彼に会いたい。
彼に会いたくない。
矛盾した気持ちをどうしようもできず、悶々としたまま仕事に向かう。
あんな夢、初めて見た。
オレの夢はいつだって彼女との思い出だけだ。それにあんな男知らない。
(知らない、知らない。なんだよあの夢)
吐き気がしそうだった。
だって狂ってる。
彼に向けたオレの気持ちは確かに愛していた。それなのに苦痛で歪む顔を見て、オレはひどく興奮したのだ。
寝汗でびっしょりの体は確かに興奮していた。頭がぐちゃぐちゃの中、そこだけは強く硬く反りあがっていた。
あんなの間違ってる。
あんなの愛じゃない。
なんで愛しているのにあんなことしたんだ。
怖い。怖くてたまらない。
もしかして、それがオレの本当の気持ちなのか?
愛らしくほほ笑む彼に向ける、本当の気持ちなのか?
時間をかけてゆっくり、ゆっくり愛を育もうとしているとは裏腹にあんな風に酷く扱い欲望を埋め込もうとしているのか?
(違う、違う。オレはそんなこと思ってない。思うはずない)
ただの夢だ。根拠のない夢だ。
なのに、どうしてこんなに心を乱すのだ。
自分のことなのに、上手くコントロールできない感情が怖くて堪らなかった。
彼に会えば、声を聞くだけでも違うかも知れない。
そう縋りたい一方で、もし彼にこんな気持ち悪い感情を持っているかと思うと、そしてそれをぶつけてしまうのではないかと思うだけで怖くて、昨日知ったアドレスを見ては閉じるを繰り返していた。
その時ケータイが鳴り、思わず出てしまった。
『カカシさん?』
その声は先ほどまでオレの頭いっぱいにいた人物で、絶対かけてこないだろう人物だった。
「イルカ」
名前を呼べば、心が満たされていくのがわかった。
イルカ、イルカイルカ。
『すみません。今大丈夫ですか?』
「うん、うん。大丈夫。どうしたの?」
誰にも聞かれたくなくて、社長室のドアのカギをする。
『いえ、用はないのですが。何となくカカシさんに呼ばれた気がして』
「オレに?」
やはり彼の言葉はなんとなく、電波っぽい。
(もしくは殺し文句か?)
あぁ、でも確かに彼の名前を呼んでいた。心の中でずっとずっと彼を呼んでいた。
「うん、ちょっとね。変な夢見て落ち込んでいた」
言ってみて、なんだか子どもっぽさに笑ってしまう。
夢、ただの夢だ。そんなものに成人した男が落ち込むなんて笑い話もいいところだ。
笑われてもおかしくないのに、彼は意外にも黙り込んだ。
「あはは、変だよね。たかが夢なのに」
『ただの夢ですよ』
その言葉は真剣で、冷たいくせに優しさがにじみ出ていた。
『ただの、夢です。本当じゃない』
それはオレが一番聞きたかった言葉だった。
ただの機械越しに聞こえる音なのに、それだけ救われた。あんなに恐怖で震えていたのに、その一言ですーっとどこかに消えてしまった。
(うん、そうだ。ただの夢だ。気持ち悪い)
オレがあんな感情持っているわけない。一度だってあんな矛盾した激情になったことないじゃないか。
「ありがと、イルカ」
大丈夫、大丈夫。オレはそんな人間じゃない。そんなこと思ってない。イルカにそんなこと思うはずない。
携帯越しにチャイムの音がする。
『すみません、カカシさん。また』
呼び鈴だろう。あわてて切ろうとするイルカを呼びとめる。
「まって、イルカ。今日会えないかな?」
『今日ですか?…バイトがあるので夜遅くなら』
「待つ。いや、迎えに行く」
『…分かりました。またメールします』
切られた電話を見下ろす。よかった、約束できた。今日も彼に会える。彼に会えるのだ。





