恋人と初めて迎える朝は、夢見ていることがある。
朝メシは俺が作る。ご飯と味噌汁、それに焼き魚とか作って、いい匂いの中恋人を優しく起こす。寝ぼけている恋人に「体大丈夫?」なんて優しく聞いてタオルを差し出す。顔を洗ってる間に準備して、感動している恋人を座らせて一緒にメシを食う。照れくさくてお互いの顔をチラチラ見ながら食べて、今日の予定を聞く。もし仕事だったら夕方迎えに行こう。受け身はどうしても負担が大きいから夕メシも俺が作る、もしくは何処かに食べに行ってもいい。
そして出かけるとき鍵を差し出すのだ。俺の家の合鍵を。
「いつでも来て欲しい」
いつか一緒に家に帰ってきて欲しい。おかえりなさい、ただいまと言える関係になりたい。

そんな、甘い夢だ。





それがどうしてこうなった。
納豆を無心で混ぜながら昨日の出来事を思い出す。
話があると呼び出されて、適当な店で一緒に飲んでいた。話した内容は世間話とか、たいした話じゃなくて、いつ本題に入るんだろうと考えているとお開きになって。話とは何だったのかと問えば手を引かれて。
それで、そのまま。
結構はっきり覚えているものだ。
納豆をぐるぐるかき混ぜる。そろそろ泡立ってきた。
覚えているけどだけどアレは何だったのかと問われれば全く分からん。同意だったかと聞かれたら、流れに身を任せたようなモノ?だし?意味はないようなあるような・・・・・・。
そんなのでいいのか。そんな感じで長年夢見てきた初体験を終えて良かったのだろうか。
納豆をかき混ぜる手が更に早くなる。
いや、むしろこれで良かったのか?こういうのは勢いだって同僚とか言ってたし、初体験なんて世の中から見たらなんの価値もないし。早く済ませて、次に繋がないと。
次に。
次に。
「イルカ、かき混ぜすぎじゃない?」
声をかけられてハッとする。
「え、あぁ、はい・・・」
言われて見れば納豆はぐちゃぐちゃで原型を止めていなかった。まぁでも食べられるだろう。ご飯にかけて一緒にかけこんだ。
て言うか、イルカって。
昨日まで「イルカ生」とか、寧ろ「アンタ」とか呼んでたくせに。
え?何で呼び捨て?え?彼氏ヅラ?えー?一回寝たら彼氏同然ってやつか?えー?
いやいやこの人が?天下のはたけカカシが?里の誉れさんが?えー?
俺たちそんな仲だったっけ?いや、どんな仲だよ?え?恋人ってこと?いやいや、だってこの人絶対俺のこと鬱陶しいって思っていたはずなのに。いっつもぶっきらぼうで話しかけて「はぁ」とか「まぁ」とか適当に返して目線なんか合わさず明後日の方ばかり見てたくせに。昨日初めてメシ食いに行って、初めて素顔見て、この人割と無口だから盛り上がってるのか微妙で、楽しい食事会なんかじゃないから、きっと業務的な話か、ナルトたちのことで話があるんだろうなぁなんて考えていた間柄だぞ?
そりゃあ、とりあえずヤることはヤッたけど。好き好き愛してるぶちゅーなんて雰囲気じゃなくて。
これってアレだよな。
一夜の過ち。
酒の勢い。
ワンナイトラブ。
大人の夜のお付き合い。
火遊び。
あばんちゅーる。
えーっと、あとなんだ?
「体へーき?」
「え?」
「手、止まってるけど」
「あ、ついボーッとして。味噌汁美味いですね!ナスが入ってる味噌汁久々に食いました」
「・・・そ」
「はい・・・」
気まずーい。
この人との会話終始こんな感じで息が詰まりそうだ。楽しいのかつまらないかよく分からない。表情もそんな感じで俺から話しかけても、彼から話しかけられても大体二往復で会話が終わる。いや、彼からしたら俺なんかその程度の存在なんだろうな。
きっと彼は昨日のことなんてその気なんか勿論なくて、しまったなぁとか思ってるんだろうな。とりあえず朝になってもいやがったから、メシでも食わさないと用意してくれたけど内心早く帰れって思ってるだろうな。こういうのは終わったらそっとベッドを抜け出し、さっさと帰るのがマナーだっていうのを知らないな、この万年中忍とか思ってるだろうな。これに関しては一回で終わらなかったコイツに全面的に責任があるけど。初心者に三回もするか?普通。気絶なんてプライベートで初めてしたぞ。これが上忍と中忍の違いなのか。経験の差なのか。(推定)里中のオンナを抱いた男と童貞にして非処女の違いなのか。ちきしょう!
いや、その前に口裏合わせか。「昨日はなかったことに」とか言われるんだろうな。
「お互い大人だから忘れよ」
「まさか付き合うとか言わないよね」
よくある修羅場のセリフがポンポン浮かんでくる。これから言われるのだろうか。そしたらどう答えたらいいんだ?「はい」って素直に言うのもなんだかムカつく。
そりゃ、彼にとっては事故みたいなものだけど。俺が童貞なんて知らないだろうし。寧ろ、え?セックスしたことのないの?その歳で?とか思われるだろうけど。いい大人の気軽な遊びとか気持ちいいスポーツみたいに思ってそうだけど。
世の中から見たら、俺の初体験なんかなんの価値もないけど。


