今も昔も、変わらんよ」



そうだよ。
変わらない。
何も変わりはしないんだ。


カカシさんは一瞬ぎゅっと泣きそうな顔をすると、勢いよく引き寄せられる。
「別れるなんて言わないで」
静かな声でそう言った。
「別れるはずないよ。そんなこと一生ない。させるはずない。会えなくなるだけ。少しの間二人っきりで会えなくなるだけだから」
「分かってますよ」
「いつだってイルカのこと思ってるし、五歳だって、三十歳だって、犬だって、猫だって、ミジンコだって、オレの初恋はイルカで、どんなイルカでも一生好きだって誓える」
「はいはい」
「だから」



「待っててほしい」



分かってますよ。
もう五年前とは違う。
信頼してるし、理解もしてる。
俺たちの始まりは嘘しかなかった。
偽りだらけの関係で、自分の感情も相手の気持ちも、何もかも信じられなかった。
偽りを知ってるからこそ、それからの俺たちは嘘をつかなかった。
相手に嘘をつくことは無意味で空虚なものだと知ってたから。
偽ったツケはずっと自分に返ってくるのを誰よりも知っていたから。
信じたいなら、嘘などつかず、確かなことしか言わない。
カカシさんに嘘をつかない生活は簡単ではなかったけど、苦しくもなかった。いつだって信頼して貰えるようにしていたし、彼を信用してた。
ゆっくり、少しずつ、確かに。
五年間そうして築いてきたから、分かってる。
待っててほしい、なんて。
不確かで脆くて、だけど相手を縛る一方的な言葉だ。
待ってる方は何も出来ない。
ただ大人しく見守り、「次」を待っているだけだ。
その辛さを彼は知っている。
その言葉の重みを彼は分かっている。
それでも。
待っていて欲しいのだ。
俺に、ここで、カカシさんだけを。ずっと。
ずっと。
それが彼の本心で、偽りのない言葉なら。
偽善的な優しさで待たないでと言われるよりも。
安っぽい言葉で愛してると言われるよりも。
ずっといい。
こうやって面と向かって言ってくれたカカシさんが、俺は世界で一番愛おしい。

「はい。勿論ですよ」

偽りはいらない。
もうあの術は必要ない。




カカシさんは俺からの返事を聞くと一瞬で消えてしまった。
後にはなにも残らない。彼がいたという痕跡すらない。
少し前から、少しずつ彼の私物が減っていくのを感じていた。
残ったものは取るに足らないものだろうが、用心のため燃やしておこう。そうして完全に彼の痕跡を消す。
俺はふぅとため息を着くと押し入れの奥から宝箱を取り出す。
あれから色々増えて宝箱はパンパンになっている。
きっとこれからも増えていくだろう。
下の方に隠してある手紙の束を取り出す。
不定期で届くそれは五年の年月で七通ある。
初めて届いた日は、記憶が戻ってすぐだった。
記憶を失う前に俺から送った手紙の、返事だった。
その返事の手紙の返事を書いたのは、初めて大きな喧嘩をした後だった。今まで一度もしたことが無い、つまらない理由の大きな喧嘩だった。素直に謝れない、だけど仲直りがしたい俺は手紙を書いた。前回の返事と、今回の喧嘩のこと、そして今の生活のこと。ありふれた愛の言葉なんて書けないから、ラブレターなんて言えないけど、俺の精一杯の本音だけで書いた。
その返事が来たのは、付き合って初めての長期任務の途中だった。心配しないでほしいということと、会えなくて寂しいと書いてくれていた。その返事はすぐ書いた。
そうやって振り返ってみれば節目節目で手紙を書いていた気がする。
口にできない想いも、手紙なら抵抗なく書けた。
苛立ちに任せた言葉も、手紙では勢いを失った。
紡ぐ文字はいつだって相手のことを思った本心だけだ。
俺も、そしてカカシさんも。
前回来たカカシさんの手紙は半年前だった。
六代目に決まりそうだと書いてくれた。
何度も読んだそれをまた読み直す。覚えるほど読んでもやはり読めば読むだけ心を温める。
読み終えると新しい文を出した。
返事を送るなら、このタイミングだと思っていた。
はたけカカシ殿、と決まり文句を書く。
前回の手紙の返事を書き、今日来てくれたお礼を言おう。本人はきっと少ししか会えないと悔やんでいるだろうが、少しでも会いに来てくれたこと、それがどれだけ大変なことか分かっているのでその感謝を伝えよう。
そして、小さく寂しいと書いてしまおう。
嘘はつきたくなかったし、前回のカカシさんの手紙で何度も寂しい寂しいと書いてくれたのだからいいだろう。
だけどそれ以上に貴方が火影になることとても誇らしいと書こう。誰よりも尊敬する貴方が作る里がどんなに変わるのか楽しみで仕方ない。その後ろを支える教え子たちがどんな風になるか、そんなことを考えると自身の寂しさなど小さくなっていく。傍にいなくてもカカシさんを見ている。その先、未来を俺は心待ちにしている。



それから、きっと。


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