最近偶に夢を見る。
白くモヤがかかった世界で、はっきりとは見えない。だけど声と手の感触はぼんやりと分かった。
『・・・・・・・・・して・・・』
また、声がする。
知っている声なのに知らない声だった。悲しくて辛そうな声だった。
手は冷たかったのに、触れると熱くなる。
『・・・・・・・・・して・・・』
やはり今日も聞こえない。
俺に何を伝えたいのだろうか。
手を伸ばして近づけたら声が聞こえるのに。その冷たくて熱い手をなでてあげられるのに。
俺の体は鉛のように重かった。
あぁ、重たい。駄目だ。また眠ってしまう。深い眠りになればもうこの世界には戻れないのに。
だけど睡眠欲には勝てず目はゆっくりと閉じられていった。

『・・・・・・・・・して・・・』



◆◆◆


あの日以来、彼はどこか機嫌がいい。
あの日、とは彼が任務で大怪我を負った日のことだ。やはりあの怪我は大怪我で俺が病院に連れていくと医師や暗部の方が駆けつけてしっちゃかめっちゃかになった。
どうやら仲間の暗部と里の到着した途端姿を眩ませたらしい。
そうしてまで俺を呼び寄せて殺されたかったのか。
「馬鹿ですか」と俺が言うと、他の人たちはどよめきだったが、彼は静かに笑っただけだった。
まるで「お前は何も分かってない」と言われているかのようだった。
それから僅か五日で再び俺の家に来た時は慣れているとはいえ驚いた。
きっと全治一ヶ月の傷だったのに。いつものように抱かれたが、生々しい傷は完治しておらずいつものような獰猛さはなかった。
「舐めて」
激しく動いたせいか開いた脇腹傷口を見せつけながら言った。
溢れ出ている血は白い彼の体を汚すようにへばりつき噎せ返るような鉄の匂いがした。
血は、毒だ。
彼のように優秀な忍の血は上手く採取できれば猛毒でも作れると言われてもおかしくない。彼が今まで飲んできた毒が濃縮されているのだから。
だけど、そんなこと俺には関係ない。
舐めろと言われて舐めないわけにはいかない。
跪き、彼に頭を下げて、望むように腹に舌を這わせた。
それはまるで愛撫のようで。
動物が傷口を舐めて癒す行為のようだった。
血の味が口に広がる。
それは俺と同じ血の味だった。
なんだ、彼も人間なのかとそんなことをぼんやりと思いながら舐めていると口づけをされながら押し倒された。
口の中に含んだ己の血を俺から奪うように吸い上げると色違いの目で笑った。
無邪気で悪意のない笑顔だった。