でも、俺にとっては大事な初体験だったのだ。
愛して、愛されて。
世界で一番幸せだと思える。
これから甘い世界が広がっていく、そんな夢見ていた、大事な。


「・・・・・・」
悔しい。
俺がどう思おうが彼には関係ないし、もちろん彼だけに責任なんてないし、世界は変わらず動いてるんだけど。
それでも俺の大切な、初体験なのだ。
これで最初で、最後なのだから。
彼がなんと言おうが、俺は絶対忘れたくない。忘れてほしいなんか言われたら殴ってやろう。それぐらいの権利はあるはずだ。そうだ、殴ろう。右ストレートだ。
「今日は」
「ぅあ、ぃっ」
「?」
なんというタイミングだ。思わず机を殴りかけた。変な声出たし。危ない。折角の食卓が台無しになるところだった。
「いいいえ、あのっ」
「・・・今日は、仕事?」
「あ、はい。受付です」
「終わるの何時?」
「えっと・・・、18時です」
「・・・迎えに行く」
え?なんでそんなことするの?怖ーっ。
意味が知りたくてジロジロ見てたら相変わらず目線を合わせない。
迎えに行く?来てなにかあるのか?
口止めなら今からするし、できればもう会いたくない相手に態々会いに来る必要があるのか?
もしかして言いふらしてないか確認しに来るのか。なんて用心深いんだ。そこまでする必要あるのか。
「・・・いやー、忙しいはたけ上忍にそんなこと」

「は?」

急にゾッとするほどの殺意を込めた目で睨まれた。今まで全然目も合わせなかったのに、鋭く真っ直ぐこちらを見ていた。
「はたけ、上忍?」
「いや、あの」
「その呼び方ヤメテって昨日言ったよね?」
言いましたっけー!?
頭をフル回転させる。
思い出せないと殺される。
昨日?いつ?いつだ?
食事中はなかったはずだから、きっとその後。
その、あと。


『カカシだよ。イルカ』


低い声が小さく掠れる。
そんな些細な声が聞こえるほど近くで聞いた彼の声。
息遣いが耳の奥へと侵入していく。
耳だけではない。掌の汗を含んだ皮膚から、そこに自分じゃない誰かがいることをめいいっぱい感じた。


『呼んで』


彼の声が耳から入り、腹に響く。そこからじんわり熱を含んでいき、じわじわと身体中に浸透していく。
あれほど誰かと触れ合ったことがあっただろうか。
お互いの皮膚の境目がなくなるほど。
汗が入り交じるほど。
体の熱が高まり、それが快楽になるほど。
絶頂の幸福を。


そうか、あれがセックスなのか。


「カ、カシ、さん・・・」
そう呼ぶとさっきまでの殺気は嘘のようにふにゃりと笑った。
嬉しくて堪らない子どものようだった。
この顔は、見たことある。
お互いに絶頂を迎え、その余韻に浸り、そして目が合った時。
それまで必死で、彼にしがみつくしかなくて、見えていたのは彼の旋毛だけだった。その旋毛から色違いの目が合って。
そしてふにゃりと笑ったのだ。
今みたいに。

あぁ、なんでだろう。泣きたくなる。今すぐ彼にしがみついてその胸の中で泣きたい。子どものように大声で叫びながら思いっきり涙を流したい。


そして、確かに俺の初体験は幸せだったと叫びたい。


確かにアレは誰もが夢中になるのがよく分かった。あんな幸福感は他では味わったことがない。この歳まで知らなかった俺が言うのだから間違いない。あんな経験初めてだ。風俗狂いの同僚の気持ちも少しはわかる気がした。
相手に気持ちがなくてもあんな快楽が得られるのだ。そりゃ相手が誰だっていいんだろうな。男だろうができればなんでもいい。


