窓から日差しが伸び、朝を感じる。
ああ、また一日が始まる。
世界は何も変わらない。


ガチャっと音がして、はたけさんが入ってきた。
「おはようございます」
「…はい」
彼はいつも通り無表情で、近づくとチュッと音をたてて額にキスした。
「…行ってきます」
それだけ言うと部屋から出て行った。
このまま二度寝しそうになる体をムリヤリ起こしてベッドから降りる。
ぐちゃぐちゃになった寝具をかかえ、洗濯機を回す。リビングに行くとテーブルに朝食が用意されていた。今日からは俺が用意しないとなぁと思いつつありがたくいただいた。仕事なのに、本当によくしてくれる。正直、もっとぞんざいに扱われてもおかしくないのに、今朝のキスのように、まるで壊れ物に触れるかのように、繊細で優しい。
彼は恩人なのだ。決してほめられることをしているわけではないが、おかげで俺の大事な家族を守ってくれた。彼に何か返せるのなら、なんでもしてあげたいと思う。
よしっと気合を入れる。
まずは、掃除だ。


昨日の話では、毎月決まった日に業者を入れて掃除をさせているらしい。なのでほとんど汚れを感じなかったが、ざっと掃除機をかける。そうすると洗濯物が終わり、ベランダに干す。気持ちがいいぐらい晴天だった。きっと今日はシーツからいい匂いがするだろう。
冷蔵庫をのぞくと、見事に何にもなかった。数本ビールがあるぐらい。
(買い物がさきだな…)
こんな高級街だ。きっとスーパーの一つや二つあるだろう。
ここ数日で覚えたように、マンションからでる。当てはないのでとりあえず、左に歩き出した瞬間、電子音がした。
慌てて辺りを見渡すとポケットに入れた携帯だった。習慣で無意識だったが、持ってきていてよかった。画面を見なくてもかかってくるのは一人しかいない。
「―――はいっ」
『何しているんですか』
低い声で言われ、しまったと思う。誤解させてしまった。
「すみません。食材を買おうと思って…」
『……』
沈黙が痛い。はぁーと小さなため息が聞こえた。
『スーパーは三軒先です。それ以上は行かないで』
「は、はい。すみません」
『それでは』
それだけ言うと切れた。何とか信じてくれたみたいだ。ほっと息を吐き、彼の指示通り、スーパーを目指した。
聞きなれない店名だったが、店内は見た目見慣れた感じだった。
何にしようかと手近にあったトマトを手に取った。
真っ赤でみずみずしい。おいしそうだと思い、値段を見ると500円した。しかも一個である。
ひっと声を上げそうになるのをギリギリで止めた。
慌てて元に戻す。
なんだこの値段。
辺りをきょろきょろ見るが、全体が俺の知っている値段の五倍以上はしている。それを客は当然のように籠に入れている。
恐ろしい。
うかつに手が出せない。
貧富の差はこんなところまでもはっきりと出ているのか。
今日は、しかたない。ここでしか買うことがでいないのだから。だが明日からはもっと安いスーパーを探させてもらおう。必要最低限のものだけ買い、そそくさと店を出た。


昼は袋ラーメンを作った。普通の袋ラーメンでいいのに、なぜかなく、ご当地ラーメンと言う少し贅沢なものを購入した。
洗濯物を取り込み、夕食を作る。
あっという間に日が暮れ、することもなくぼーっとテレビを見ていた。
テレビなんて、こんな静かに見るのは初めてだった。
施設では大勢の仲間と肩を寄せ合い小さな画面に食いついていたし、一人暮らしを始めてからはテレビは買わなかった。
なんだか孤独だ。
世界にたった一人ぼっちでいるような気がする。
あんなに毎日時間がないと思っていたのに、今はどうしてあんなに時間に追われていたのか分からない。時間があればしたいことだってたくさんあったはずなのに何も思い出せない。
寂しい。
一人は寂しい。
胸に大きな穴があいて、その穴からビュービューと風が入ってくるような気がする。
でも誰かと長くは居たくない。
だっていつか居なくなってしまうのだから。
両親のように。
テレビから笑い声がする。
あんなに無邪気そうに笑ったのはいつだろうか。
これから先、あるのだろうか。