腰にタオルを巻き、居間に行くと何が楽しいんだか鼻歌を歌っていた。
聞きなれない異国の歌はなんの意味を持っているのか分からない。
俺に気がつくと歌をやめ、ニコリと笑った。
「今夜は寒いね」
確かに寒いなと思ったら外ではチラチラ雪が降っていた。
彼とこんな関係になってからもう半年以上がたっていた。段々と彼がこの部屋に来る回数が増えてきた。休みの日には必ず来ているんじゃないかと思えるほどだった。
それほどまでに増えていく意味はなんなのか。
恨みはそんなにも増えていくものか?たった一度の諍いで。
むしろすぐに興味を失うとすら思ってたのに。
「・・・・・・」
どちらにしても俺のチャンスは一度きりだ。彼が訪問する回数が多くても少なくても関係ない。アレができるまでだ。アレができれば、俺の苦労は報われる。
「今日は何して遊ぶ?」
彼は子どものように笑いながら、ただし手に持っているのは卑猥で欲望にまみれたモノを嬉しそうに手で回した。
「これ、前アンタが泣きながら悶えてたオモチャ」
「変態」
「その変態にヨがらされてイきまくるアンタはなんなの?」
クスクス笑いながら手を引かれ布団の上に押し倒された。
「お尻、気持ちイイでしょ?もうクセになって尻弄らないとイけなくなった?」
「知らな、・・・っ」
タオルを取られるとソコを撫で回された。じんわりとした愛撫に慣らされた体は嬉しそうに反応した。
「ちょっと触ればすぐ気持ち良くなる。アンタは才能あるよ。男に苛められて気持ち良くなる淫乱の才能」
半勃ちしたそこに満足したのか手は後ろにずれていった。
「今日は機嫌がいいからねぇ。アンタに気持ち良くなってもらおうと思って。・・・あぁ、そうだ」
一旦は手を離し、素早く術を発動した。
ボンッと音を立てて現れたのは、瓜二つの彼だった。
「ずっと手がもう二つあればいいなぁって思ってたんだ」
「そしたらもっといっぱい苛めてあげられるし」
二人はそろって同じ顔をして俺を前後で挟んだ。
そんなこと今までなかったのでヒィッと小さく悲鳴を上げた。
今までだって彼一人に翻弄されて、口ではいえないことばかりされてきた。抵抗できるのは最初の頃だけで、後は考える余裕すらなく気がつけば終わっていた。
嫌がらせなのだ。
嫌がることをするためにやっている。
だから二人がかりでするのは確かに嫌がらせるためにしているのだろう。
道具とも言葉責めとも違う恐怖にただただ怯えた。救いなのは影分身だということか。これが他人だったと思うとゾッとする。
「怯えちゃってかわいー」
「チンコ二本入れたらどうなるかな」
その言葉にサーッと血の気が下りた。
その顔をみて二人は同じように高笑いした。
「しないよ、裂けちゃったら暫く使えなくなるでしょ?」
「今日は乳首苛めてあげよっか。アンタ大好きなるよ。ヤミツキになって泣きながら弄ってって懇願するようになる」
一人は後ろから一人は前から各々に体を弄る。
キスしてみたり、乳首を弄ったり、体に吸い付いてみたり、噛み付いてみたり、足を持ち上げて二人で眺めたり、舐めあったり、指を入れたり、まさしく玩具のように弄ばれた。
「今、どっちが本物のオレか分かる?」
「当てたらご褒美あげるよ。間違えたらオシオキだけど」
嬉々として遊ぶ姿は子どものようだった。
「ねぇ、作戦って何?」
「何考えてるの?」
弄ばれ意識が朦朧とする中、そんなことを何度も聞いてきた。
今日はやけに執拗いと思ったが、それが目的か。クッと唇を噛み締めた。
「言うか・・・っ」
言えるものか。今は言った瞬間全て無駄になる。彼に反撃出来るどころか、鼻で笑われるだろう。今はまだできない。今ではない。
「言わないんだ」
「可愛くないなぁ。オシオキだね」
そう言って一本ずつ入れていた指をもう一本ずつ増やされ、拡げられた。
「あぁー、あぁあぁぁ・・・っ」
「すっごいイヤラシイ音」
「アナルに指つっこまれて、涎垂らして、そんなに美味しいの」
クスクス、クスクスと笑いあう。
「ほら、ここ好きでしょ?」
バラバラな指が交互にイイところに触れる。その度にビクンビクンと体は震え、彼らの指を奥へと誘う。
「やぁ、っあ」
「ねぇ作戦って何?早く言ってよ」
「お尻、やぁ」
「こんなのじゃ足りないでしょ?ほらほらさっさと言って。じゃないとこのままだよ」
そんな弱い刺激じゃイけない。そう躾られてしまった。堪らなくて腰を振った。淫らに誘うように。

「お願っ、おちんちんほしぃ」

そう言って彼のモノを咥えた。
ヒュッと息を飲む音がした。
だけどそんなこと関係ない。もう体はナカに入れてほしくてそれだけだった。
彼らの指が抜かれて体が自由に動くと四つん這いになりながら彼のモノを舐めた。たくさん舐めると彼の機嫌も良くなり、入れるのもスムーズになる。こうやって舐めれば彼は何時でも入れてくれた。もう条件反射みたいなものだった。
上目遣いで見れば咥えられた彼は眉を顰め、手で俺を頭をつかんだ。
上下に動かされて俺も素直に従う。
「・・・っ、きもちイ」
段々と大きくなるソレを喉の奥に押し込むよう入れたりベロベロと見せつけるかのように舐めた。早く、早く入れて欲しかった。
「ちょっとー、オレだけ置いてけぼり?」
咥えていない方の彼はいつの間にか俺の尻を揉んでいた。誘うように動かしていると揉んでいた尻を左右に拡げた。
「こっちのお口もほしいってちゅぱちゅぱしてるよ。イヤラシイ」
「早く入れてあげなよ。ほしいって泣いてるよ」
「チェッ。今日は聞き出してやろうと思ったのに。まぁ何でもいっか」
「何でもいいよ。気を抜かずに防げばいいんだから」
「そしたらアンタ、ずっとオレに飼われるんだ」
ズボッと勢いよく中に入ってきた。
「ーーーぁあ」
だけど充分慣らされた体はその刺激すら快楽になる。
尻に彼の腰が当たり、全部入ったことを感じるとすぐに出ていく。
「っ!やらぁ、入れてっ」
顔だけ振り返り懇願すると、彼はひどく嬉しそうに笑う。
「可愛いなぁ」
そう言うと今度はゆっくり埋めていった。
それが気持ちイイ。堪らず獣のような喘ぎ声をあげた。
「バックも大好きだよね」
「んっ、すきっすきっすきぃっ」
答えれば答えるだけ深く突き刺してくれた。それがヨくて堪らなかった。
「ほら、お口がお留守だよ」
もう一人の彼が口にモノを入れさせた。噎せ返るほどのオスの匂いに頭がグチャグチャになる。
もっといっぱい。
濃いのいっぱいちょうだい。両手を使いながら扱くと彼も気持ちよさそうな声をした。それが堪らず嬉しくてちゅうちゅうと吸い上げた。
気持ちよくて堪らない。
人が増えたためか快楽は倍になり、俺はただだた溺れた。
「おかしくなる・・・っ」
そう言うと二人は同時にニタリと笑った。
無邪気だった笑みは消え、そこにあるのは狂気じみた万遍の笑みだった。