そこに気持ちなんかなくても。
好きじゃなくてもできるものだ。


「迎えは不要です。カカシさん忙しいでしょ?」
「・・・べつに」
あ、また目を逸らされた。
「そんなこと調整できないほど無能じゃない」
ちょっとトゲがある言い方にドキッとする。
あれ?なんでそんな風に捉えられるだろう。
「あ、そういえばカカシさん今日は休みでしたよね。三週間任務ご苦労さまでした。ゆっくり休んでください」
「ウン。だから迎えに行く」
うーん。話が通じない。どうしてもそれは譲らないらしい。
「ホントは翌日が二人揃って休みの日にしようと思ってたのに、イルカが昨日急に休み返上したでしょ?たかが両足骨折したぐらいで休んだ同僚に代わって」
「いや、まぁ両足骨折は大変ですし」
「他にも沢山人がいるのにイルカに頼むし」
「俺暇ですから」
「これから暇なんてないよ」
それだけ言うと立ち上がり食器を片付ける。俺も慌てて残りを口に入れた。のんびりしてしまった。早く帰らないと邪魔になる。さすがに昨日の今日で邪魔にされるのは精神的に辛い。
っていうかカカシさん、さっきよく喋ったな。あんなに喋ったところ初めて見た気がする。話が噛み合っていたかは不明だけど。
食器を下げ、せめて洗うのを代わろうとすると止められ、そのまま洗面台に通される。要らん事せずにさっさと帰れと言いたいらしい。確かにそろそろ時間なのでささっと顔を洗い身支度を整える。
「あの、お世話になりました」
「迎えに行く」
どうしてもそれだけは譲らないらしい。もうそこまで言うなら断るのも悪い気がしてきた。まだ口止めされてないし、言いたいことがあるのだろう。俺も仕事に遅れるのは御免だから頷いた。
「分かりました」
「夕飯用意しておく」
「いや、そこまでは・・・」
「用意しておく」
「分かりました分かりました」
変な使命感を持っているのか頑なに譲らない。そんなにしたいならもう好きにさせよう。言い争う元気も時間もないし。
玄関のドアを開けるとまた呼び止められる。
「それからこれ」
そう言って握らされたのは。


小さな、新品の鍵だった。


鍵。
冷たく光るソレに、頭が沸騰しそうになった。
このタイミングで、その鍵がなんのことか。
この世界で誰より俺が知っている。
俺しか知らない。
知らないはずだ。


だって、これは、俺が長年夢見たーー・・・




朝メシは俺が作る。ご飯と味噌汁、それに焼き魚とか作って、いい匂いの中恋人を優しく起こす。寝ぼけている恋人に「体大丈夫?」なんて優しく聞いてタオルを差し出す。顔を洗ってる間に準備して、感動している恋人を座らせて一緒にメシを食う。照れくさくてお互いの顔をチラチラ見ながら食べて、今日の予定を聞く。もし仕事だったら夕方迎えに行こう。受け身はどうしても負担が大きいから夕メシも俺が作る、もしくは何処かに食べに行ってもいい。
そして出かけるとき鍵を差し出すのだ。俺の家の合鍵を。
「いつでも来て欲しい」
いつか一緒に家に帰ってきて欲しい。おかえりなさい、ただいまと言える関係になりたい。

そんな、甘い夢。




言っただろうか。彼にこんな恥ずかしい夢。
よく考えたら彼はどれもしてくれた。どれも全部叶えてくれた。
そんなこと、ただ一晩共にした相手にするだろうか。
真っ直ぐ彼を見る。彼は相変わらず目を合わせてはくれないけど、白い顔が薄らと赤かった。
見てないのは俺だった。
目が合わなくたって、彼はずっと、ずっと誠実にこちらを思ってくれていたのに。
「イルカも合鍵用意してよね」
「・・・はい」
「鍵、毎日閉めてるから」
だから。


「いつでも来て欲しい」



行くよ。
今日はカカシさんが迎えに来て夕飯を作ってくれるから。
きっとそのまま泊まると思うから、だから明後日。
明後日、鍵を持って行くよ。
こう見えて俺は家の鍵は毎日かけている。だから彼が来る時はチャイムなんか鳴らさず合鍵を使って欲しいから。
だからぴかぴかの新品の鍵を渡そう。
誰も使ったことない、恋人の証を彼に渡そう。
そうして言うんだ。



いつでも来て欲しい。

いつかただいまと言い合える日まで。
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