ガチャッと音がして眩しさで目をぱちぱちさせる。
どうやら寝てしまっていたみたいだ。
慌てて立ち上がり、玄関の方へ向かうと、はたけさんが少し驚いた表情でたっていた。
「おかえりなさい」
「……はい」
ちゅっとキスをすると鞄を置きに部屋に入った。
俺はリビングへ行き、料理を温める。
今日は秋刀魚がなかったので、代わりに鯖と、ナスの味噌汁、きんぴらなど和食を作った。
(鯖、これだけで千円近くするし、ナスだって一本400円もした…。もう絶対買わない。高すぎる)
料理を並べながらそんなことを思った。
ラフな格好になったはたけさんが椅子に座ると、料理を並べて彼の正面に座った。
「お口にあうといいんですけど」
「いえ、……いただきます」
もそもそと食べ始める。やはりきれいな箸使いだ。魚もきれいに食べている。
箸が進んでいるので、味は悪くなかったのだろう。ほっとしながら自分も箸をつけた。
「え」
「えっ?」
「もしかして、晩飯食べずにオレの帰りを待ってました…?」
「え、ええ」
驚いた表情に、なんだか悪いことをしたようで焦る。
待っていては目障りだったかな?
「すみません。こんなことなら、もう少し早く帰るべきでした。いや、遅くなるなら連絡すればよかったですね」
えらく恐縮されてしまい、はぁと気が抜けたような返事しかできなかった。俺相手にそんな風に思わなくてもいいだろうに。優しい人だ。
「いいんですよ。俺が勝手にしたことですし。それより、味どうですか?食べられます?」
「あっ、勿論。とても美味しいです」
しまった、なんで何も言わないんだよとブツブツ言いながら頭を掻いた。
「すみません。オレ、人と食べるの慣れてなくて…」
あぁだからかと思いながら頷いた。結構人間つきあいに対して不器用な人なのかもしれない。
にっこり笑うと彼もつられるように苦笑した。
皿を洗う間に彼に風呂を進めて、彼が風呂から上がれば立ち代りに入った。
「オレに気にせず先に入っていいですよ」
なんとなく悪いかなぁと思っていたが、本人が気にしないならいっか。明日からは先に入ろう。
髪を乾かし、リビングに行くと真っ暗だった。
そうなると行くところは一つしかない。
ゆっくりとドアを開けるとベッドの上で携帯をいじながらはたけさんがいた。
きょ、今日もするのかな。
なんだか自然な流れみたいでセックスするのは抵抗があった。なんとなく気恥ずかしい。
おずおずと彼と反対側のベッドサイドに腰かけるとフッと笑われた。
「隣に」
「は、はいっ」
隣にいくとぎゅっと抱きしめられる。
「いい匂いがする…」
それは俺も同じ思いだった。俺と同じ匂いがする。俺と同じ熱を、鼓動を感じる。
ギュッと抱きつくとフッとまた笑われ、更にきつく抱きしめられた。
体の感触を楽しむかのような弄る指にどうしていいか分からず彼に体を預ける。
そういえば。
店のことについて許可をもらった方がいいだろう。
このままだときっと連日のように気を失い、朝も話ができる状態か自信ない。
「あ、の…、はたけさん」
「ん?」
返事をしながらも弄る手は止まらない。
「明日、少し遠くに買い物行っていいですか?」
その言葉に、彼の動きがピタリと止まった。
「……なんで?」
先ほどとは違う低い声に体が震える。
「あ、の…っ、違います。近くのスーパーちょっと高くて!もう少し遠くに行けば安いスーパー知っているから、それで」
「あぁ、生活費渡していませんでしたね」
面倒くさそうに体を話すと近くのデスクから紙袋を取り出し、俺の方へ投げた。
「それ、好きに使っていいですから」
開けてみると無造作に札束が入っていた。
見たこともない大金に身がすくむ。
「こんなに…っ」
「それがあれば、さっきの話はなくていいですよね?」
「っ、いえ、そこまでしてもらうわけには。俺まだ、一度も仕事していないのに」
「……」
「施設のこと肩代わりさせてもらっているのに、これ以上はたけさんにお世話になるわけには…っ」
「オレの世話になりたくない、てこと?」
更に低くなる声に怖くて顔をあげられない。震える手でシーツを掴む。
「オレに頼りたくない、てこと?」
何が、気に障ったのだろう。
泣きそうになりながらぐるぐると考える。
何て言えば分かってもらえる…?
ただ、彼の負担になりたくない。
これ以上迷惑をかけたくない。
それだけなのに。
「…そんなに仕事がしたいなら、させてあげる」
荒っぽい仕草で俺を押し倒すと覆いかぶさった。
「し、ごと…」
男に、抱かれる、仕事。
ヒュッと息が漏れた。
そうだ。それが一番いい。俺はそのためにここにいるんだ。不特定多数の慰めモノとして、嬲られ犯されるために。施設を守るため、俺が、俺自身がそれを望んだ。
「一発五万で、どう?」
「……え?」
「一回精射する度に五万払う。五発すれば二十五万だ。一晩でそのぐらい稼げればまずまずだろう。勿論アンタのやる気次第で数を増やしてくれてもいい。もっとしてって言えば何回でもしてやる、いくらでも払うよ」
ククッと口の端だけを歪めて笑う。
その姿が、妖艶で寒気がするほど美しかった。
ペロッと首筋を舐められた。
もう話をする気がないのか行為に没頭するように指が動きだし、俺も流されるようにその動きにあわせた。
どこにも行かさないと呪文のように囁き続けられながら。