「おかしくなってよ」
「何にも分からなくなって。そしたら飼ってあげる。ずっとずっとね」

そう言いながら彼らは精液を吐き出した。
体いっぱいになるのを感じながら俺も彼の手のひらに精液を放った。
同じ色。
血も精液も、彼と俺は何一つ変わらなかった。



◆◆◆



んんっと背伸びをすると背骨がポキポキと鳴った。長時間同じ体制でいたので体が固まってしまった。
「お疲れ、イルカ」
「コエビ。お疲れ」
同じ仕事をしていた同僚のコエビは眠そうに大あくびした。
「飯でも食うか?」
「そうだな」
時刻は22時を過ぎていた。自炊などもっての外で、一人虚しくコンビニ飯ではなく連れがいることに安堵した。今から空いているのは深夜までしている定食屋か居酒屋ぐらいだろう。明日も朝から仕事なので飲むのはまたにして定食屋に向かう。
「穏やかな気候になってきたよなぁ」
桜は散ってしまったが、外は深夜でも肌寒くない季節になった。うっかりしてると時間が経つのを忘れてしまう、陽気な気候だ。
「新規プロジェクトの概要書けた?」
「ほとんどな。今年中になんとか形にしないとな」
「今年は他里との交流事業もあるだろ。・・・はぁ暫く残業だなぁ」
「受付も忘れんなよ。サヨリが妊娠して抜けた穴代役いないらしいからな」
「はぁ!?人少ないのに更に少なくなるわけか。あーもー家帰れないんじゃねーの」
はぁーと重いため息をつかれたが、気持ちは同じだった。人手不足と大掛かりなプロジェクト、そして新規の事業。次々と舞い込む仕事をさばくのにその日その日を生きている。
プライベートの時間などほとんどない。
そして俺はそのプライベートの時間はほとんど彼に使われている。
目が回りそうな毎日だった。
定食屋に着くと狭いテーブルに座り、安くて早い定食を頼んだ。
「俺さ、なんか生きる目標がほしいわけ」
「うん」
「そりゃ仕事も大切だよ。嫌いじゃねーし。だけど辛い時慰めてくれるモノがほしい。これさえあれば生きていけるってモノ。疲れて帰ってきて、上手くねぇメシ食って冷たいシャワー浴びて汚ぇ布団で寝て。そういうのウンザリなんだよ。何のために生きてるのか分からなくなる」
「うん」
わかるよ。痛いほどよく分かる。
「嫁さんほしいなぁ。温かい家と温かい嫁さんがいる家に帰りたい。疲れたって寝るときに少しでもいいから側にいて撫でてもらいたい」
「うん」
「でも人はそう簡単にいかない。俺みたいにダメになることだってある」
「うん」
彼は一度結婚に失敗している。幼馴染みの彼女と大恋愛して結婚し、数年前別れた。
「求めていたのは単純なことだったのになぁ」
そう響く声は重くてずしりときた。だけどその重みが今は何だか有難かった。痛みではなくのしかかる重みは、強く存在感を放つ。それでいて静かに確かにそこにある。
俺はまだ孤独を感じられる。