明かりの消えたラーメン屋の前で大好きな小説を読みながら待っていると、制服姿の彼が息を切らして近づいてきた。その姿があまりにも眩しくて目を細める。
あぁ、なんてきれいなんだ。
抱きしめたい。彼がオレの手の届く人間だと確かめたい。
「お待たせしました」
にっこりと笑う彼に、いかんいかんと手を引っ込める。
ゆっくり、ゆっくり愛を育むのだから。
「いーえ。遅くまで御苦労さま」
「賄い付きですごい良いバイトなんですよ。今度ぜひ食べに来てください」
「うん。そーだね」
会議が長引き、営業時間に行けなかったことが悔やまれる。絶対明日は行ってやる。彼の働く姿、きっと一生懸命で可愛らしいのだろうな。
「車置いてきてくれましたか?」
「うん。メールに書いてあったからね。なんで?」
ゆっくり歩きながら、尋ねる。
メールには指定時間と自分は夕食を賄いで食べることと歩いてきてほしいと書いてあった。
「あはは。絶対知らないと思った」
「え?」
「ほら、空」
見上げる彼に見習って、上を見上げると満天の星が見れた。
町はずれの明かりの少ないここでは街中に比べてきれいに見えた。
あぁ、なんて綺麗なのだろう。
そう言おうと思って彼を見ると彼も嬉しそうに空を見上げていた。
目を細めて、口を少しあけて。
その姿が、神々しく、まるで彼を引き立たせるように星が集まっているかのような錯覚を感じた。
その美しさは満天の星など霞むほど美しく、気高い。
誰も、誰にも彼は掴めない。掴んではいけない。
こんなにも、こんなにも美しい彼を、誰も汚してはいけない。
「本当は、嘘です」
「え?」
光の中心にいながら、彼はオレに向かって笑いかけた。
あの眼に映るのは、確かにオレだった。
「昼間電話したの、用がないって嘘です。本当は今日会えないか聞きたかったんです」
あははっと子どもっぽく笑う。

「カカシさんとこの空見たくて、誘おうと思ったんです」

息が止まるかと思った。
彼が人間でよかった。オレが触れれる、愛してもいい存在でよかった。

そのまま歩いて彼の家まで送る。手が触れそうで触れない距離がもどかしくて、でも心地よかった。
他愛のない会話を楽しそうに話す彼に目が離せなかった。気分がいい。なんて幸せなのだろう。
彼を送ると、鼻歌を歌いながら歩く。綺麗な夜空がまるで祝福している気がした。
自宅に戻ると軽くシャワーを浴びて、ベッドに入る。
ぎゅっと目を閉じた。
彼女のことを考えよう。あの幸福な夢を考えよう。
大丈夫、あの怖い夢など見ない。
あれは夢で、なんでもないのだから。
幸福な、夢を見よう。



トントンと料理をする音がする。
あぁよかった。いつもの夢だ。
今日の料理はなんだろう。
ぼんやりとキッチンを見ると、ぱたぱたと音がしてキッチンから出てきたのは、彼だった。
「!!」
心臓が飛び出る気がした。
彼だ。
彼がオレのために料理をしてくれている。
(な、なんだ。仲良くやっているじゃないか…)
だがなんとなく空気が殺伐としていた。
「たいしたもの、作れませんけど」
そう言って並べられたのは、うまそうな和食だった。そこの隅っこに申し訳なさそうに小さなケーキがあった。
苺のショートケーキ。
「どーも」
そういう声は冷たく、嬉しそうだった。
口だけ笑いながら目の前の料理に口つける。
「あーうまいですねぇ」
「……」
「いいですねぇ。こんな風に尽くしてくれたら優しくしてあげますよ」
まるで侮辱しているように笑った。
本当は嬉しいのに。彼が手料理を作ってくれて、例えそれがオレの命令だとしても、嬉しかったのに。
どうしてオレはこんな言い方しかできないのだろう。
こんなに愛しているのに。
愛しているのに。
「……」
彼は無言で座っている。ただ、終わるのをひたすら待っている。まるでオレの怒りが過ぎ去るのを待つように。
その姿にイラッとして、湯呑みを彼の方へ投げた。
勿論彼には当たらず、その横の壁にぶつかり割れた。
パチッと箸を置くと立ち上がる。びくっと恐怖に震えた彼を満足そうに見下ろす。
「そんなにしたいなら、今すぐしてあげますよ」
「…やめてください」
彼の口から出るのは、すべてオレを否定する言葉だ。
腕をとり、顔を掴んだ。
「ねぇ、してって言って」
欲しがって。オレを。
こんなことでしか、あんたを抱けないオレを。
「そしたら、優しくしてあげる」
そういうと彼はぎゅっと眉をひそめた。
「嫌です」
はっきりと、しっかりとした声で。
彼らしいまっすぐな瞳でオレをみていた。
「あんたなんか、嫌いです」
その言葉にククッと口だけで笑った。
そうだよな、あんたのそのまっすぐな所も大好きだ。
オレは笑いながら、彼を殴った。