.
**




翌朝、起きると彼の姿はどこにもなかった。
リビングのテーブルの上には四日分と書かれた封筒に大金が入っていた。
四日。彼に抱かれてからの金額だろう。
そう思うとなんだか悲しくなってきた。
金で買われたんだ。
当たり前のことなのに、なんだか無性に情けなかった。
俺は男だ。勿論彼も。彼とのセックスに子を宿すことなど不可能だ。ならあの行為はただの性欲処理と金銭しか生まない。
なんて空しい、悲しい行為なのだろう。
欲情にまみれた視線も、肌と肌を合わせた時に感じる熱も、どろどろに溶けあいまるで一体化するような感覚も、俺の下の名前で呼ぶ、あの声も。
全部彼にとっては仕事で性欲処理で、俺にとっては金を稼ぐための行為なのだ。
違う、なんて言えない。
言える権利などない。
それが真実で、当然のことなのだから。
ただ、空しくて堪らなかった。




昨日と同じように洗濯、掃除をする。
またあの高いスーパーに行かなくてはいけないかと思うと少し憂鬱だった。食材の値段もそうだが、周りの客層も場違いすぎて、まるで身の丈を知れとでも言われているみたいだった。いや、自意識過剰なのはよく分かっているが。
はたけさんなら馴染むのだろうなと思う。
むしろ激安店などにいた方が場違いだ。
少し想像して、可笑しくて笑った。
その時、電子音がして慌てて周りを見渡す。
これは携帯の着信音だ。
タイミングが良すぎてドキドキしながら電話に出た。
「はい、うみのです」
『……はたけです。起きていました?』
「あ、はい。今掃除が終わったところです」
『そうですか』
「今朝は起きれずすみません」
全く彼がいなくなったのが分からないぐらい熟睡していた。
『いえ、昨日は無理させてしまい、すみません』
そう言われると、そうなのだが恥ずかしい。
はぁと答えながらきっと今自分の顔は真っ赤だろうと思った。
『それで、昨日の話ですが』
昨日?
身に覚えがなく、返事できなかった。
『ネットスーパーは知ってますか?』
「ネットスーパー?」
『オレも今知ったのですが、パソコンで注文すると当日に自宅まで届けてくれるらしいです。値段も安価なのでうみのさんがよければ利用してみてください。パソコンは仕事部屋にあるのを自由に使ってもらって構いません』
「えっ?」
そんなことあるんだ。
ネットすごいと感激しながら、彼が気にしてくれていたのだと思うと胸がいっぱいだった。
「ありがとうございます」
『いえ。それならどこにも行かないので安心ですし』
まだ逃亡すると思われているらしい。まぁ負債五億だからな。逃げられれば失態もいいところだろう。思わず失笑する。もっと彼が信用されるようにならないとな。
『それから、あの…』
「はい?」
『えっと……』
彼にしては珍しく言葉に詰まっていた。なんだろう?
『……今日は、九時ごろ帰ります。先に食べていて構いません』
「あっ…」
昨日のこと、覚えていてくれたのだ。
店のことといい、気にしてくれるところが嬉しい。
「いえ、待ってます。気をつけて帰ってきてください」
『あ、はい…』
「……」
『……』
「…えっと、仕事がんばってください」
『はい。……それでは』
切れた形態をボンヤリと眺める。
なんか、今のやりとり変じゃなかったか?
まるで、新婚みたいな…。
「なに考えてるんだ」
真っ赤になっているだろう顔を振って、パソコンのある部屋に急いだ。