丼茶碗の白米をもそもそと食べた。上手いはずの定食も、疲れからかそんなに上手く感じられなかった。それでも同僚から愚痴を聞き、それに共感していると少しだけ気分が軽くなる。何かに夢中になってやってると、辛いことを辛いと認識する力が鈍くなる。だけど知らぬ間に体と心は疲労する。それを気が付かないでいると辛さに慣れて辛いことを辛いと思えなくなる。その点では他人の愚痴は、客観的に自分に置き換えられて、辛いことを辛いと認識できる。
軽くなっていく度に俺は今の仕事で辛かったのだなぁと思った。
そうやって軽くなっていくと、残ったのは彼のことだった。
これは誰にも共感してもらえないから、ただ静かに埋もれていくだけだった。
「イルカも何か言えよ」
同僚は催促したが、声は出なかった。
彼のことは誰にも理解されないし、誰にも話したくなかった。
静かに首を降る俺を見て、同僚はそっかと頷いた。
外に出るともう街の明かりも消えていっていた。
「花見したかったなぁ」
「あーいいなぁ」
二人で薄暗い道を歩く。
「まぁもう花見は無理だけどまた飲みに行こうや」
「あぁ」
彼の任務をチェックしないとといけないなと思って、フッと笑う。
最初に思う事はそれか。
嬉しいことも悲しいことも辛いことも、感情がくる前に彼のことを思う。侵蝕されている。もうどうしようもないほど。
カラカラと音を立てて店のドアが開き、中から仲居と見られる女性が出てきた。
「ありがとうございました」
丁寧に頭を下げている。見れば名だたる料亭だった。
チラッとそちらを見れば男女がゆっくりと出てきた。
「おい、あれ」
同僚が目を見張った。

それは彼と、美しい女性だった。

連れ添うように歩く姿はまるで絵のように美しくとてもお似合いだった。
出てきた料亭といい、どこか別の次元の人たちに見える。
残業でこんな遅くまで働き、安い飯屋で男二人で食べてきた俺達とは別の華やかで美しい生き物だった。
彼らはそのまま、ゆっくりと街の方へ消えていった。それを男二人で見ていた。
「彼女かなぁ」
「どうだろ」
「こんな遅くまで二人でいるんだ。しかもあの料亭。本気だろう」
「本気か」
本気か。
本気で彼は、あの女性が好きなのだろうか。
たかが一度の言い争いで目の敵にされ、嫌がらせを受ける俺とは違って。
逆らえば乱暴に犯され、逃げれば追いかけ拘束され、従順になれば調教される俺とは違って。
愛の言葉を囁かれ、慈しむように触れられ、愛おしむように抱かれるのだろうか。

「幸せになりてぇな」

同僚がポツリと呟いた。
冷たくて重くて、それでもどこか縋ろうとする惨めな声だった。

そのまま同僚と別れ、部屋に戻る。
昨日グチャグチャにされたシーツはそのままになっていた。
昨日嫌がらせのためにここへ来て。
今日は愛しい人との逢瀬か。
クククッと声が漏れた。
一瞬抑えようかと思ったが、構うものかと声に出して笑う。
誰も居やしない。誰も聞いてはいない。
俺はそのまま倒れ込むように笑った。
可笑しくて可笑しくて堪らなかった。

ついにきたのだ。
この瞬間をずっと待ってた。
彼に恋人ができる、その瞬間を。

ようやく俺は反撃できる。

何時にしようか、どのタイミングにしようか。
考えれば考えるだけ可笑しくて堪らない。
俺は声を抑えずその場で笑い崩れた。
可笑しくて可笑しくて。
涙が出る。
「幸せになりてぇな」
同僚の言葉を呟いた。

反撃したって彼に一泡吹かせるだけで、きっとあとは半殺しされるだろう。それでよかった。
二人の仲睦まじい姿を思い浮かべる。
それでいいと思っていたのに、どこか虚しい。
俺はきっと本当の意味で幸せになんかならない。
「幸せになりてぇな」
それでも、俺にのこされた道はただ一つしかなかった。



◇◇◇



「なぁイルカ知ってるか」
同僚がニヤニヤしながら近づいた。
「何だよ」
「ビックニュース!ついに結婚するらしいぞ」
「誰が」
「誰がって、決ってるだろ」
それは、なんの脈絡もなく突然やってきた。