目が覚めると、見慣れた天井だった。
周りを見渡して、誰もいないことを確認するとようやく大きく息を吐いた。
殴った感触が、手に残っている気がした。
怖い。怖くて震えが止まらない。
あれが、オレなのか。
違う違う。あんな非道なこと、するはずない。
耐えられなかった。
大好きな愛しい人を汚された気がした。
イルカだ。
イルカがオレを乱す。愛しい人をオレから奪うのだ。
手近な服を身につけると家を飛び出した。
前は彼のところだったが、そこだけは行きたくない。女がいい。愛しい人のような柔らかな肌がいい。
そうすればきっと落ち着く。
彼女の夢を見れる。
一秒も、さっきの夢のことを考えたくなかった。
車で飛ばして、彼女の家に行く。深夜にも関わらず嫌な顔をせずむかい入れてくれた。
そのままベッドに押し倒す。
少しも抵抗せずに熱を感じさせてくれる彼女に安心する。
そうだよ。これが真実だ。
熱を吐きだすと、安心したのか倒れるように眠った。


目を覚ますと、愛しい彼女がいた。
食卓を見ると俺の好物がずらりと並んでいた。
あぁ良かった。彼女だ。俺の愛しい彼女だ。
「本当に誕生日こんなものでいいんですか」
照れながらエプロン姿の彼女が正面に座る。
「何で?一番嬉しいよ」
ニコニコ笑うと、顔を赤くしながら鼻を掻いた。照れたときにでる、彼女の癖だ。
甘い物が苦手だと知っているがお祝いなのでと小さなケーキを出した。

苺のショートケーキだった。

ゾッとした。
(ちがう)
そうだ。あの日、オレの誕生日だった。
だから、命令してご飯を作らせた。
ケーキを買わせた。
祝って欲しかった。誰でもない、彼に。
(ちがうちがうちがうちがう)
オレが生まれたことを祝福して欲しかった。
嘘でもいい。
彼にオレがいていいって思って欲しかった。
(ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうっ!!)
慌てて、彼女を見る。
不思議そうにニコニコしながらこちらを見ていた。
「どうしたの?カカシさん」
いつもの彼女の態度にほっと息を吐く。
そうだよ。これが真実だ。
こんなところまで、出てくるな。
こんな、オレがこの世で一番大切にしているところまででてくるな。
ぎゅっと目を瞑る。
オレの大切にしていた夢の崩壊を感じる。
イルカが、この愛しい人に一番近い彼が、そうさせる。
そんなこと、させやしない。
(イルカは彼女ではない。彼はオレをオレにさせなくする)
気持ち悪いどろどろした感情を呼び覚まそうとする。
そうはさせない。
そんなこと望んでいない。
もう会わない。会いたくない。
オレから彼女を取ることなど、誰にもさせやしない。

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