九時を少し過ぎたころ彼は帰宅した。
「おかえりなさい」
玄関まで出迎えると小さく笑った。
「…はい」
ちゅっと頬にキスしてくる。
連日と同様に対照的に座る。
「ネットスーパー使ってみました。凄いですね!数時間で宅配してくれました」
「そうですか。よかった」
「全然知らなかったんですけど、結構便利なものですね。ついつい買いすぎちゃいました。カップラーメンすっごく安かったんだすよ!新商品も多くて」
はたけさんが笑顔なのをいいことにラーメンについて力説してしまい、はっと気がつく。
この人カップラーメンみたいな庶民的なものなんか食べたことないんじゃないのか。
場違いすぎて鼻を掻く。
「すみません、庶民的すぎですよね」
「そんなことないですよ。オレも好きです。もっとも当時は高級すぎて滅多に食べれませんでしたけど」
さらっと言われて意味が分からなかった。
高級?一個百円前後のカップラーメンが?
俺の表情で何を考えているのか悟ったのか、あぁと頷いた。
「オレ、ガキの頃貧乏で。親も親戚もいなくて、食うためになんでもやってた時期があるんですよ。ま、おかげで今こんなことやってますけどね」
時々カップラーメンって無性に食べたくなるんですよねとなんてことないように言う。
いきなりすぎてどう返事していいか分からない。
だって、彼の今の姿をみて誰がそんなことを想像できるのだろう。
そうか、家族いないんだ。
だから俺のことも、施設のことも助けてくれたのだろうか。
だから、どこか寂しそうな表情をするのか。
「今食べても、たいしたことない味なくせに、なんか旨いですよね。うみのさんが体辛い日はカップラーメンでもかまいませんよ」
「あ、じゃあ買い溜めしときますね。知っていますか?ちょっと遠いんですけど激安スーパーでカップラーメンの安売りしているんですよ。テレビでやっていて百円で袋に詰め放題なんですけど、コツがあって上手く詰めると十個ぐらい入るそうなんですよ!」
「へぇ。一個十円ですか。すごいですね」
ニコニコと笑うはたけさんの表情が嬉しくて、その激安スーパーについて話す。安い秘訣は賞味期限間近だからとかお歳暮を解体して安く売っているなど、どこぞの主婦のような話題でもはたけさんは嬉しそうに頷いてくれた。
「行ってみたいですか?」
「……え?」
「よかったら今週の日曜日休めそうなので行ってみますか」
思ってもない誘いに思わず立ち上がりそうになる。
「本当ですかっ!」
「はい。そんなに安いところ見てみたいですし。オレも行きたいところあるので一緒に行ってもらえますか?」
なんだか嬉しくなって何度も頷いた。
ここにきて初めての外出だった。




.
***



日曜日。
日が差し込むまでしていた俺は起き上がれず、出発は昼過ぎになった。
はたけさんの高級車で激安スーパーに向かった。なんだか浮きすぎて違和感が半端なかったが気にしないことにする。
店にはひとが多くカップラーメンの袋詰めには長い列ができていた。
思わず買いすぎて、狭い車内を更に狭くしながら店をでる。この近くに住めたらどれだけ節約できるのだろう。いや、車さえあれば。そんなことばかり考えていた。
「夕食どこかで食べましょう」
何が食べたいですかと聞かれて、ラーメンと即答した。
フフッと笑われて、近くのラーメン店に向かう。
チェーン店ではなく、少し汚く狭いがいい匂いのする店に入った。狭いカウンターに並んで座る。
.「ラーメンとか食べに行ったりしますか?」
「いえ、何年かぶりです。外食は専ら接待ばかりですからね。堅苦しいから好きではないんですが」
「そうなんですか」
一体どれほどの高級店で食べているのだろう。
「うみのさんは?」
「俺はよく行ってましたよ。給料日にはチャーシュー多め、餃子二人前とか頼んだりして」
「同僚と?」
「一人ですよ。ラーメンは黙って食べる!って決めているんです」
黙って食べるって、と何がうけたのかククッと笑われた。
よく笑う人だと思う。
こうなる前は雲の上の人みたいなものだったのに、知れば知るほど人間らしい。
同じ施設の仲間とも、学校の友人とも同僚とも違う近い存在。