「はたけカカシ上忍だよ!」


それを聞いた瞬間。
雷に打たれたような衝撃が全身を襲った。
溜まっていたマグマが爆発するかのように俺の体から溢れ出そうになるのをぐっと抑える。
ようやく。
ようやく、待ち望んでいたことが起こったのだ。
ぱぁぁと顔を明るくした俺に同僚は「何だぁ?」と怪訝そうな顔したが、すぐに元に戻った。
「何でもすっげぇ偉い人の一人娘らしい。ほら、あの人火影候補だろ。後ろ盾にはぴったりの人見つけたらしいぞ」
「そうか」
それはいつかみたあの女の人だろうか。 美しく彼の隣にいても劣らない人だった。 タイミング的におかしくはない。最も他に女性がいれば別だが、彼もそんなに暇ではないだろう。任務の合間に俺に嫌がらせをして、愛する婚約者がいて、まだ遊べる人がいるのなら、彼は眠る時間などないことになるのだから。
あぁそうか。彼女と幸せになるのか。
可笑しくて可笑しくて堪らなかった。
「それから、ほら前から街のはずれに新築の家が建っただろ」
「あぁ、庭がデカい家だろ。完成して半年以上経つのに誰も住んでないらしい」
家はそこまで大きくないが、昔ながらの木の作りで渋みがあるセンスが良い家だと専ら噂だった。
新築なのに誰も住んでいないらしいので誰のものか不明だった。
「それ、はたけ上忍のらしいぞ」
「!結婚に向けて家建てたってことか?」
「全額その場でポーンと払ったらしいぞ」
すげぇよな、あの人スケールが違うよと興奮しながら教えてくれた。
そうか。あの家彼のだったのか。
その家は完成までに一年かかった。つまり俺たちが知り合った頃に建てられていたのだ。
そう言えば昔何度か家について聞かれたことがあった。その頃から今回の結婚の話がでていたのかもしれない。
ならばこの一年間は彼にとってどんな日々だったのだろうか。
「・・・ははっ」
だけど、ようやく終わる。何もかも。
ようやく、俺は反逆できる。




その家は、人里より少し離れた丘の上に建てられていた。辺りには何もなく寂しい風景だったが、里を一望できた。
庭が広く家はポツンと経っていた。
正面から入り、家の前でとまった。
表札も何も無かった。
だけど、この家の前で佇む彼を想像するととても似合っており、なんだか笑えた。人の気配は勿論なく、何だか建てたまま放置しているようだった。
初めて彼に向けて式を飛ばした。
もうなにも恐れることは無い。なにも失うものは無かった。



しばらくすると彼がのっそりやってきた。
家と俺を一瞥して険しい顔のまま近づいた。
「・・・こんな所に呼び出して何のつもり?」
「この家、貴方のだったんですね。上がらせてもらってもいいですか?」
傍若無人に振舞ってみたが、意外なことに彼は否定せず、無言のまま玄関を開けてくれた。
中に入ると木の匂いがした。
中も静かで趣があり、どこか懐かしい気がした。
許可を得ず靴を脱いで上がる。まだ荷物はなくだだっ広い部屋がひろがっていた。
ガチャンと鍵をされた。
振り返ると彼は玄関から一歩も動いていなかった。施錠をするとゆたりとこちらを見た。
「こんな所に呼び出して、何のつもり?」
その声はどこか怒気を含んでいた。だが、いつも逆鱗に触れてきた俺にとってはそこまで強いものではなかった。
「素敵な家ですね」
「答えになってないけど」
「見てみたかったんです。貴方の家を」
そう言うと眉が一層険しくなった。
「それで」
「セックスでもしますか?新築が汚れてもいいのなら」
「そんなことどうでもいい」
「どうでも良くないでしょう。相手の人が居られるのに」
その瞬間、ガッと目を見開いた。
それは正しく逆鱗に触れた時だった。
靴のまま上がってくると、俺の腕を握った。
「あぁ、そういうこと!ようやくアンタの耳まで届いたんだ。そうだよ、結婚するよ!」
「おめで」
「黙れっ!!」
掴んでいた腕を放り投げ、倒れたところを上から覆いかぶさった。
顔を近づけたままダンダンッと床を叩いた。
「だから解放されると思ったの?もしかして作戦ってそれ?バカじゃない!?」
色違いの目が睨んできた。燃えるような怒りがありありとわかった。
「誰が手放すか!アンタもこの家で飼ってやる!一日中ペットのように裸でいさせてやる。女の前で抱いてやろうか」
「そんなことして楽しいですか」
「楽しくなんかないよ!」
感情を吐き出すかのように叫んだ。

「アンタを抱いて、一度だって楽しくなかった」

そりゃそうだろう。
だって嫌がらせなのだから。
彼は憎い俺をただ嫌がらせするために抱いてたのだから。
スッと流れるように涙が零れた。
はらはらと落ちる涙は止まらず俺の頬を流れていく。

馬鹿なのはどちらだろう。


「カカシ先生」


それに怯んだのか彼は体を仰け反った。
「な、んで・・・」
あの日から呼ばなくなった名前を呼んだ。
カカシ先生。
カカシ先生。
俺はこの呼び名にどんな思いを込めたのか、彼は知らないだろう。
「俺は、楽しかったですよ。幸せでした」
「っ、はぁ?」
「俺はこの里を出ます」
脈絡もない話に、彼の動きは止まった。
「長期任務を仰せつかりました。多分もう二度とこの里へは帰れません」
「は?アンタ・・・オレから逃げるつもり・・・?」
「逃げる手はいくらでもあったんですよ」
「させない。そんな任務オレが蹴散らしてやる」
キッパリと迷いない言葉だった。
「急になんなの?最近回数が多かったから?・・・・・・分かったよ、減らしてあげるから」
「いいえ」
「・・・金だって払う。陰口言う奴らがいるならぶっ殺してやるから」
「違います。俺は」
ずっと決めていたのだ。
あの日から、ずっと。

「カカシ先生に婚約者ができたら、この里から出ていこうと思っていました」

そうなれば近いうち俺は不必要となるから。
彼の口から出るよりも先に彼の前から消えようと思っていたのだ。
彼は眉を顰めた。
「誰かに、あの女に何か言われたの?」
「違います。お会いしたことはありませんがすごく気品があって美しく優しい方だと思います」
「そんなこと聞いてない」
「カカシ先生にピッタリの伴侶だと」
「黙れっ!!」
困惑していた表情を一変させ、またドンッと床を力任せに殴った。
「里から嫁にしろって言われたから結婚するだけだ。相手も里が決めた。アンタに関係ない!」
「あります。俺はずっとずっとこのタイミングを待ってました」
「・・・は、」
「貴方は嫌がらせのつもりで抱いていましたよね。貴方の下で良がり狂う俺はさぞかし滑稽だったでしょう」
だけど。


「俺には嫌がらせなんかじゃなかった」


俺はギュッと唇を噛み締めた。
まだ、駄目だ。
笑え。
笑え、笑え、笑え。
この馬鹿な男を笑い飛ばしてやれ。


「アンタの嫌がらせは俺にとっては幸せな日々だった。ずっと願って叶わないと思ってた日々だったから。アンタが嫌がらせすればする程、俺を幸せにしてたんですよ」


知らなかっただろう。
ハハハッと笑えた。可笑しくて仕方なかった。
彼が必死な様子で嫌がらせをすればするほど、俺は喜んでいた。
馬鹿な奴。


アンタがしたことは一度だって嫌がらせじゃなかった。


「意味分かんない」
「貴方は馬鹿だから」
「何それ。アンタ男に調教されるが好きなわけ!?」
「違いますよ」
「男とするのが好きなの!?」
「貴方だからっ」
何で分からないかなぁ。
平気な顔してるけど、もう泣きたいんだけど。


「カカシ先生が、好きだから。貴方の隣に入れた日々はどんな形でも幸せでした」


あぁ。笑える。
可笑しくて涙が出そうだ。
出会ってからずっと好きだった。
だけど同時に叶えられないと分かっていた。
それでも段々と仲が深まり、切り捨てられ、責められ、こんな関係になって。
それでも俺の想いは一度だって崩れたことはなかった。むしろ一緒にいれる時間が長くなれば長くなるほど嬉しかった。

好きだから。
誰よりも愛していたから。

「そうとは知らずに嫌がらせのために時間と労力をかけて、カカシ先生は馬鹿ですねぇ。俺、カカシ先生が来るのずっと楽しみにしてたんですよ。惚れてたから。貴方が好きな俺をそうとは知らずに抱いてたんですよ」
そう思うと可笑しくて堪らなかった。
必死に嫌がらせをしてるのに、逆に喜ばせているだけだなんて傍からみれば何て滑稽なのだろうか。
それを里の誉れがしていたのだ。
可笑しくて堪らない。
「でも、もうお終いにしましょう」
幸せだったけど、それは彼が独り身限定だ。
彼は結婚する。恋愛結婚じゃないかもしれないが、家庭をもつ。きっと家族も増える。それって幸せなことだろう。
その中に、俺は必要ない。
必要ないものは、早々に捨てなければ、後々厄介なモノになるかもしれない。そんなのは御免だ。
だからこの関係は最初から期間限定だったのだ。