その関係の名前を、俺は知らない。




夕食後、よりたいところがあると車を走らせて来たのは怪しげな雰囲気の店が立ち並ぶ街だった。
地下に車を止め、慣れた足取りで進む。
まさか、取引現場じゃないだろうな…。
ゾクッと冷や汗をかいた。
派手な装飾のドアを開け、中に入る。
見ると戸棚がならび、店のようだった。
とりあえずほっとする。
なんの店だろうときょろきょろと辺りを見渡す。やたら肌色が多い気がする。
(ビデオ屋…?)
何気なく手を伸ばすと、縛られた女がでかでかとプリントされていた。
「―――っ!!」
慌てて手を引っ込める。
(これって、裏ビデオ屋…っ!?)
そう思ったが、それだけではなかった。
いわゆるそういうグッツや服などが店内に所狭しと並んでいた。
あまりにも卑猥な光景に眩暈がした。
こういうところがあるのは知っていたが、来たことなどもちろんなかった。ビデオ屋の18禁エリアでさえ入ったこともないのに。
何を思ってはたけさんはこんなところ連れてきたのだろうか。
慌てて彼を探すとなにやら商品を手に持って考えていた。
「あぁ、うみのさん。これ、どれがいいと思います?」
にこやかな口調とは裏腹に持っているものは卑猥でグロテスクなものだった。所謂、オモチャだ。
「―――っ、ぁ」
かぁぁぁっと顔が赤くなるのが分かった。
「ローターもいいと思うのですが、やっぱりアナルならアナルパールですかね。これも動くものもあるそうですよ。勝手に取らないよう手錠か足枷買いましょうか?首輪もいいですね。縄は、まだ少し早いですよね。ふふっ、なんだか店の商品全て買占めたいですね」
「あ、のっ」
それは勿論、俺に使う気だろうか。
とても直視できる物ではない。わたわたと真っ赤になっている俺を置いて、籠に商品を無造作に入れていく。
「うみのさん?顔真っ赤ですよ」
心底不思議そうに言われて、俯く。当たり前だろう。その商品の今後の使用方法を考えれば顔も上げれない。
「――想像した?」
低い声で耳元に囁かれた。
その甘く危険な声にゾクリと体を震わせた。
「これで今晩はたっぷり可愛がってあげる」
サワッと一瞬だけ尻に触れた。それだけで背筋がゾクゾクとし、立っていられなくなる。それをさりげなく支えられながら、彼が会計をする。
足早に駐車場に戻ると、深く口づけされた。
「ふ…っ、ぅん…」
「可愛いー」
ぎらぎらした目をしながら、ズボンのベルトに手をかけられた。
「は、はたけさっ」
「ちょっとだけ」
足をM字に広げられ中心に顔を埋めた。
ぺちゃっと濡れた音がしてそれだけで腰が砕けるほど感じてしまった。
「せっかくだから使ってみようか」
「え?」
ごそごそと袋を開けると小さなローターをとりだした。
丸いそれは先日見たのと同じだったが、後ろにコードがついていた。
「舐めて」
指示通り口に含むと頭を撫でられた。
「前入れていたのと同じぐらいだから、大丈夫かな」
口から唾液たっぷりのそれを取り出すと、躊躇いもなく俺の中に埋め込んだ。
「―――っ、ああぁ」
「すごい、すぐ入った」
嬉しそうにそういうとシートベルトをつけてくれた。
「足、閉じちゃダメだよ」
えっと思っているとそのまま車を発進させた。
「やだ…っ」
思わず足を閉じようとすると中のローターが激しく動いた。
「あぁぁあぁ」
「閉じちゃダメって言ったよね。次閉じようとしたらもっと激しくするから」
これでも十分激しいと思ったが、まだ上があるらしい。
怖くなってがくがくと頷くと、嬉しそうに頭を撫でてくれた。
「大丈夫。もう周りは暗いし、高速通るから」
ひたすら怖くて頷く。
綺麗だと言われる夜景も見えず、ただひたすら喘いだ。
サイドブレーキを引いて、ようやくマンションについたのだと分かる。
ブブブと鳴る振動しか感覚がない。
はたけさんは俺のズボンをおざなりに履かせ、抱きかかえながら部屋に入った。そのままベッドに寝かせる。
涙目で見上げると欲情まみれの目がこちらを見ていた。
「可愛いよ、イルカ。」
俺に覆いかぶさりながら足を痛いぐらい開かされる。
「もっと、気持ちよくなろうか」
怪しく目が光った。
「は、たけさ…っ」
手に四角い箱を持っている。それを見せつけるかのように動かした。
途端、中のローターが激しく動いた。
「やぁぁあぁ」
「まだ6だよ。7…8…9…」
どんどん激しくなりローターが奥に奥に入っていく。
「あっ、あっあっ、イく…っ、イくぅうぅぅ」
「10」
一番激しくなった瞬間頭が真っ白になった。