誰だって惚れてる相手には幸せになってほしいと願うものだ。

「もう貴方は結婚されます。この嫌がらせだって効果なかったのは理解しましたよね。もう無用です。恨みなどあるかもしれませんが、俺はもう貴方の目の前から消えます。里を去る俺のことなんてさっさと忘れて」

ポタ、ポタッと雨が降ってきた。
室内なのに雨漏りかと上を見上げると。

彼から大粒の雨が流れていた。


「バカにしやがって」


彼は顔を真っ赤にさせながら泣いていた。
なんだかその顔を見て、また笑えてきた。
胸がスーッとなるのがわかった。
あぁきっと。
きっとそういう顔をするだろうなと思ってた。
プライドが高く完璧な彼はきっと悔しがるだろうなと。
幸せな日々だったけど、痛みは忘れていない。屈辱も羞恥も。だからこそずっと待っていたのだ。このタイミングを。
アンタはずっと騙されてたんだ。

俺はこの静かな逆襲をずっとずっと狙っていたんだ。
彼の目論見を打ち砕いて、一矢報いるこのタイミングを。
この瞬間全て完結する。

彼は今何を思っているだろうか。
格下にしてやられたと憤怒しているだろうか。
自分の読みの甘さを後悔しているだろうか。
男に惚れられていると嫌悪しているだろうか。
俺がいなくなることに安堵しているだろうか。
どれでもいい。
俺はスッキリと晴れやかな気分だ。
ようやく彼に、完璧で天才な彼に一泡吹かせることができたのだから。
このままボコボコにされるだろう。
そうして半殺しにされて、今言われた任務より過酷なところに飛ばされるかもしれない。
それでもいい。
里で幸せに暮らす彼をみるよりは。
そして里から遠く離れた場所で彼との日々を思い出しながら、里のために死のう。
それが俺の反撃の後始末で、短い恋心の終止符だから。
そう思って目を閉じていると、急に腕を掴まれた。
「はっ!?ちょっ、カカシ先生!?」
「アンタこの家見て何にも分かんないの!?」
居間に通された。飴色の卓袱台も大きな窓から覗く風景も風流だ。
何も言わない俺をグイグイ中に引っ張る。
台所は小さいが収納が沢山あって使いやすそうだ。
風呂は総檜でいい匂いがした。大きくて趣がある。
書斎には大きな棚と机があった。
『教員してると本を溜め込んじゃって。整理が大変なんですよ。大きな棚がある書斎がほしいなぁって、いつか家買うときは書斎作ってやるって思ってるんです』
(あ・・・)
それは昔自分が何気なく言った言葉だった。
『今はフローリングとか流行っているじゃないですか。でも俺は昔ながらの家が好きです。畳があって、卓袱台があって。・・・俺の生家なくなってしまったから、どこか思い出しちゃうんですよね』
『台所は狭くていいんです。収納さえあれば。そこで並んで料理できたらいいですよね』
『大事なのは風呂です!総檜!あの檜の匂いの中で入る風呂は最高です。まぁ今はユニットバスだから入浴剤で我慢してるんですけど』
そうだ、そんなことペラペラと言った。誰でもない彼に。
彼を見ると顔を真っ赤にして睨みながら泣いていた。

「全部アンタの好みの家にした!アンタが住みたくなる家用意したら、オレと一緒でも住んでくれるって信じたかったから!」

一緒に住む・・・?
何故俺が一緒に住まなければならないのだろうか。この家は彼が婚約者のために建てたもので。そして。
「だってこの家、俺たちが出会ってすぐぐらいから作り出したって」
「アンタと出会ってすぐに家建てて何が悪い!この家が完成するまでに付き合ってプロポーズして一緒に暮らしたいと思って何が悪い!」
どうしていいか分からず立ち尽くす。
そんなこと言われるとは思ってもおらず、正直言葉の意味が頭に入ってこない。
「最初の半年は良かった。順調に仲良くなって、お互いの家に泊まるまで発展して。あと少しってとかで、アンタが全部ダメにした!」
それはナルトたちの中忍選抜の時だろうか。
「お互い譲れないことはあるかもしれない。だけどプラベートは違うだろ!?なのにアンタはあれからよそよそしくなって」
「気まずかったんです。あんなことあったんだから」
「だからって避ける必要あるの!?時間が解決すると分かっていたけど三日でダメだった。気が狂うかと思った。あんなに一緒だったのに!アンタはオレのことなんかさっさと切り捨てて他の人に切り替えていくんだと思ったら、もう許せなかった。それならどんな手を使ってでもオレのものにしてやるって思った!」
ハァハァと肩で息をしていた。どんなに俊敏に動いても息を切らさなかった彼なのに。