意識をとばしていたのか、目を開けるとはたけさんが頭を撫でてくれていた。
窓の外は真っ暗で意識をとばしてそんなにたっていないのだと感じた。
「大丈夫?」
「……はい」
拭いてくれたのか不快な感触はない。
「すごいね、これ。そんなによかった?」
手の上でローターを弄る。ピンク色のそれは小さく振動していた。なんだか恥ずかしくて目を伏せる。
「失神しちゃうぐらい、よかった?」
「はたけさん…」
顔を合わせられず手で顔を覆う。
その様子にどこか嬉しそうに笑われた。

「前、女に使った時も失神していたな。こんな小さいのに」

その言葉に目の前が真っ白になったのを感じた。
前……?
女……?
彼の顔を見るとなんてことないように笑顔でこちらを見ている。
その女って誰?
どういう関係?
付き合っている、恋人?
それとも俺とおなじ仕事…?
自分でも吃驚するほどサァッと血が下がるのが分かった。
なに吃驚しているのだろう。
彼だって男だ。
恋人がいたって不思議ではない。
それにここ連日ここに通っているが、本来はこの部屋は彼のものではない。俺の仕事部屋だ。
もしかしたら俺と同じように仕事している人が複数いてもおかしくない。
なに勘違いしているのだろう。
彼は、仕事で俺を抱いているのだ。
男に抱かれるように仕込んでいるだけだ。
涙が出そうなのをぐっと堪える。
俺、馬鹿だ。
彼が優しいから。まるで対等に扱ってくれるから。だから勘違いしていた。
優しい声も、指も、全部仕事だからなんだ。
男に抱かれるための体を作るため。
仕事なんだ。
「どうしたの…?」
優しい声が隣から聞こえた。
そんな優しい声で呼ばないで。
顔を見られたくなくて彼の胸の中に顔を埋める。
優しく撫でる掌にギュッと目を瞑った。
早く慣れないと。
男が何十万も出せるぐらい。
彼に認められるぐらい。
「……して」
甘えるような声で彼を誘う。
「はたけさんの好きに、して…」
ごくっと喉が鳴る音がした。
気にせず腕を彼に絡ませる。
彼が動き出すのに合わせて俺も動く。
こんなに気持ちいいのに、泣き叫びたいぐらい胸は張り裂けそうだった。




.
****



最近気絶するように眠るのが日課となってきた。
全身にだるさを感じながら起き上がる。
泥度になったシールを洗うのも日課となってしまった。
洗濯機を回しながら、ぼんやりと立ちつくす。
俺、なんか変だ。
はたけさんのことを思うと胸を締め付けられる。
今の自分の状況を考えると悲しくなる。
痛くて辛くて空しいのに、その感覚が嫌ではない。
自分の気持ちが分からない。
借金の返済までまだまだ先が見えない。
今は彼だけを相手にして、彼のために家事をして、彼の帰りを待つ。
そんな生活がなぜか心地よくなっている。
ずっと続けばいいと思っている。
そんなの幻想なのに。
ふぅと溜息をつく。
俺は、おかしい。



掃除をしている最中に玄関が開いた音がした。
まだ午前中だ。早く仕事が終わったのだろうか。
慌てて玄関に向かうと知らない男が立っていた。
「あれーはたけさん男なんか飼ってたんだ?」
チンピラのような風貌の男は慣れ親しんだ部屋のように堂々と入ってくる。
「あ、の…っ」
「あ、俺はたけさんに頼まれて物取りに来ただけだから」
それだけ言うと仕事部屋に入っていく。
どうしたらいいかわからず立ち尽くす。
彼に連絡した方がいいのだろうか。
いや、でも本当に彼の仕事関係の人かもしれない。
だって鍵を持っているのだから。
そうだ。警戒することもない。
「あった。これこれ」
自分自身を納得させていると、男は紙袋を手にして部屋から出てきた。
どうやら目的の物はあったらしい。
ほっと息を吐き、男を見送ろうとすると、腕を取られた。
「えっ……」
「ねぇ、ちょっとつまみ食いさせて?」
そう言いながら戸惑う俺をグイグイと引っ張って寝室に連れ込んだ。
慣れていると直感的に分かった。
部下だと思ったけどもしかしたら、仕事関係の人かもしれない。俺の客かもしれない。
ドキッとした。
見上げるように男を見ると笑いながら覆いかぶさってくる。
「あ、の……」
「大丈夫、大丈夫。ヒドイことしないから」
「でも…、あの……」
「もしかしてはたけさんのこと気にしてるの?大丈夫、あの人そういうの気にしないから。…こういう仕事、する人でしょ?」
そう言われて身を固くする。
男は俺の表情に満足そうに笑うと、胸ポケットから財布を取り出し、万札を俺に見せた。
「これで、いいよね?」
そう言われれば、断ることはできない。そのために俺はここにいるのだから。
どうしたらいいのだろう。
いつもは彼に翻弄されて、自分から動くことなどしたことがない。
戸惑うように見上げると男がニヤッと笑った。
「いい顔。慣れてる?さすがはたけさん、見る目あるなぁ」
ニタニタと笑いながら手が服の中に入ってきた。
その瞬間、寒気がした。
やだ。
そう叫びたかったが声にならなかった。
ガクガクと体が震えるのを止められなかった。
「すっげーキスマーク。昨日は何人相手にしたの?」
してない。俺は彼しか知らない。彼しか抱かれていない。
でも彼はただの仕事だ。男に抱かれるのを慣れさせるため。
ここで男に抱かれ、満足させられたら、彼に認められるかもしれない。
そうだ。認めてもらわないと。
認めてもらって、客を取らせてもらって、借金返して。
そしたら。
そしたら彼と対等にーーーー。
ポロっと涙を流すと嬉しそうな笑い声がした。
「よくわかってるね。そういうのが誘うの分かっててやってるの?」
上半身から下半身に手が移る。
吐き気を伴う嫌悪感を必死で押さえる。彼にされることを思い出して抱かれればいい。
だが、そう思えば思うほど彼とは全く違う。
目的も熱も一緒なのに。
どうして。
どうして彼とこの男は違うのだろう。
「あれ?元気ないねぇ。舐めてあげようか」
そういいながら顔を埋める。
「っ、やだっ」
我慢できず、払いのけようとするがびくともしない。
「仕事、でしょ?ほら腰振らないと」
「やめ、やめてっ」
「あーいいねぇ。襲ってるみたいで」
ごりっと下半身を押しつける。そこには熱を持ち、熱く固くなっていた。
怖い。怖くてたまらない。
無理だ。こんなことできない。
彼以外に触られたくない。抱かれたくない。
(助けてっ!はたけさん助けて!)
その時、部屋の外が騒がしくなったかと思うと寝室のドアが開いた。
「――っ、イルカ!!」
「はたけさっ」
鬼のような形相のはたけさんが入ってくると俺の上に乗っかっている男を殴り倒した。
男の悲鳴とともにグキッと骨が折れる嫌な音がした。
「ちょっと、はたけさん!死んじゃいますって」
別の男が部屋に入ってきてはたけさんを抑える。
「こいつはイルカに触ったっ!オレのイルカにっ!!」
「こいつはこっちで処理しますからイルカさんをフォローしてあげてくださいよ。怯えてます」
そう言われてハッとこちらを見た。
その顔は今にも泣きそうだった。
「イルカ……」
「はたけさっ」
堪らず抱きつく。ぎゅっと掴んだ熱が、匂いが、全てが優しく包み込む。
ぽろぽろと涙が流れた。理由など分からない。ただ止まらなかった。
怖かった。
泣きたいほど今の状況に安心しきっていることが、怖かった。
「できません…っ」
できない。体も心も拒否してしまう。
彼以外に、抱かれるなんて、できない。
「貴方以外、抱かれることはできません…っ」
わぁわぁ泣きながら抱きしめる。
ごめんなさい。
救ってくれたのに。
彼が俺に出来ることを示してくれたのに。
ごめんなさいごめんなさいと何度も繰り返した。
すると同じぐらい強く抱きしめ返してくれた。
「させない…」
小さな、だが強い声がする。
「誰も貴方に触らせたりさせません」
体を離し、頬に触れられる。
涙でおぼろげな視界にぼんやりと彼が見えた。
「貴方はオレだけのものだ……」


その時の感情の名前を、俺は何と呼べばいいだろう。

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