「この一年間罪悪感でいっぱいだった」

彼も分かっていたのだ。こんな関係誰も救われないと。だけど彼にはこの手しかなかったのだ。言い訳も許しを乞う声も全部潰してこの関係を作り上げたのだ。
この関係に彼が必要なのは絶対的な威厳と立場だ。彼は何よりも俺より強くないとこのバランスは崩れる。そのために虚勢を張り弱音すら吐けなかったのだ。
そこまで追い詰めたのは誰でもない俺だった。
「イルカ先生」
久しぶりに聞いたその呼び名は、救いを求めるかのように弱々しかった。
彼は眉を下げ迷子になった子どものように立ち尽くしている。
「オレはどうしたらいい?もうどうしたらいいか分からない」
その弱り切った声に、俺の目の前がぱぁぁと開けた。
後ろを見るとごちゃごちゃと散らばりこんがらがった糸が今ようやくなくなった。
今目の前に広がる世界は真っ白な世界だ。道もなければ行き先もない。ゴールすら見えない。
だけど引っかかっていた糸はなくなりどこへでも歩ける。白く広い世界だ。足取りは軽かった。
彼に向けて手を伸ばす。
「どんな道になるか分かりませんが、隣で一緒に歩いてくれませんか」
彼は目を見開いて、それから自分の手を見つめた。
「乱暴するかもしれない」
「いいですよ」
「暴走してせんせを傷つけるかもしれない」
「俺もです」
「オレ、本当は優しくしてかった。先生のこと幸せにしたかった」
そう言って悲しそうに泣くから俺は一歩近づいた。
「幸せでしたよ」
そう言うと彼は複雑そうな顔をして首を振った。
「先生はきっと奥手だから手をつなぐまで三ヶ月かかるって思ってた」
「そんな初心じゃないですよ」
「キスするのはロマンチックな所にしようって思ってた」
「今からでも出来ますよ」
「初セックスはこの家でしようと思ってた」
結構ロマンチストだなぁと思いながらクスクス笑った。
真っ赤になってグズグズ泣く彼の頬をなでながら彼の涙を拭った。キラキラと輝く涙は俺と同じ成分で出来ているのにまるで宝石のようだった。


「今からでも出来ますよ」


何度だって。
だって、出会ってから一度もこの恋はなくなることなく膨らんでいく一方なのだから。
これ以上ひどいことはないってされてもこんなに好きなのだから。
だから彼が望むなら、俺は何度だって貴方の手を掴むだろう。

伸ばしていた手を引かれ力いっぱい抱きしめられた。強くて温かい。まるで彼の想いのようだった。
「ずっと好きだった。ひどいことしてゴメン。これからも傍にいて」
全部まとめて言うと、俺の返事など待たずに彼の用意した寝室に引っ張りこまれた。


俺の理想を兼ね備えた家は、寝室だけは彼の理想を詰め込んだ家となっていた。





夢を見た。
『・・・・・・・・・して・・・』
誰かが俺に向かって叫ぶ。
俺はその言葉を聞きたくて必死にもがいた。
もっと近くに行きたい。
近くに来てくれ。
『・・・・・・いして・・・』
切羽詰った声がする。泣き出しているかのように切なく聞いているだけて胸が張り裂けそうだった。
視界がゆっくりと見えてくる。白いモヤはゆっくりとはけて、そこから銀色の光が見えた。
(銀色・・・)
俺の好きな人の髪色と同じだった。
それに触れようと手を伸ばそうとすると。
それよりも早く、強く抱きしめられた。
甘い匂いが、肺をいっぱいにする。


「愛して」
「好きになって」
「オレだけ愛して。他の誰のものにもならないで」


呪いのように何度も何度も繰り返し叫ぶ。
彼の心を知った後、ようやくこれがあの媚薬を飲まされた日の幻だと気がついた。
きっと抱き潰した俺の治療をしながら何度もそう叫んだのだろう。
そして全て記憶を消し去ったんだ。知られてはいけなかったから。
(馬鹿な人・・・)


人を呪わば穴二つ。
そう俺に呪いをかけながら、彼も同じ穴にハマっていったのだ。
抱きしめる幻に手を伸ばした。

呪いを吐く唇を自らの唇で塞いで、高らかと言ってやる。


「貴方だけを、愛してる」

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